折れたページの角
最初からそうだったのかもしれない。
遠くて自分では気づかなかっただけで――。
「結弦くんももう高校生かー。ちょっと前まで500円玉を握りしめてマンガ買いに来る小学生だったのになぁ」
目の前で感慨深そうにしているのは、今後俺が働くことになる本屋の店長だ。
高校に入学して、自分の小遣い分くらいは自分で稼ごうと思いアルバイトに応募した。
幸い俺は友人と遊びまわることに楽しみを見出していないし、ファッションにもさほど興味はない。文房具や書籍代、それに妹とたまに遊びにいく程度のお金があれば充分だった。
だから、アルバイトも賃金より環境を優先して選んだ。この本屋は家からも近く、店長とは昔からの顔なじみだ。
「部活はやらないのかい?」
「ええ、特にやりたいこともないですし」
中学時代も帰宅部だった。まだ妹も小さく、共働きの両親に代わって一緒に遊ぶためという理由もあったが、自分自身にそこまで意欲がなかった。
「じゃ、来週からよろしく頼むよ」
「はい。よろしくお願いします」
面接と称しながらもほとんど雑談だったなと思いながら、俺はお辞儀をした。
いつの間にか二学期が始まり、いい加減夏休みボケが治まってきた頃、バイト先の店に見知った顔の奴がいた。
日向だ。同じクラスでありながら、ろくに話したこともないクラスメイト。
日向の周りにはいつも人がいて、楽しそうに騒いでいる。周りにいるのは男子だけでなく女子もいるから、どちらにも好かれるタイプなんだろう。
日向自身人見知りしなさそうだし、見ていた感じ社交的な奴だから、友達の友達が友達になってどんどん友達が増えるタイプだろう。
対して俺は社交的とは言いがたい。話しかけられれば対応するし、人と関わることをさけているわけではないが、自ら積極的に新しい関係を求めようとはしない。だからクラスメイトといえど、ろくに話したことのない人もいる。日向はその内の1人だ。
日向がレジに向かってきているのが見える。挨拶すべきかどうか悩んでいると、向こうから声をかけてきた。
「あれ?同じクラスの音無じゃね?ここでバイトしてんのか」
躊躇いもなく、自然と話しかけてきた日向に感心する。俺にはできない行動だ。
「あ、ああ…お前は日向だよな?部活の帰りか?」
視線を日向の荷物に目を向けながら問うと、日向は屈託の無い笑顔で、野球部なんだと答えた。
ああ、きっとこういう笑顔が人を集めるんだろうなと、その笑顔を目の当たりにして実感する。
「音無の家この辺りなのか?」
「ああ。日向もこの辺りだったんだな」
話してみると日向の家は俺の友人宅のすぐ近くで、自転車ですぐのところだった。その友人は中学校も一緒だったから、日向は私立にでも行っていたのだろうと思ったら、この春に引っ越してきたらしい。
長話をしていると、次のお客さんが来てしまったのでさっさと会計を済ます。
日向は会計後「じゃ、また明日な!」と軽く挨拶をして帰ってしまった。
ろくに話したこともなかったのに苦もなく話せたのは、日向の力だ。
それにしても、日向が近所だったとは知らなかった。最寄り駅も同じはずだが、今まで一度も会ったこともなかったから全く気付かなかった。朝は日向が朝練で早いか遅刻ギリギリだし、帰りも日向は部活か遊びかでまっすぐ帰ることがないだろうから、当たり前といえば当たり前だ。
それよりも驚いたのは、日向が買っていった本がマンガでも野球雑誌でもなく、数学の参考書だったということだ。
「おはよ、音無!」
翌朝SHRギリギリに教室に入ってきた日向と目が合うと、朝から元気な挨拶をよこした。
「ああ、おはよう日向」
昨日までろくに話したこともなかったのに、昨日少し話しただけでこうも親しげにできる日向は、人懐っこくもあるのかもしれない。他人に対しての警戒心があまりないように思える。
挨拶をしたものの、休み時間に会話するということはなかった。
そんな、挨拶だけを交わす日が何日か続いた。
「よっ音無!今日もお勤めごくろーさん」
部活の疲れなど微塵もみせない笑顔で日向が店に入ってきた。
「日向も、部活お疲れ」
日向は軽く部活の話をした後、店の奥にある参考書コーナーへと足を向けた。
意外と勉強熱心なんだろうか。日向の席は俺よりも後ろの方だから、あいつが授業中どんな様子なのかはわからないが、授業中は居眠りして、テストは友達のヤマ勘と一夜漬けで乗り越えるようなイメージがある。
「これ、お願いしまーす」
本棚の前で何冊か手にとっては棚に戻し、しばらくして日向が持ってきたのは、数学?Aの参考書だった。
…前回も数学?Aじゃなかったか…?
