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笑いの王国

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「にっほんさぁーーーん!!! あなたの大阪が来ましたでっ!!!!」
 不意に響いた大声に驚いて、思わず手にした火箸を取り落としそうになった日本である。
 危うく火鉢の上で焼いていた切り餅を、灰の中に落としそうになってしまった。
 慌ててそれを阻止しながら振り返り、驚きの目線を向ける。
「おっ、大阪くん!? ど、どうしたのですか、急に?」
 そこにあった顔見知りの名を呼べば広がる笑顔。
 大阪と呼ばれた青年が、にこにこ笑いながら言った。
「そらもちろん、この大地震の後の大変なときやさかい、取るもんもとりあえず駆けつけましたんや! ほんまは日本さんに俺の家まで来てもらいたかったんですけど、日本さん責任感強いから、ようよう帰らしまへんやろ? せやから俺の方が来ましたんや! ボランティア休暇ってやつもちゃぁんと取り付けて来ましたさかい、頼りにしたってください! 支援物資もおいおい……ん?」
 と、ここで大阪は動きを止めた。
 不思議そうな顔をしつつも、両手いっぱいに抱えていた段ボール箱をまず下ろす。
 その手で懐を探った大阪は、取り出した携帯を見て目を見開いた。
「誰やろ……て、兵庫!?」
 隣県の名を叫んだ後すぐに眉をしかめる辺りきな臭い。
 自分に向けるのとは真逆のむすっとした顔で大阪は話し始める。
「え? 勝手に東京行くな? 日本さんに代われ? せやかて俺も取るもんとりあえず来たさかい……え? じゃあ、自分が送っとぉ簡易トイレはお前が面倒見ろ? あほかい、んなの知らんがな!」
 言い捨てて問答無用に電話を切るのは、機を見るに敏な商人体質の現れか。
「い、いいんですか?」
 顔を引きつらせた日本とは対照的に、大阪の顔はいっそ清々しいものだった。
「また用があったらかけてきますやろ。問題ありまへん」
 にこにこと無駄に潔いセリフを口にして悪びれるところがない。
 それ以上のツッコミをしかねて、こちらもあいまいな笑みを浮かべてしまった。
「は、はぁ……ならいいんですけど……」
 などと口にしたそばから、大阪の携帯に電話がかかっている。
 悠々と文字盤を見た大阪は、今度は逆に顔を引きつらせていた。
「今度は誰やろ……て、ん? お京はん!?」
 彼の上隣の県の名を叫ぶと、即座に電話を取る。
 兵庫に対するときとは打って変わってまじめな顔で応対を始めたが果たして。
 みるみるうちにその顔は凍りついていった。
「自分もとりあえず支援物資送る……前に全員の息災を願ってご祈祷するからしばらく待て? え、その間は俺がなんとかしろ? そ、そない無茶な……! って、切らはった……!! ほんま相変わらず自由や、あん人……今がいつの時代や思うてはるんやろ……」
 なんてことを哀愁漂う顔のままに口にしたかと思えば、大阪は不意に表情をきりりと改める。
 しかも何かを決意したような顔で、どーんっと宣言したのだった。
「……こないなったら仕方おまへん。この不肖大阪がなんとか場を繋ぎますさかい、よろしゅう頼んまさ!」
「は、はい、こちらこそ……で、あの、何を?」
 迫力に押されて思わずうなずいてしまったものの、日本とて何が何やら意味がわからない。
 大阪が何をやりたいかわからなければ、協力も応援もできないではないか。
 そう思い、ごく素直に問い返すと、大阪は先ほど下ろした段ボール箱を再び持ってきて日本の前に置いた。
「それなんですけど、実はこういうもん持ってきましたんや」
 言いながら取り出したものに目を見開く。
「えぇと、DVDとカセットテープ?」
 大阪の手が次々と取り出したのは、そのふたつだった。
 はっきり言って復興の役には立ちそうもないものばかりだが、当の本人は平然としている。
 それどころか胸を張って、きらりと歯を光らせた。
「さよです。これは俺のお笑いコレクションですわ!」
 どーんっ。
 まさに波の砕ける豪快な音。
 それがバックに聞こえたような気がしたが、日本は聞こえなかったふりをした。
「は、はあ……おわらいこれくしょん……ですか……」
 呆然とつぶやく日本の言葉はむしろたどたどしい。
 思わぬ展開にほうけている日本をよそに、大阪はなぜかヒートアップしているようだった。
 両拳を握りしめて何やら熱弁を振るい始める。
「この非常時に何を不謹慎なと思われるかもしれまへんが、むしろこの非常時にこそ!!! お笑いは大事なんでっせ! 笑いと涙は心の浄化作用があるさかい! この不肖大阪が身を張って皆さんのお役に立つ覚悟です!」
「は、はぁ……」
「てなわけで、俺の秘蔵のテープとDVD持ってきましたんや。DVDは新喜劇が主ですけど、こっちのテープはいわゆる昭和からの上方落語の名人の生声が吹き込んであります」
 じゃんっと取り出したものには確かに事細かにラベルが張ってあった。
 そこには日本ですら知るような、上方落語の大御所の名前が書き込んである。
「これ全部、ですか……?」
 目を見張る日本に向かって、大阪が照れたように笑った。
「さよです。俺の趣味で吹き込んでもろたんですわ。当時たいそうな無理言いよったんですが、これなら年齢問わず皆さん楽しめますやろ?」
 まあ、カセットがないと役に立たへんのですけど。
 そう困ったように一言言い置いてから、大阪はなおも続けた。
「計画停電があるいうことは聞いてます。さすがに電気がないとせっかくのテープもDVDも役に立ちまへん。そないなわけで電気のないところはこの不肖大阪が! 直に高座に上がりますよって!」
「え……あなたが、ですか?」
 今度ばかりはびっくりするどころではない。
 高座に上がるとはすなわち自分で一席ぶつということだ。
 寄席を行うということだ。
 大阪は確かに器用な青年ではあるものの、そんな特技があるとは聞いたこともない。
 驚く日本に大阪は照れ顔でネタばらしを始めた。
「はい、実は俺もむかぁし昔、羽振りがよかったころに手慰みに色々覚えまして。落語もそのころ師匠連中に頼んで話を全部覚えたんですわ。まあこれが昔取った杵柄っちゅうやつでんな。最近は近所のおばちゃんおっちゃんらに頼まれてやるぐらいやったんですけど、腕は鈍らせてないつもりです。なんなら日本さん、確かめてもろてもええですか?」
「え? あ、はぁ……」
 目を丸くする日本を尻目に、大阪はどこからか取り出した扇子片手に慣れた口調で口火を切る。
 話の前ふりもさることながら、話運びにも危なげなところは微塵もない。
 さすが笑いの国大阪といったところだろうか。
 気づけば、巧みな話術を前にして笑い転げる自分がいた。
「……っあはは、なんっ……か、笑いすぎて、涙が……っ」
 それこそ腹をよじって笑うばかりで言葉にもならない。
 それを見た大阪がしてやったりといわんばかりの得意げな顔をしてみせた。
「フフフ、サゲの大阪本領発揮でんな! 俺はやった、やりました!! 日本さんを笑わせましたで……!!!」
 何やらガッツポーズをしている風なのもおかしい。
 箸が転げるだけでおかしいというやつだろうか。
 近年稀に見るツボの入り方だ。
 笑い転げながら、しかしなぜか頬に伝う違和感。
作品名:笑いの王国 作家名:さり