フレンズ
この子ブラックコーヒーなんて飲むんだ、と少し驚いて、あたしはつまみあげたクリームのポーションを思わず籠に戻す。案の定、櫛枝実乃梨は一口飲んで盛大に眉をしかめた。お菓子食べるときはお砂糖もミルクも控えた方がいいって、雑誌に書いてあったから、櫛枝も実践してみることにしたのだよ、あーみん知らないのかい?だって、あーみんが載ってた雑誌だよ、春を先取り愛されトップス!の次の、ダイエット特集。なに、読んでないの。いい加減だなあ。そんなんじゃ干されちゃうよ、きみ!
彼女はいつもの調子でまくしたてると、あっはっはと笑ってあたしの背中を勢いよく叩いた。ちびちび飲んでいたブラックコーヒーを吹きそうになった。
「しかし苦いねえ、これ。あーみんは苦くないの」
「苦いわよ、そりゃ、コーヒーだもの」
お砂糖もミルクも入れればいいじゃないの、そっちこそ、とひとしきり言い合ったものの、カウンターの上の砂糖もクリームも結局減ることはなく、あたしたちは肩を並べて、大して好きでもない苦いものを舐めるようにちびちびと飲んでいる。滑稽だ。
「クッキーおいしいね」
「そうね」
「さくらの味だ」
彼女は薄桃色のクッキーを光に透かすように掲げて、春を先取り、と呟き、おもむろにぽりんと音をたてて一口齧った。それからコーヒーに再度挑戦し、勢いよく飲み過ぎたのか、ごほごほとむせた。
ああもうしょうがないわねみのりちゃんは、そう言いながら背中をさすってやって、水を飲ませる。しょうがないわね、なんて言えたものでもないか、と頭のすみっこで思った。あたしのコーヒーはまだ半分以上残っている。
あたしたちは案外似ているのだと思う。同じようなところで躓くのだ。
高須竜児のことだけを、言っているのではない。
「…ねえ、っ、あーみん」
彼女はまだ咳込んで、ぜいぜい言っている。
「なに」
「あーみ…は、進路、どうす、の」
「喋るの落ち着いてからにしなさいよ」
「う、えほ、っ……大学、受け、の」
「そうね、今のマンションから通えて、仕事も続けやすいとこ」
水をもう一口、ぐっと飲み干すと、彼女はふうーっと息をついて、口元を拭った。
「あたしも大学受けるんだ」
こちらが大丈夫かと訊く間も与えずに、彼女は言った。両手に包んだコップの中の水面を見つめながら、かすかに微笑んでいた。
「ねえ、あーみん」
「なに」
「大学受かったら、あたしたち、一緒に暮らそう」
「……なによそれ」
「あたしがあーみんのマンションに行って、一緒に住むの。あの広いマンションに一人じゃ、さみしいでしょう?大学に入ったら、仕事とか遊びとか、今より忙しくなるだろうし。掃除も洗濯も手間が半分になるよ。風邪ひいた時とかも安心だよ。あたし料理得意だし、それに」
「ちょっと待ちなさいよ」
「あ、もちろん家賃は出すよ。心配すんなって、櫛枝、けっこう稼いでるんだぜぇ」
「だから、そうじゃなくて!」
思わずカウンターをどん、と叩いてしまった。お皿の中のさくらのクッキーが跳ねて、からから、と音を立てた。彼女は言葉を止めて、大きな目をぱちぱちさせてこちらを見た。
他のお客さんの視線を感じて、顔が熱くなる。声をひそめて言った。
「……どうして、あんたとあたしが、一緒の部屋に住まなくちゃならないの」
「だから、掃除も洗濯も」
「そういうことじゃないでしょう、馬鹿じゃないの」
「どうして」
「だって、」
喉が詰まる。その先は言いたくもなかった。
「……馬鹿げてる。家族ごっこなんて沢山よ。いまさら、あの二人の真似しようっていうの」
振り絞るような気持ちで呟いて、顔を上げた。まっすぐにあたしの目をみつめる彼女の顔があった。
「そうじゃないよ」
試してみたいんだ、あたし、あーみんと。穏やかな声で彼女は言った。
「……家族じゃなくても、恋人じゃなくても、一緒にごはんを食べて、笑い合うことはできるはずでしょう?」
そのことばは懇願のようでもあり、祈りのようでもあった。わずかに潤んだ彼女の瞳を見て、あたしは、この子が賭けようとしている儚いもののことに、ようやく気付いた。
