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一回目。
「貴方は綺麗だな」
見つめる瞳は青空だ。この星の色だ。真っ直ぐに、私を貫く。
書記官でありながらその手に武器を携える彼は強い。その身体は勿論だが、何より彼に宿る心が強いのだ。
愚直、と言ってしまえばそれまでだ。しかしその言葉で片付けてしまう事こそ愚かだというものだ。
彼は強い。無垢で、真っ直ぐで、そして純粋だ。だからこんな事を平気で言える。
「それは、どうも」
何気ないフリをして流そうとする。仮面を被る。仮にも天使たるものが、人間の一言で動揺するなど。あってはならない事だ。有り得ない事だ。
そんな私の心の内を知ってか知らずか、目の前の男はまたもや爆弾発言をした。
「どうやら私は、貴方が好きみたいだ」
天使にもうっかり聞き間違える事があるのか。
人間を超越したとはいえ全知全能の神には遠く及ばない。だから堕天などするのだ。おかげで私はこの人間をサポートする役目を担う事になってしまった。それが仕事なのだから文句は言わないが。
・・・・・と、どうでもいい事を考えていると、男・・・イーノックが、怪訝な顔でこちらを見てきた。そんな顔をしたいのは私の方だ。
「・・・・・人間の同性愛は禁じられている筈だが?」
「貴方は人間ではないだろ?」
「そうだが」
「なら、いいではないか。それにこれは自己満足だ。別に貴方とどうにかなりたい訳ではない」
それはそれで、どうなんだ。
沸き上がる疑問に引っ掛かる気持ちは無視をする。追究したらドツボに嵌まりそうで面倒だ。時間は沢山ある。これはまた今度考える事にしよう。
「気持ちは有り難く受け取っておこう。それよりそろそろ時間だ」
そう、時間は沢山ある。しかし彼にとっての「今」は有限だ。タイムリミットまでに目的を果たさなければならない。
「では、行ってくる」
「ああ、気をつけて」
去り際に見せた彼の笑顔に、少し胸のあたりが苦しくなった、気がした。
二回目。
「随分と酷くやられたな」
ぽっかりと開いた青い瞳を覗き込み、軽い調子で話し掛ける。
そこに映りこむ自分の赤を見返せば、何時もとなんら変わらない姿がそこにあった。
「・・・・・?何の事だ」
そう、何時もと変わらない。けれど彼の何時もと私の何時もは違う。こちらの時とあちらの時は違うから、私がこちらの時のまま彼に接すると齟齬が生じる。
彼は新しい世界に生まれた。そしてこれは彼にとっては一本の道で、彼の目の前には未知の世界が広がっている
「ああ・・・君には昨日の話だったな。いや明日か?」
「尚更分からないのだが」
「いいんだ、分からないままで。こちらの話だ」
違う時を生きるというのも面倒だ。しかしこうでもしなければ、彼にとっての最善の選択肢に辿り着けない。
無限とも思える未来の中から、彼の「一番」を選ばなければならない。気が遠くなりそうな話だが、彼にとっては一本の道だ。そうなるようにサポートするのが私の役目だ。
「さあ、そろそろ時間だ。準備はいいか?」
「ちょっと待ってくれ」
「・・・・・?何だ?」
青の瞳がこちらを見つめる。真っ直ぐに私を貫く。
嗚呼、これは見覚えのある瞳だ。
「・・・・・まあ、いいか。帰ったらまた話す」
「・・・・・いいのか?」
「ああ。では、行ってくる」
地上へと消える後ろ姿を見ながら、「また」は多分無いのだろうな、と思った。
それはきっと前にも聞いた言葉なのだろう。けれど、今の彼の口から聞けない事は、少しだけ残念だった。
三回目。
何時もと同じように地上へ赴いた彼が帰ってきた。
鎧は砕かれ、身体には無数の傷痕が刻まれていたが、それでも彼は帰ってきた。
ぼたぼたと音を立てて流れ出す血はどこまでも赤く、彼の足元を汚す。立っているのもやっとだろう。荒い息は切れ切れで、時折咳込んだかと思うとその口からも血を吐き出した。
駆け寄って彼の肩を掴むと、その身体がぐらりと傾く。立つのもやっとの彼を抱き寄せ、胸に抱いたまま静かに横たえた。
「・・・・・ルシ・・・フェ、ル」
「ああ。何だ?」
「私、は・・・・・死ぬ・・・の、か」
呼吸をするのも辛いだろう。ぜえぜえと息を切らしながらそれでも彼はその口を閉ざさなかった。
「大丈夫だ。またやり直そう。最善の選択ができるまで、私は何度でも付き合うよ」
「・・・ルシ、フェル・・・・・そこ、に・・・居る・・・か?」
「ああ。居るよ、イーノック。私はここに居る」
返り血か自身の血か。とにかく赤に汚された頬を撫でてやれば、その口からほう、と安堵の息が漏れた。
青い瞳は私を映すが、彼の目にはもう見えないのだろう。見つめ返す赤の瞳は何時も通りだ。そう、何時もと同じ。
