affogato(サンプル)
南イタリアのある地方。
有名な観光地のような派手さはないものの、年間を通して温暖な気候と美しい景観に恵まれたその場所は、知る人ぞ知る、秘かな人気のある土地だった。
そんな土地に店を構えているカフェのオープンテラス。海に向けて張り出した広いテラスからは、どこまでも青く広がる美しい地中海が一望できる。
地元の人間らしいマダムたちがお喋りをしている片隅で、一人の女性が静かに午後のひと時を過ごしていた。明らかにこの土地の人間ではない東洋系の面差しは、特徴的な眼帯と相まって神秘的な雰囲気を醸し出している。
多くの旅行者がするように、手元にはどこかで買い求めたらしい絵葉書が広げられていた。一体誰に宛てて書いているものなのだろうかと、店のウェイターたちは秘かに好奇心に満ちた視線を彼女に送る。控えめながらも彼らがそんな様子を見せるのは、客のプライバシーを尊重する方針のこの店では非常に珍しいことだった。それなりの教育を受けているため、不必要な接触を持とうとまではしていなかったが、もしそれがなければテーブルの担当も関係なく我先にと争うように彼女の元へ向かった事だろう。美しい女性を見慣れている南イタリアの男たちの目からみても、彼女はなんとも言えない不思議な魅力が漂う女性だった。
そんな熱い視線を注がれているとも知らず、彼女は絵葉書を前にどんな文章を綴ろうかと悩みながら、ゆっくりと丁寧に文字を綴っていく。
横書きで書かれているのはアルファベットではない。漢字と平仮名が織り交ぜられた日本語の文章だった。仮にこの場に居る誰かが彼女の手元を覗きこんだところで、一体どんな文章を綴っているのか意味を知ることはない。そもそもこの辺りの土地には日本語を解する人間はほとんど居ない。
果たして彼女の手元にある絵葉書が、家族に向けてなのか恋人に向けて宛てられているのか、周囲の人間はただ想像するのみだった。
ある一人を除いては。
「クローム」
低い男の声が彼女に呼びかけた。
顔を上げた彼女は顔を上げ、呼びかけた相手を目にした途端、ぱっと花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「骸様」
立ち上がると同時にワンピースの裾がふわりと揺れる。
この場所で待ち合わせをしていたのだろうか、一人の美しい男が彼女のすぐ傍に佇んでいた。見るからに仕事帰りらしく、黒いスーツに身を包み、長い髪を後ろで簡単にまとめている。手には薄手のアタッシュケースを持っているだけだった。
二人揃って並んだ様は、思わず目を奪われる。けれども悪目立ちするような派手さまではなく、どこか同じような空気を纏った彼らは、その場の空気に溶け込むように存在していた。事実、近くの席に居たマダムたちも一瞬お喋りを止め、彼らの方を見たが、すぐに何でもなかったかのように視線を逸らした。見られた二人がそれを気にした様子は全く無い。
こちらの暮らしが長いのか、彼らは顔を近づけ、ごく自然な動作で互いの頬に軽く唇を寄せた。
「今回はお前の方が先に仕事が片付いたようですね。待たせてしまいましたか?」
「いいえ、ちっとも」
申し訳なさ気な雰囲気の男の言葉に、彼女の方は軽やかに否定をした。
傍から見ればごくありきたりな親しい男女のやりとりに過ぎない。だが果たしてこの場に居る何人が、この男女が六道骸とクローム髑髏であると知り得る事ができるだろうか。
不本意とはいえ、大マフィア・ボンゴレの霧の守護者の立場にある彼らは、その守護者の名に冠される通り、実態のつかめぬ霧のように、ごく限られた人間にしか己の正体を知られてはいない。
「そうですか。それなら良いですが」
とても裏世界に身を置く者と思えないほど穏やかに笑みを浮かべる男に、彼女も久しぶりに会う嬉しさから笑み返さずにはいられないようだ。彼の姿を目にしてからずっと、彼女は幸せそうな笑みばかりを浮かべている。
ここ最近は裏のルートで回って来る仕事であったり、そこから派生する雑務などに追われ、なかなか本来のアジトで時間を過ごす事も少なくなっていた。そうなれば自然と互い時間が重なる事も少なくなり、すれ違いが続く場面が多くなっていた。
だからこうして次の仕事の合間を縫い、束の間の休息を過ごすようになったのは自然な流れだった。どちらから言い出したかはもはや定かではないが、どうせならば一人きりで休息を過ごすより、可能な限り親しい人間と過ごす方が好ましい。
たったそれだけの単純な理由が今の彼らには最も重要であった。
久しぶりに見るクロームの姿に目を細め、骸は彼女の隣に腰を下した。小腹が空いていたのか、通りかかったウェイターにカフェと甘いカンノーロを注文する。
同じように腰を下したクロームの方に目をやると、彼女がテーブルの上に広げていた絵葉書が自然と目に入った。
