あともう少し
折原臨也と彼女との出会いは彼が高校生の時のことだった。
「い゛ぃ゛ーざぁ゛ーや゛ぁ゛ぁ゛ー!!」
それは例のごとく彼が仇敵に追いかけられていた日のことだったはずだ。
野太く、猛々しい、まるで狂暴な獣のような声を背に、臨也は物怖じ一つせずに逃げ込んだ先の公園で。
騒々しい音が通り過ぎたかと思えば、あっと言う間に小さくなっていく。
そうして声の主の気配が消えると、何事もなかったように、彼は服についた草を払いながら隠れていた茂みの中から姿を現した。そうやってのんびりと公園内を歩き始める。
もう桜も散って、遅咲きの桜がちらほらまだ花を咲かせているという時分だったはずだ。その公園では日当たりが悪いところにあるせいか、八重桜がまだまだたくさんその桃色を見せていた。
そんな日だったと思う。
薄い桃色の花びらがひらひらとまう中で一人の少女がベンチに座っていた。
黒い艶のある長い髪が風になびいて、周りの鮮やかな色をした風景に一際映えていた。
そして他校の制服で身を包み、きれいな白い肌をした手が文庫本を持って開いていた。
春の晴れやかな陽気の中、姿勢良くベンチに座って本を読む少女の姿があまりに画になっていたものだから、臨也はそれをぼうっと眺めながら突っ立っていた。はっと我に帰った彼はふと、話しかけてみようか、と思いたった。
もとより彼は行動的で好奇心が旺盛だったので、何のためらいもなく少女へ近づけた。
今はもう忘れてしまったが、少女はとても美人だった。
少女は彼よりは年上に見えた。少女というには大人びているようにも見えた。
ただ物憂げな、どこか陰のある表情が印象的だった。
と、臨也は今思い返してみて、そう思ったと記憶している。
「こんにちは」
彼はそう話しかけた。
いきなり見知らぬ少年に話しかけられて驚いたのか何なのか、少しの間をおいて、
「こんにちは」
彼女は返した。それはまた綺麗な声だった。
それから彼は彼女の隣に座って何かを話した。
何を話したかはやはり覚えていないが、天気がいいね、どこの学校か、何という本か、などというようなことを話したと思う。
そうして少し話して、その日はそのままそこを離れた。
次の日、彼がなんとなくそこへ行けば、彼女は前日と同じようにそこにいた。
ただ、眠っているかのように目を閉じて、閉じられた本は両手と一緒に膝の上にあった。彼が近づいても、気づかないのか、彼女は目を閉じていた。
そこに、桜の花びらがひらひら落ちてきたかと思えば、彼女の頭にふわりと着地した。
そっと彼がそれを取ろうと彼女の頭へ手をのばすと、彼女のその目が音もなく開いた。二人ともびくりと互いに身を引いて固まった。
「・・・何?」
「あ、いや、花びら、取ろうと思って。君の頭の」
「花びら?」
彼女は訝しげに頭に手をやったが、見えない物はなかなか取れない。彼はまたそっと手を出してそれをつまむと、差し出すように彼女に見せてやった。
「・・・ありがとう」
ふわりと風が彼の手から花びらをさらっていった。