「・・・・・私は・・・貴方に、伝える・・・事、が・・・」
嗚呼、またか。
この男も飽きないものだ。そう思った。彼はこれが初めてだが、私にとってはもう三回目だ。何時もと同じ。続く言葉も同じだろう。
「私は、貴方が・・・・・」
「ああ」
「・・・・・」
「・・・イーノック?」
すう、と静かに息を吐き出して。
抱きしめた身体が急に弛緩した。
途端、腕の中の彼がずしりと重くなる。
顔を覗くと、ガラスの様に透明な青い瞳があった。いくら見つめても、青色がもう見つめ返す事は無い。
「イーノック」
もう一度、名前を呼ぶ。反応は無い。そこにあるのはただの死体だった。
「イーノック・・・」
嗚呼、またか。
また、私は聞きそびれたな。これは二回目か。
また、やり直しか。
時間は無限だ。その中で、私は「また」を何度繰り返すのだろう。
まだ暖かい身体を抱きしめる。今回はこれで終わりだ。次にいけば、再び何時も通りだ。
けれど、彼の今はもう二度と訪れない。ここで冷たくなっていく彼に「また」はもう無いのだ。それが、やはり少しだけ残念だった。
四回目。
金色の髪が風に靡く。
きらきらと、光を反射して輝くそれはとても綺麗で。泥や血に汚れていた記憶が嘘のようだ。
いや、今の彼にとっては嘘なのだろう。
道は一つ。彼は常に最善の未来を選ぶ。そうやってここまで来た。問題はこの先だ。
こうやって見送るのも四回目だな、ぼんやりと考えていると、突然彼が振り向いた。
「なあ、ルシフェル」
「・・・・・何だ」
途切れ途切れの彼の言葉を思い出す。彼は死んだ。けれど彼は生きている。
ギャップに頭を抱えそうになりながら言葉の続きを促す。もしあの言葉だったら、私は何と言うだろう。一回目と同じ様に返すのか。それとも。
「この世界は、美しいな」
しかし彼の口から出てきた言葉は、全くの見当違いだった。肩の力が抜ける。いや、何故私は構えているのだ。
「この美しい世界を、守りたいと思うんだ」
そう言って、青い世界を青い瞳で見つめた。
神が滅ぼそうとしている世界を、この男は美しいと言う。守りたいと言う。
お前から見える世界はどんな色をしているんだ?一度、お前の瞳でこの世界を見てみたいよ。さぞかし美しい色をしているんだろうな。
嗚呼けれど、私の目には赤い世界しか見えないんだ。赤い赤い、彼の血の色の。
「貴方は綺麗だな」
見つめる瞳は青空だ。この星の色だ。真っ直ぐに、私を貫く。
書記官でありながらその手に武器を携える彼は強い。その身体は勿論だが、何より彼に宿る心が強いのだ。
愚直、と言ってしまえばそれまでだ。しかしその言葉で片付けてしまう事こそ愚かだというものだ。
彼は強い。無垢で、真っ直ぐで、そして純粋だ。だからこんな事を平気で言える。
「それは、どうも」
何気ないフリをして流そうとする。仮面を被る。仮にも天使たるものが、人間の一言で動揺するなど。あってはならない事だ。有り得ない事だ。
そんな私の心の内を知ってか知らずか、目の前の男はまたもや爆弾発言をした。
「どうやら私は、貴方が好きみたいだ」
天使にもうっかり聞き間違える事があるのか。
人間を超越したとはいえ全知全能の神には遠く及ばない。だから堕天などするのだ。おかげで私はこの人間をサポートする役目を担う事になってしまった。それが仕事なのだから文句は言わないが。
・・・・・と、どうでもいい事を考えていると、男・・・イーノックが、怪訝な顔でこちらを見てきた。そんな顔をしたいのは私の方だ。
「・・・・・人間の同性愛は禁じられている筈だが?」
「貴方は人間ではないだろ?」
「そうだが」
「なら、いいではないか。それにこれは自己満足だ。別に貴方とどうにかなりたい訳ではない」
それはそれで、どうなんだ。
沸き上がる疑問に引っ掛かる気持ちは無視をする。追究したらドツボに嵌まりそうで面倒だ。時間は沢山ある。これはまた今度考える事にしよう。
「気持ちは有り難く受け取っておこう。それよりそろそろ時間だ」
そう、時間は沢山ある。しかし彼にとっての「今」は有限だ。タイムリミットまでに目的を果たさなければならない。
「では、行ってくる」
「ああ、気をつけて」
去り際に見せた彼の笑顔に、少し胸のあたりが苦しくなった、気がした。
二回目。
「随分と酷くやられたな」
ぽっかりと開いた青い瞳を覗き込み、軽い調子で話し掛ける。
そこに映りこむ自分の赤を見返せば、何時もとなんら変わらない姿がそこにあった。
「・・・・・?何の事だ」
そう、何時もと変わらない。けれど彼の何時もと私の何時もは違う。こちらの時とあちらの時は違うから、私がこちらの時のまま彼に接すると齟齬が生じる。