「手紙ですか?」
誰に、と言外に問いかける声色に、嬉しげに彼女は笑みを浮かべた。
「ボスに。綺麗な絵葉書を見つけたから、ボスに見せてあげようと思って。
きっとボス、お仕事で疲れてるだろうから」
「そうですか。まあ彼ならイタリア語や英語よりも、日本語で文章を書いてあげた方がわかりやすくて良いでしょうしね」
軽く小馬鹿にしたような口調はクロームに対してではなく、この場には居ない人物に向けてのものだ。
骸にとってはあまり好ましくない類の人間であるその人物とクロームとは、比較的親しく交流を深めており、それがまた彼にとっては気に食わなくもあるのだが、不思議とその交流自体を強引に止めさせることはしなかった。
きっと彼が一言告げれば彼女は容易に綱吉との交流を絶つだろう。そして綱吉の側もそれを仕方ないとして受け入れる事だろう。たったそれだけの事であるのに骸がそうはしないのは、結局のところクロームの事を考えたためだと言えた。
少し待っていてくださいね、と言いながらクロームは嬉しそうに絵葉書の残りのスペースにペンを走らせる。そんな彼女の横顔を見ながら飲み物を口に運ぶ骸の顔には、とても穏やかな表情が浮かんでいた。そうして和やかな時間を過ごしている二人の様は、まるきり束の間のバカンスを楽しむ恋人同士でしかなかった。
※以下エロシーンの触り部分です。少しでも苦手な方はご注意ください。
互いの声色は何もせずとも既に上ずっていたし、テーブルの上で触れあわせた指先がやけに熱を帯びていた。
そこからの記憶は曖昧だ。
いつ車が到着して、どうエスコートをしながら乗り込んだのか記憶が定かではない。
帰りの車の中で、運転手の存在も気にせずにどちらからもとなく指を絡めて肩を寄せ合った。唇を擦り合わせるようなキスを何度も繰り返した。
部屋へと向かうエレベーターの中、ドアが閉じた途端に互いの体を求めて抱き合い、貪るようにして唇を重ねあった。誰かが乗り込んでくることなど考えもしていなかった。
キスはほろ苦いアフォガートの味がした。
呼吸の合間に視線ですらも絡ませ合う。瞳が潤んでいるのは、情欲の熱が体内で燻ぶりきってしまっているからだと、確認せずともわかりきっていた。
骸は言うまでもないことだが、普段は何事も控えめなクロームの方も珍しいことにとても積極的で、沸き起こる欲望を抑えきれずに本能のままに従っている、そんな様子だった。
有名な観光地のような派手さはないものの、年間を通して温暖な気候と美しい景観に恵まれたその場所は、知る人ぞ知る、秘かな人気のある土地だった。
そんな土地に店を構えているカフェのオープンテラス。海に向けて張り出した広いテラスからは、どこまでも青く広がる美しい地中海が一望できる。
地元の人間らしいマダムたちがお喋りをしている片隅で、一人の女性が静かに午後のひと時を過ごしていた。明らかにこの土地の人間ではない東洋系の面差しは、特徴的な眼帯と相まって神秘的な雰囲気を醸し出している。
多くの旅行者がするように、手元にはどこかで買い求めたらしい絵葉書が広げられていた。一体誰に宛てて書いているものなのだろうかと、店のウェイターたちは秘かに好奇心に満ちた視線を彼女に送る。控えめながらも彼らがそんな様子を見せるのは、客のプライバシーを尊重する方針のこの店では非常に珍しいことだった。それなりの教育を受けているため、不必要な接触を持とうとまではしていなかったが、もしそれがなければテーブルの担当も関係なく我先にと争うように彼女の元へ向かった事だろう。美しい女性を見慣れている南イタリアの男たちの目からみても、彼女はなんとも言えない不思議な魅力が漂う女性だった。
そんな熱い視線を注がれているとも知らず、彼女は絵葉書を前にどんな文章を綴ろうかと悩みながら、ゆっくりと丁寧に文字を綴っていく。
横書きで書かれているのはアルファベットではない。漢字と平仮名が織り交ぜられた日本語の文章だった。仮にこの場に居る誰かが彼女の手元を覗きこんだところで、一体どんな文章を綴っているのか意味を知ることはない。そもそもこの辺りの土地には日本語を解する人間はほとんど居ない。
果たして彼女の手元にある絵葉書が、家族に向けてなのか恋人に向けて宛てられているのか、周囲の人間はただ想像するのみだった。
ある一人を除いては。
「クローム」
低い男の声が彼女に呼びかけた。
顔を上げた彼女は顔を上げ、呼びかけた相手を目にした途端、ぱっと花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「骸様」
立ち上がると同時にワンピースの裾がふわりと揺れる。
この場所で待ち合わせをしていたのだろうか、一人の美しい男が彼女のすぐ傍に佇んでいた。見るからに仕事帰りらしく、黒いスーツに身を包み、長い髪を後ろで簡単にまとめている。手には薄手のアタッシュケースを持っているだけだった。