そう思いつつも、言い出せず、日向はその参考書を買って帰った。
そしてそれから数週間後。中間テストも終わって、答案用紙が帰ってきた頃。また日向がバイト先にやってきた。
珍しく疲れたような様子でレジに差し出してきた本は、やっぱり数学の参考書だった。
「…なぁ日向…前も数学の参考書買ってたよな?」
話を聞いてみると、一学期末の試験では数学だけ赤点で、親に散々怒られたらしく、二学期の中間では平均点以上取ると約束したそうだ。それなのに今回も赤点で、部活を辞めろと言われているらしい。
「でも俺、部活は絶対辞めたくねーんだ」
あんだけ普段元気な日向がしょぼくれている姿なんて珍しい。でも、部活を辞めたくないと言った日向の目には信念の強さを感じた。
ここまで熱中できる何かのない俺には少し羨ましいものだった。
「日向もしかして…買っていったやつじゃわからなくて、新しいの買っていこうとしてるんじゃないか?」
「そうだぜ?他のやつならわかると思うんだよなー」
やっぱり…。
思わずため息が漏れる。
「あのな、多少相性でわかりやすいわかりにくいはあるかもしれないが、いろんな本に手をだすな。1冊を理解するまで使い込め」
これは大学受験前に数学教師から教えて貰ったことだ。
「そうなのか…?うーん…そっか…音無がそう言うなら…。今持ってるやつでもうちょっと頑張ってみるよ。サンキュ!」
「ああ、部活続けられるといいな」
日向はもう一度礼を言うと、手にしていた参考書を棚に戻し、帰っていった。
きっとここで出会わなければこんなに話すようになることもなかった。
ちょっと前までは目立つやつだなと思ってたくらいだったのに、今ではあいつのやりたいことを応援してしまうくらい、俺も日向に惹かれ始めていることに気づいた。
やっぱり日向には人を魅了する何かがあって、だからいつも周りにあんなに人がいるんだ。
ふと胸の奥に感じた痛みに戸惑いながらも、この気持が何なのか気付き始めていたのかもしれない。
「音無、今ちょっといいか?」
1冊をやり込めと助言してから数日後の昼休み、学校では珍しく日向から俺に話しかけてきた。
「ああ、大丈夫だけど…。珍しいな、学校で話しかけてくるなんて…」
「ちょっと困ったことになっててさ…」
遠くて自分では気づかなかっただけで――。
「結弦くんももう高校生かー。ちょっと前まで500円玉を握りしめてマンガ買いに来る小学生だったのになぁ」
目の前で感慨深そうにしているのは、今後俺が働くことになる本屋の店長だ。
高校に入学して、自分の小遣い分くらいは自分で稼ごうと思いアルバイトに応募した。
幸い俺は友人と遊びまわることに楽しみを見出していないし、ファッションにもさほど興味はない。文房具や書籍代、それに妹とたまに遊びにいく程度のお金があれば充分だった。
だから、アルバイトも賃金より環境を優先して選んだ。この本屋は家からも近く、店長とは昔からの顔なじみだ。
「部活はやらないのかい?」
「ええ、特にやりたいこともないですし」
中学時代も帰宅部だった。まだ妹も小さく、共働きの両親に代わって一緒に遊ぶためという理由もあったが、自分自身にそこまで意欲がなかった。
「じゃ、来週からよろしく頼むよ」
「はい。よろしくお願いします」
面接と称しながらもほとんど雑談だったなと思いながら、俺はお辞儀をした。
いつの間にか二学期が始まり、いい加減夏休みボケが治まってきた頃、バイト先の店に見知った顔の奴がいた。
日向だ。同じクラスでありながら、ろくに話したこともないクラスメイト。
日向の周りにはいつも人がいて、楽しそうに騒いでいる。周りにいるのは男子だけでなく女子もいるから、どちらにも好かれるタイプなんだろう。
日向自身人見知りしなさそうだし、見ていた感じ社交的な奴だから、友達の友達が友達になってどんどん友達が増えるタイプだろう。
対して俺は社交的とは言いがたい。話しかけられれば対応するし、人と関わることをさけているわけではないが、自ら積極的に新しい関係を求めようとはしない。だからクラスメイトといえど、ろくに話したことのない人もいる。日向はその内の1人だ。
日向がレジに向かってきているのが見える。挨拶すべきかどうか悩んでいると、向こうから声をかけてきた。
「あれ?同じクラスの音無じゃね?ここでバイトしてんのか」
躊躇いもなく、自然と話しかけてきた日向に感心する。俺にはできない行動だ。
「あ、ああ…お前は日向だよな?部活の帰りか?」
視線を日向の荷物に目を向けながら問うと、日向は屈託の無い笑顔で、野球部なんだと答えた。