そうだ、あたしも、ずっとそれを信じたかった。
しょうがないわね。照れ隠しにまたそんなことを言ってしまった。あたしたちは黙って、冷めきったトールサイズのマグカップをかつん、と突き合わせる。一口飲んで、やっぱり苦いねと、ふたりで笑った。
彼女はいつもの調子でまくしたてると、あっはっはと笑ってあたしの背中を勢いよく叩いた。ちびちび飲んでいたブラックコーヒーを吹きそうになった。
「しかし苦いねえ、これ。あーみんは苦くないの」
「苦いわよ、そりゃ、コーヒーだもの」
お砂糖もミルクも入れればいいじゃないの、そっちこそ、とひとしきり言い合ったものの、カウンターの上の砂糖もクリームも結局減ることはなく、あたしたちは肩を並べて、大して好きでもない苦いものを舐めるようにちびちびと飲んでいる。滑稽だ。
「クッキーおいしいね」
「そうね」
「さくらの味だ」
彼女は薄桃色のクッキーを光に透かすように掲げて、春を先取り、と呟き、おもむろにぽりんと音をたてて一口齧った。それからコーヒーに再度挑戦し、勢いよく飲み過ぎたのか、ごほごほとむせた。
ああもうしょうがないわねみのりちゃんは、そう言いながら背中をさすってやって、水を飲ませる。しょうがないわね、なんて言えたものでもないか、と頭のすみっこで思った。あたしのコーヒーはまだ半分以上残っている。
あたしたちは案外似ているのだと思う。同じようなところで躓くのだ。
高須竜児のことだけを、言っているのではない。
「…ねえ、っ、あーみん」
彼女はまだ咳込んで、ぜいぜい言っている。
「なに」
「あーみ…は、進路、どうす、の」
「喋るの落ち着いてからにしなさいよ」
「う、えほ、っ……大学、受け、の」
「そうね、今のマンションから通えて、仕事も続けやすいとこ」
水をもう一口、ぐっと飲み干すと、彼女はふうーっと息をついて、口元を拭った。
「あたしも大学受けるんだ」
こちらが大丈夫かと訊く間も与えずに、彼女は言った。両手に包んだコップの中の水面を見つめながら、かすかに微笑んでいた。
「ねえ、あーみん」
「なに」
「大学受かったら、あたしたち、一緒に暮らそう」
「……なによそれ」
「あたしがあーみんのマンションに行って、一緒に住むの。あの広いマンションに一人じゃ、さみしいでしょう?大学に入ったら、仕事とか遊びとか、今より忙しくなるだろうし。掃除も洗濯も手間が半分になるよ。風邪ひいた時とかも安心だよ。あたし料理得意だし、それに」
「ちょっと待ちなさいよ」
「あ、もちろん家賃は出すよ。心配すんなって、櫛枝、けっこう稼いでるんだぜぇ」
「だから、そうじゃなくて!」
思わずカウンターをどん、と叩いてしまった。お皿の中のさくらのクッキーが跳ねて、からから、と音を立てた。彼女は言葉を止めて、大きな目をぱちぱちさせてこちらを見た。
他のお客さんの視線を感じて、顔が熱くなる。声をひそめて言った。
「……どうして、あんたとあたしが、一緒の部屋に住まなくちゃならないの」
「だから、掃除も洗濯も」
「そういうことじゃないでしょう、馬鹿じゃないの」
「どうして」
「だって、」
喉が詰まる。その先は言いたくもなかった。
「……馬鹿げてる。家族ごっこなんて沢山よ。いまさら、あの二人の真似しようっていうの」
振り絞るような気持ちで呟いて、顔を上げた。まっすぐにあたしの目をみつめる彼女の顔があった。
「そうじゃないよ」
試してみたいんだ、あたし、あーみんと。穏やかな声で彼女は言った。
「……家族じゃなくても、恋人じゃなくても、一緒にごはんを食べて、笑い合うことはできるはずでしょう?」
そのことばは懇願のようでもあり、祈りのようでもあった。わずかに潤んだ彼女の瞳を見て、あたしは、この子が賭けようとしている儚いもののことに、ようやく気付いた。
そうだ、あたしも、ずっとそれを信じたかった。
しょうがないわね。照れ隠しにまたそんなことを言ってしまった。あたしたちは黙って、冷めきったトールサイズのマグカップをかつん、と突き合わせる。一口飲んで、やっぱり苦いねと、ふたりで笑った。