二人揃って並んだ様は、思わず目を奪われる。けれども悪目立ちするような派手さまではなく、どこか同じような空気を纏った彼らは、その場の空気に溶け込むように存在していた。事実、近くの席に居たマダムたちも一瞬お喋りを止め、彼らの方を見たが、すぐに何でもなかったかのように視線を逸らした。見られた二人がそれを気にした様子は全く無い。
こちらの暮らしが長いのか、彼らは顔を近づけ、ごく自然な動作で互いの頬に軽く唇を寄せた。
「今回はお前の方が先に仕事が片付いたようですね。待たせてしまいましたか?」
「いいえ、ちっとも」
申し訳なさ気な雰囲気の男の言葉に、彼女の方は軽やかに否定をした。
傍から見ればごくありきたりな親しい男女のやりとりに過ぎない。だが果たしてこの場に居る何人が、この男女が六道骸とクローム髑髏であると知り得る事ができるだろうか。
不本意とはいえ、大マフィア・ボンゴレの霧の守護者の立場にある彼らは、その守護者の名に冠される通り、実態のつかめぬ霧のように、ごく限られた人間にしか己の正体を知られてはいない。
「そうですか。それなら良いですが」
とても裏世界に身を置く者と思えないほど穏やかに笑みを浮かべる男に、彼女も久しぶりに会う嬉しさから笑み返さずにはいられないようだ。彼の姿を目にしてからずっと、彼女は幸せそうな笑みばかりを浮かべている。
ここ最近は裏のルートで回って来る仕事であったり、そこから派生する雑務などに追われ、なかなか本来のアジトで時間を過ごす事も少なくなっていた。そうなれば自然と互い時間が重なる事も少なくなり、すれ違いが続く場面が多くなっていた。
だからこうして次の仕事の合間を縫い、束の間の休息を過ごすようになったのは自然な流れだった。どちらから言い出したかはもはや定かではないが、どうせならば一人きりで休息を過ごすより、可能な限り親しい人間と過ごす方が好ましい。
たったそれだけの単純な理由が今の彼らには最も重要であった。
久しぶりに見るクロームの姿に目を細め、骸は彼女の隣に腰を下した。小腹が空いていたのか、通りかかったウェイターにカフェと甘いカンノーロを注文する。
同じように腰を下したクロームの方に目をやると、彼女がテーブルの上に広げていた絵葉書が自然と目に入った。
「手紙ですか?」
誰に、と言外に問いかける声色に、嬉しげに彼女は笑みを浮かべた。
「ボスに。綺麗な絵葉書を見つけたから、ボスに見せてあげようと思って。
きっとボス、お仕事で疲れてるだろうから」
「そうですか。まあ彼ならイタリア語や英語よりも、日本語で文章を書いてあげた方がわかりやすくて良いでしょうしね」
軽く小馬鹿にしたような口調はクロームに対してではなく、この場には居ない人物に向けてのものだ。
骸にとってはあまり好ましくない類の人間であるその人物とクロームとは、比較的親しく交流を深めており、それがまた彼にとっては気に食わなくもあるのだが、不思議とその交流自体を強引に止めさせることはしなかった。
きっと彼が一言告げれば彼女は容易に綱吉との交流を絶つだろう。そして綱吉の側もそれを仕方ないとして受け入れる事だろう。たったそれだけの事であるのに骸がそうはしないのは、結局のところクロームの事を考えたためだと言えた。
少し待っていてくださいね、と言いながらクロームは嬉しそうに絵葉書の残りのスペースにペンを走らせる。そんな彼女の横顔を見ながら飲み物を口に運ぶ骸の顔には、とても穏やかな表情が浮かんでいた。そうして和やかな時間を過ごしている二人の様は、まるきり束の間のバカンスを楽しむ恋人同士でしかなかった。
※以下エロシーンの触り部分です。少しでも苦手な方はご注意ください。
互いの声色は何もせずとも既に上ずっていたし、テーブルの上で触れあわせた指先がやけに熱を帯びていた。
そこからの記憶は曖昧だ。
いつ車が到着して、どうエスコートをしながら乗り込んだのか記憶が定かではない。
帰りの車の中で、運転手の存在も気にせずにどちらからもとなく指を絡めて肩を寄せ合った。唇を擦り合わせるようなキスを何度も繰り返した。
部屋へと向かうエレベーターの中、ドアが閉じた途端に互いの体を求めて抱き合い、貪るようにして唇を重ねあった。誰かが乗り込んでくることなど考えもしていなかった。
キスはほろ苦いアフォガートの味がした。
呼吸の合間に視線ですらも絡ませ合う。瞳が潤んでいるのは、情欲の熱が体内で燻ぶりきってしまっているからだと、確認せずともわかりきっていた。
骸は言うまでもないことだが、普段は何事も控えめなクロームの方も珍しいことにとても積極的で、沸き起こる欲望を抑えきれずに本能のままに従っている、そんな様子だった。
作品名:affogato(サンプル) 作家名:ヒロオ