ああ、きっとこういう笑顔が人を集めるんだろうなと、その笑顔を目の当たりにして実感する。
「音無の家この辺りなのか?」
「ああ。日向もこの辺りだったんだな」
話してみると日向の家は俺の友人宅のすぐ近くで、自転車ですぐのところだった。その友人は中学校も一緒だったから、日向は私立にでも行っていたのだろうと思ったら、この春に引っ越してきたらしい。
長話をしていると、次のお客さんが来てしまったのでさっさと会計を済ます。
日向は会計後「じゃ、また明日な!」と軽く挨拶をして帰ってしまった。
ろくに話したこともなかったのに苦もなく話せたのは、日向の力だ。
それにしても、日向が近所だったとは知らなかった。最寄り駅も同じはずだが、今まで一度も会ったこともなかったから全く気付かなかった。朝は日向が朝練で早いか遅刻ギリギリだし、帰りも日向は部活か遊びかでまっすぐ帰ることがないだろうから、当たり前といえば当たり前だ。
それよりも驚いたのは、日向が買っていった本がマンガでも野球雑誌でもなく、数学の参考書だったということだ。
「おはよ、音無!」
翌朝SHRギリギリに教室に入ってきた日向と目が合うと、朝から元気な挨拶をよこした。
「ああ、おはよう日向」
昨日までろくに話したこともなかったのに、昨日少し話しただけでこうも親しげにできる日向は、人懐っこくもあるのかもしれない。他人に対しての警戒心があまりないように思える。
挨拶をしたものの、休み時間に会話するということはなかった。
そんな、挨拶だけを交わす日が何日か続いた。
「よっ音無!今日もお勤めごくろーさん」
部活の疲れなど微塵もみせない笑顔で日向が店に入ってきた。
「日向も、部活お疲れ」
日向は軽く部活の話をした後、店の奥にある参考書コーナーへと足を向けた。
意外と勉強熱心なんだろうか。日向の席は俺よりも後ろの方だから、あいつが授業中どんな様子なのかはわからないが、授業中は居眠りして、テストは友達のヤマ勘と一夜漬けで乗り越えるようなイメージがある。
「これ、お願いしまーす」
本棚の前で何冊か手にとっては棚に戻し、しばらくして日向が持ってきたのは、数学?Aの参考書だった。
…前回も数学?Aじゃなかったか…?
そう思いつつも、言い出せず、日向はその参考書を買って帰った。
そしてそれから数週間後。中間テストも終わって、答案用紙が帰ってきた頃。また日向がバイト先にやってきた。
珍しく疲れたような様子でレジに差し出してきた本は、やっぱり数学の参考書だった。
「…なぁ日向…前も数学の参考書買ってたよな?」
話を聞いてみると、一学期末の試験では数学だけ赤点で、親に散々怒られたらしく、二学期の中間では平均点以上取ると約束したそうだ。それなのに今回も赤点で、部活を辞めろと言われているらしい。
「でも俺、部活は絶対辞めたくねーんだ」
あんだけ普段元気な日向がしょぼくれている姿なんて珍しい。でも、部活を辞めたくないと言った日向の目には信念の強さを感じた。
ここまで熱中できる何かのない俺には少し羨ましいものだった。
「日向もしかして…買っていったやつじゃわからなくて、新しいの買っていこうとしてるんじゃないか?」
「そうだぜ?他のやつならわかると思うんだよなー」
やっぱり…。
思わずため息が漏れる。
「あのな、多少相性でわかりやすいわかりにくいはあるかもしれないが、いろんな本に手をだすな。1冊を理解するまで使い込め」
これは大学受験前に数学教師から教えて貰ったことだ。
「そうなのか…?うーん…そっか…音無がそう言うなら…。今持ってるやつでもうちょっと頑張ってみるよ。サンキュ!」
「ああ、部活続けられるといいな」
日向はもう一度礼を言うと、手にしていた参考書を棚に戻し、帰っていった。
きっとここで出会わなければこんなに話すようになることもなかった。
ちょっと前までは目立つやつだなと思ってたくらいだったのに、今ではあいつのやりたいことを応援してしまうくらい、俺も日向に惹かれ始めていることに気づいた。
やっぱり日向には人を魅了する何かがあって、だからいつも周りにあんなに人がいるんだ。
ふと胸の奥に感じた痛みに戸惑いながらも、この気持が何なのか気付き始めていたのかもしれない。
「音無、今ちょっといいか?」
1冊をやり込めと助言してから数日後の昼休み、学校では珍しく日向から俺に話しかけてきた。
「ああ、大丈夫だけど…。珍しいな、学校で話しかけてくるなんて…」
「ちょっと困ったことになっててさ…」