彼は新しい世界に生まれた。そしてこれは彼にとっては一本の道で、彼の目の前には未知の世界が広がっている
「ああ・・・君には昨日の話だったな。いや明日か?」
「尚更分からないのだが」
「いいんだ、分からないままで。こちらの話だ」
違う時を生きるというのも面倒だ。しかしこうでもしなければ、彼にとっての最善の選択肢に辿り着けない。
無限とも思える未来の中から、彼の「一番」を選ばなければならない。気が遠くなりそうな話だが、彼にとっては一本の道だ。そうなるようにサポートするのが私の役目だ。
「さあ、そろそろ時間だ。準備はいいか?」
「ちょっと待ってくれ」
「・・・・・?何だ?」
青の瞳がこちらを見つめる。真っ直ぐに私を貫く。
嗚呼、これは見覚えのある瞳だ。
「・・・・・まあ、いいか。帰ったらまた話す」
「・・・・・いいのか?」
「ああ。では、行ってくる」
地上へと消える後ろ姿を見ながら、「また」は多分無いのだろうな、と思った。
それはきっと前にも聞いた言葉なのだろう。けれど、今の彼の口から聞けない事は、少しだけ残念だった。
三回目。
何時もと同じように地上へ赴いた彼が帰ってきた。
鎧は砕かれ、身体には無数の傷痕が刻まれていたが、それでも彼は帰ってきた。
ぼたぼたと音を立てて流れ出す血はどこまでも赤く、彼の足元を汚す。立っているのもやっとだろう。荒い息は切れ切れで、時折咳込んだかと思うとその口からも血を吐き出した。
駆け寄って彼の肩を掴むと、その身体がぐらりと傾く。立つのもやっとの彼を抱き寄せ、胸に抱いたまま静かに横たえた。
「・・・・・ルシ・・・フェ、ル」
「ああ。何だ?」
「私、は・・・・・死ぬ・・・の、か」
呼吸をするのも辛いだろう。ぜえぜえと息を切らしながらそれでも彼はその口を閉ざさなかった。
「大丈夫だ。またやり直そう。最善の選択ができるまで、私は何度でも付き合うよ」
「・・・ルシ、フェル・・・・・そこ、に・・・居る・・・か?」
「ああ。居るよ、イーノック。私はここに居る」
返り血か自身の血か。とにかく赤に汚された頬を撫でてやれば、その口からほう、と安堵の息が漏れた。
青い瞳は私を映すが、彼の目にはもう見えないのだろう。見つめ返す赤の瞳は何時も通りだ。そう、何時もと同じ。
「・・・・・私は・・・貴方に、伝える・・・事、が・・・」
嗚呼、またか。
この男も飽きないものだ。そう思った。彼はこれが初めてだが、私にとってはもう三回目だ。何時もと同じ。続く言葉も同じだろう。
「私は、貴方が・・・・・」
「ああ」
「・・・・・」
「・・・イーノック?」
すう、と静かに息を吐き出して。
抱きしめた身体が急に弛緩した。
途端、腕の中の彼がずしりと重くなる。
顔を覗くと、ガラスの様に透明な青い瞳があった。いくら見つめても、青色がもう見つめ返す事は無い。
「イーノック」
もう一度、名前を呼ぶ。反応は無い。そこにあるのはただの死体だった。
「イーノック・・・」
嗚呼、またか。
また、私は聞きそびれたな。これは二回目か。
また、やり直しか。
時間は無限だ。その中で、私は「また」を何度繰り返すのだろう。
まだ暖かい身体を抱きしめる。今回はこれで終わりだ。次にいけば、再び何時も通りだ。
けれど、彼の今はもう二度と訪れない。ここで冷たくなっていく彼に「また」はもう無いのだ。それが、やはり少しだけ残念だった。
四回目。
金色の髪が風に靡く。
きらきらと、光を反射して輝くそれはとても綺麗で。泥や血に汚れていた記憶が嘘のようだ。
いや、今の彼にとっては嘘なのだろう。
道は一つ。彼は常に最善の未来を選ぶ。そうやってここまで来た。問題はこの先だ。
こうやって見送るのも四回目だな、ぼんやりと考えていると、突然彼が振り向いた。
「なあ、ルシフェル」
「・・・・・何だ」
途切れ途切れの彼の言葉を思い出す。彼は死んだ。けれど彼は生きている。
ギャップに頭を抱えそうになりながら言葉の続きを促す。もしあの言葉だったら、私は何と言うだろう。一回目と同じ様に返すのか。それとも。
「この世界は、美しいな」
しかし彼の口から出てきた言葉は、全くの見当違いだった。肩の力が抜ける。いや、何故私は構えているのだ。
「この美しい世界を、守りたいと思うんだ」
そう言って、青い世界を青い瞳で見つめた。
神が滅ぼそうとしている世界を、この男は美しいと言う。守りたいと言う。
お前から見える世界はどんな色をしているんだ?一度、お前の瞳でこの世界を見てみたいよ。さぞかし美しい色をしているんだろうな。
嗚呼けれど、私の目には赤い世界しか見えないんだ。赤い赤い、彼の血の色の。