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無いものねだり

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羨ましいのか、妬ましいのか。

白石の腕は左だけ異様に細い。手首から肘の関節まで。
おおよそ成長期の中学生男子とは思えないくらいほっそりと頼りなく、思い切り掴んだら折れてしまいそうな程だ。
対して二の腕はテニスの選手らしくがっちりと筋肉がついていて、初めて包帯の下を見たときはそのアンバランスさに酷く驚いたのを覚えている。
更に色も病的なほど白かった。ただでさえ白石の体は白くて、日差しの下に晒されたことなど無いんじゃないかと思うくらいなのに、その部分はもっと、言うのなら青白く不健康な感じがするほどだった。
妙だとは思っていたけれど、俺はその理由をつい最近まで知らなかった。



「金のガントレット…ねえ」

机の上に無造作に放られたそれをついと指で突付く。
ごろりと鈍い音を立てて転がったそれは、夕日を浴びてきらきらと眩しい光を放った。

「あれっ、千歳知らんかったっけ」
「うちに来るときはいつも着けとらんかったけん」
「あーそやったっけ」

白石は俺の返答に大して興味も無さそうに左腕を擦っている。
俺はぼんやりとそれを見る。やはり細い。頼りないほどにほっそりとした腕を白石は確かめるように軽く振りながら撫でている。
しかし今となってはまあそれも納得は出来る。あんなものでずっと押さえつけていたらそりゃあ細くもなるんだろう。自分はそんなことをしたことがないから自信を持って言えるわけではないけど。

「別に隠してたとかそういうんとちゃうよ、テニスしてるときしか着けてないだけ」

俺の視線を勘違いしたのか白石が答える。
そんな意味で見ていたわけではなかったけれど、それも疑問に思っていたから聞く手間は省けたのでまあよしとする。
今まで白石の包帯を解いてみたことは何度かあったけど、あんなきらきらしたごついものが出てきたことは一度も無かった。そういえばどれも部活前か無い日だったっけ。
今日は部活終わってすぐに家に連れ込んだから見れたのか、なるほど。

「ふうん」
「まあ変やから見られたら恥ずかしいなあってのはちょっとあったけどな」

それにお前もいざってときに包帯解いてこんなん出てきたら萎えるやろ?と白石は笑う。それは確かに。

「それよか風呂、借りてええ?」

放られていたそれらを鞄に突っ込んで、代わりにタオルやら着替えやらを引っ張り出した。
あんな高そうなのをそんなぞんざいに扱っていいものなのか、とちょっと不安になる。白石は変なところで無頓着で適当だ。
俺の返答を待たずに白石はさっさと風呂場へ向かってしまう。そっと追いかけて細い左腕を掴んだ。

「一緒に入ろ」

引き寄せて腰を抱きながら囁くと、白石は仕方ないなあとでも言うように肩をすくめて小さく笑った。



「千歳はそんなに俺の毒手が気になるん?」

白石は苦笑しながら空いている右手で俺の腕を軽く抓る。
俺は無意識のうちにずっと白石の毒手を擦り倒していたらしい。ごめんと軽く謝って目の前の濡れたうなじに口付け、手を離した。
もちろん毒手というのは白石が金ちゃんに言っているような恐ろしいあれのことを指しているのではなく、彼の左手を形容しただけだ。
白石は解放された左腕を湯船につける。水面が揺れて細い輪郭が歪んだ。

「いつからあれ、付け始めたと?」

謝ったそばからそんな話を振る俺はしつこいのかもしれない。

「1年のとき」
「ふーん…」

白石は俺の質問にうんざりする様子も見せず答えたのでちょっとほっとした。別にそこまで嫌がってはいないらしい。
再び白石の左腕に触れる。今度はそっと。揺れるその細い輪郭をなぞる。
そんな前から付けていたら確かにここまで細くなるのも頷けるかも。

「それにしても金って…大阪は派手好きばいねえ」

金が重くて負荷がかかるっていうのは分かるけど、それにしても金をこういう風に使うなんて、さすが大阪はやることが違うなあと思う。
利き腕に負荷をかけるトレーニングは確かにあるけれど、わざわざこんなものをつけるなんて聞いたことがない。せいぜいパワーリスト程度だろう。
正直少し違和感がある。
白石はこういう派手なのやら無駄な装飾やらを好みそうな感じじゃないから。

「えーでもこれは俺の趣味ちゃうよ」
「ん?どげんこつ?」
「これ、オサムちゃんが付けろって持ってきたやつやから」

小さな浴室に白石の声が綺麗に通る。

あの違和感がまさかこういう形に解決されるとは思わなかった。
軽くそう言った白石に合わせるように、俺も軽くへえと相槌を打つ。
しかし白石のその言葉は軽くは流されてくれなくて、あとからあとから俺の脳内をぐるぐるとまわり始めた。

あれを、オサムちゃんが、白石に。

よく分からないけど、その言葉を脳内で繰り返すたびにじわじわと胸に黒いものが湧いてくる。
追い立てられるような焦っているような妙な感じ。
分からないけど、胸の奥が気持ち悪い。

「千歳?」

何も答えなくなった俺を不審に思ったのか白石がそっと振り向こうとする。
取り繕う余裕は無くて、でも今の顔を見られたくなかったから白石の肩に顔を埋めた。
俺は何でこんなに動揺してるんだろう。なんで。

白石は何かを察したんだろうか、それ以上追及しようとはしなかった。
細いその腕で俺の手をとり、きゅっと握った。
滑らかな手の感触が水の中で伝わる。
そっと顔を上げて俺の手と重なる白石の手を見つめた。

ああ、そうか。唐突に理解した。

「蔵…」

この、細い腕。
この不自然な程細く脆い腕を形作ったのは。

「ちとせ?、ん、っん」

そっと肩を抱いて白石の体を反転させる。狭い浴槽で水面が跳ねた。
白石の不安げな瞳が揺れるのが一瞬見えたけれど、見ない振りをして唇を塞ぐ。
頬に手を寄せて深く口付けると、白石の喉から小さな嬌声が漏れた。

ずるい。

空いた片手で白石の左手を掴む。
白石のこの細い腕。あれを使わなくなるときがきたってきっともう完全には戻らない。
彼は白石の体に一生のものを残したのだ。
白石に言ったら大げさなって笑われそうだけど、でも俺にとっては大げさでもなんでもない。
ずるいずるい、ずるい。
幼稚な言葉しか出てこない。駄々をこねる子どもみたいだ。
でもこのごちゃごちゃした感情をどう表現すればいいのか分からない。
オサムちゃんはずるい。白石に自分の跡をあんなに大きく残したんだ。
白石は俺のものなのに。

ずるいずるい、羨ましい。

「ふ、はあ…」

ゆっくりと唇を離すと白石の口の端からは飲みきれなかった唾液が零れた。
そおっと親指で拭ってやって、視線を腕に落とす。白石の腕。
羨ましくて、妬ましい。
水の中で揺れる左腕を引き上げて、自分の唇を濡れたそれにそっと寄せた。

ガリッ。

「い、…っ」

反射的に引っ込めようとした白石の腕をぐっと掴んで更に歯を食い込ませる。
痛みに白石が身じろいでぱしゃぱしゃと水面が揺れた。
本当に細くて薄い腕だ。このまま食いついていたらぱきりと折れてしまいそう。

でも、俺だってひとつくらい。

「つ…っう…ちと、せ…」

震える声に呼ばれてそっと歯を離した。
今まで自分が噛み付いていたところには深い歯型。じわりじわりと赤黒くなり始めている。
作品名:無いものねだり 作家名:ふづき