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結び目

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あれは幽霊だったのだろうか。

当初、燈治はそう思った。
それほど顔が広いというわけでもないが、それにしてもあの少年に見覚えが無さ過ぎたからである。
そして何より、眼を合わせた時のあの異様な感覚。不思議な言動。あれらはどうにも、人間離れし過ぎていた。あの時の記憶が燈治の中にべったりとこびりついていて、思い出すだに皮膚のおもてがぞわりと怖気に泡立ってしまう。
否、否、まさかそんな筈はないと。
燈治は、逃げ去ろうとする冷静さを必死に捕まえながら、ようく考えてみた。
よくよく思い出してみると、あの時、あの廊下に居たのは何も彼と燈治ばかりではなかった。彼に声を掛けていた女性教諭がちゃんと居たのである。あの教諭にも見えていたのであれば、彼はやはり、幽霊などという非現実的な存在ではない、ということだろう。
それが結論であれば、燈治にとって大層有り難いことだ。
燈治はそうした、あやふやで境の曖昧なものがとても苦手なのである。話も拳も通じないとなればもう燈治にはまるで打つ手がなく、どうしていいものか判らなくなってしまうので。

そうして燈治は、沸き上がろうとする怖気を押さえながら、落ち着いて何度も何度も己の記憶を浚った。
彼はあの時、妙に厚い本を数冊脇に抱えていた。
教科書の中にあんなにも厚みのあるものはないし、辞書の類でないならば、あれは図書室に在る本ではないだろうか。図書室の本を借り出す幽霊、というのはなかなか有り得ないので、やはり彼は実在する生徒なのだろう。
燈治の脳裏に在る未だ生々しい彼についての記憶が、徐々に人間らしさを帯びていく。燈治と同じ人間でなのであれば、同じ生徒なのであれば、何ひとつ怖れる理由はないのだ。
珍しく野球以外のことに長らく気を取られていた燈治は、よし、と己の思索に見切りをつけて立ち上がった。

何のことはない、明確にしたいのならば、もう一度彼に会ってみればいい。

会って、もっとよく話してみれば、彼はもっと人間に近くなる。幽霊などというものではなくなるのだ。一度はひどく恐怖してしまったが、きっちりと事実を己の眼で確かめることが出来ればそれも克服出来るに違いない。確かめもせずに無意味に恐れ続けるのは間抜けな話である。そもそも、物事を曖昧なまま放っておくのは燈治の性には合わぬ。
そう決めたと同時に、燈治はもう歩き出していた。
行く先は勿論、図書室である。


学校へ上がってから今までのあいだ図書室へ足を運んだことがただの一度もなかったから、其処へ赴く為には燈治はまず校舎の何処に図書室が在るのか、というところから調べていかなければならなかった。
そうまでして、いざ来てみたものの。本当にあの少年は此処に居るのだろうか。ようやく調べ当てた扉の前で立ち尽くし、燈治はしばし逡巡した。
昨日図書室の本を抱えていたからといって今日も図書室に居るとは限らない。それは燈治とて重々承知の上である。しかし、辿り得る少年の手掛かりがこれしかないのだから、致し方がなかった。
居ないのならまた明日覗いてみればいい。そして明日も居なければもう少年のことは忘れてしまおう。幽霊などでは決してないが、そう、夢でも見たのだと、そう思っておけばいいのだ。
燈治はそう思いながら、未知なる部屋の扉をそっと開いて忍び込むような雰囲気で其処へ足を踏み入れる。
初めて入室する図書室という名の部屋は、何処か湿ったような、何となく古い匂いのする場所だった。貸出業務を担当しているらしい教諭や、集まって何事か話し合っている様子の小さなグループ、それに配布する為の冊子を運んでいる図書委員らしき数人の生徒たち。
それらを横目に、彼らの間を縫うようにしてそろりと漂いながら燈治はあの少年を探して視線を彷徨わせる。
図書室という処には燈治が予想していたよりも多くの人間が行き交っているようだったのだが、ひとりで本を読んでいるような生徒は案外とそう多くはなかった。図書室というのは読書をする為だけに在るのだとばかり思ってきた燈治には、やや意外なことである。
今日は、居ないのだろうか。
本棚と本棚の間を隈なく歩きながら備え付けられた座席を順に見遣りつつ、燈治がそう諦めかけた時。
図書室の、一番奥の窓際。生徒たちの喧騒から一歩離れた場所にぽつりと座る生徒がひとり。

「、」

燈治は緊張にも似た感触を掌に握り締めた。
彼だ。間違いなかった。
あの時、あの廊下で言葉を交わした、あの少年である。幽霊ではないかとさえ思った、あの時の少年がいま確かに燈治の眼前に居るのだ。
やはり、幽霊などではなかった。
途端、燈治の胸に沸いたのは、じんわりとした滲み出るような安堵と妙な感動である。
少年は。昨日見たものと同じような厚さの本を開き、静かな視線を其処へ注いでいた。
その表情は真摯であるようにもつまらなさそうにも見えるのだが、昨日も本を抱えていて、そして今日もこうして本を読んでいるのだから、恐らくは本が好きなのだろう。
ほんとにかわったやつだ。
燈治は改めてそう思った。
しかし、唐突に思い立ってそのままの勢いで図書室にまで乗り込んできたのはいいが、いざ少年を前にすると何と声を掛けるべきなのか判らない。
燈治の目的は、この少年が幽霊でないことを確かめること、である。その手段はといえば話をすることと、眼の前でもう一度よく観察してみることで。しかし、それらを達成する為には、一体何と言うべきなのだろう。話がしたいのだとそのまま言えばいいのだが、昨日廊下で行き合っただけのものに突然そう言われても不審がられるだけではないだろうか。もし燈治が逆の立場であれば、怪訝に思うのは必至である。
さて、これから一体どうしたものかと。そこまで周到に策を準備しないまま勢いだけで此処まで来てしまった燈治は、思わずその場に立ち尽くしてしまったのだが。
さすがに、視界の隅でなにものかが固まっていることに気が付いたのだろう、少年が紙面に注がれていた視線をゆっくりと持ち上げて、燈治の姿を正面からじっと捉えた。
本を読んでいた時と同じく、感情らしい感情の見えぬ黒い色の眼。
燈治の背筋にざわりと戦慄の粒が蘇りかける。しかし、少年は燈治の緊張など素知らぬ顔で、ほんの少しだけその細い首を傾けてみせた。

「……………………なに、机、使いたいの?」

発せられた声音は意外なほど呑気な調子だった。
昨日は雨混じりの曇天模様で、かの廊下はひどく暗かったのだが、今日はといえば快晴ではないにせよ昨日よりは晴れていて、此処は窓に近かったから陽も差している。明るい場所で聞くと、こうも印象が変わるものなのだろうか。
燈治は内心首を捻った。昨日言葉を交わした時には、それはそれは大層不思議な風に響いてきたものだったのだが。果たして明度の問題だけなのだろうか。

「つ、くえ、?」

一瞬、言い掛けられた言葉の意味がよく理解出来ず。咄嗟に何も言葉を探せぬまま燈治がそう繰り返すと、少年はするりと燈治から視線を逸らせた。

「…………別に、いいけど。……俺の机、ってわけじゃないし」

そう言った少年の白いおもてにほんの一滴だけ滲んだその感情の色は一体なんという名であったか。そのとき燈治は、それを知り得なかった。
作品名:結び目 作家名:あや