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かみきりむしのゆびきり

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「フレン、お願いです! 絶対、ユーリに『いい』って言わないでください!」

たった今、騎士団への定期連絡から戻った僕を出迎えたのは、いつになく真剣な面差しの、それでいて非常に差し迫った様子のエステリーゼ様だった。
いつもなら礼儀正しく、フレン、お帰りなさいと仰るだろう彼女に何があったと言うのか。不安と焦燥を湛えた若草色の双眸がこちらを見上げている。『お願い』と同時に顔の前で組まれた手は小刻みに震えており、先の台詞の最後などはビブラートが掛かっていた。くださ、いぃぃぃぃぃ、と鼓膜で未だ反響するその言葉を咀嚼して、僕は顔を顰めた。何をしたと言うのか。この話でのキーパーソンであろう『ユーリ』――…僕の幼馴染は。
先ずは状況確認だ。彼のこととなるとどうにも気が逸りがちな自分自身を諌めて、一呼吸置いてから訊ねる。
「一体、どうされたのですか」と問い掛けるとエステリーゼ様は、すん、と鼻を鳴らした。「ユーリが……」女性を泣かせるとは彼も偉くなったものだ。しかもその相手がエステリーゼ様とは。ぴくりとこめかみの辺りが引き攣る。これは、
「ユーリが、髪を切るって言うんです」
どれだけきつい仕置きが必要だろう、と思案していた僕は、予想外の返答にぽかんと立ち尽くしてしまった。
「……ユーリが、」
「はい」
「髪、を」
鸚鵡返しに呟けば、エステリーゼ様はこくんと頷く。潤んだ瞳で訴える彼女からは、切実さが見て取れた。
事の次第はこうだ。ついさっきまでみんなや、エステリーゼ様と宿の一室で談笑していたユーリは、椅子から立ち上がったその時、たまたま飛び出していた釘に髪を引っ掛けたらしい。巻き込まれた髪の一房はこんがらがって中々取れず、いっそここだけ切るか、と刀を抜いたところで『……いや、無断で切ったらフレンがうるさいか』と思い止まったのだと言う。因みにエステリーゼ様はこの段階から猛反対で、カロルと協力して彼の愛刀を奪い、備え付けの鋏を死守していたそうだ。
「暫くして、髪は解けたんですけれど……『そろそろ切るか』って。『丁度フレンもいることだしな』って言うんです」
そういえば、最後に切ったのはいつだったか。
僕らが騎士団に入って、彼が辞めて。送り出す前日に頼まれたのが最後かも知れない。あの時はけじめの意味もあったのか、短くしてくれと強く乞われた。
「ユーリが言ってました。髪を切るにはフレンの許可を取らなければならないし、切るのもフレンの役目なんだって。……本当なんです?」
僕は彼の言う長さの半分だけ切った。あまり代わり映えしない仕上がりに彼は少々不満げにしていたけれど、すぐに晴れ晴れとした笑みで以て言った。ありがとな、フレン。
その本人が自ら口にしたのなら、特に隠すようなことではないのだろう。「本当ですよ」と肯定すると案の定、エステリーゼ様は「どうしてです?」と小首を傾げる。目をらんらんと輝かせた姫君は、好奇心旺盛な子どものようで微笑ましかった。僕らの子ども時代は、こんなにも素直ではなかったような気がするけれど。
それでも、昔は子どもだった。僕も、彼も。無知で無垢で、無邪気以上に無鉄砲な子どもの彼と、無知で無力で、無二の親友を止められなかった僕とで交わした一つの約束。絡ませた小指の温度を今でも思い出せる。

「約束したんです。……ずっと昔に」

脳裏に蘇る、幼い彼の姿。もう何年前のことだろう。
確か、十歳になるかならないかの頃だったように思う。
当時からユーリの髪は長かった。物心付いた時から一緒にいた僕でも、彼の髪が肩より短かったのを見た記憶が殆どない。「ユーリの髪は、母親譲りなんですよ」四歳か五歳までは短かった気がする。あの話を聞くまでは。
「お母様って、その……ユーリが赤ちゃんの時に亡くなられたっていう……」
「ご存知でしたか。そうです、だから……僕は勿論、ユーリも覚えていない筈です。僕らが知っているのは、周りの大人達から聞いたからなんです」
ユーリの母親はさばさばとして気立ての良い、下町でも評判の美人だったそうだ。一方で、その美人を射止めた父親の話が一切出てこないところをみると、彼の出生には複雑な事情があるようだが、それには皆、薄々勘付いているだろう本人も含めて触れようとしない。ともあれ、ユーリは母親に似ていると良く言われていた。
取り分け髪は色といい、髪質といい、そっくりだと誰かが言うのを、僕はユーリと共に聞いた。それが四、五歳の時の話だと思う。この時はふぅん、としか言わなかったユーリは暫くして、髪を切らないのかと問われた際に首を縦に振った。普段、側にいない親への愛着や憧憬を口にしないユーリにも、少なからず思うところがあったらしかった。そのくせ手入れは今も昔も雑だったので拭かないなら切れとか、邪魔なら切れとか度々叱られていたけれど、誰も無理に切ろうとはしなかった。
結局皆、彼の母親を思わせるその黒髪を、艶やかな黒髪を靡かせる彼の姿を愛していたのだ。
「今は十中八九惰性でしょうけどね」
「ふふっ」
……いや、惰性五割、僕に断りなく切ってはいけないという例の約束が五割といったところか。
ものぐさな彼と、未だその髪を切る自由を奪ったままでいる自分とに苦笑して話を続ける。
「以来、ユーリは髪を伸ばし続けていました。
それから五年位でしょうか。……この頃には、もう腰に届く位の長さだったと思います。まだ子どもで、性差が出るような年齢ではありませんでしたから、後ろ姿で女の子に間違われることも良くありました……」
とは言え、彼は僕とセットで下町一のやんちゃ坊主だったので下町の人間に間違われることはない。間違うのはいつも外の人間だ。つまり、ユーリに『お嬢ちゃん』と声を掛けた時点で僕らは警戒しなければならなかった。
『そこの綺麗な髪の坊ちゃん、嬢ちゃん』
『……だれが、嬢ちゃんだって……?』
『ユーリ、』
眉を逆立て、振り返った彼の肩を掴んで諌める。昔の彼は今程堪え性がなかった。子ども故の未熟さとは言え、毎度のことなのだから相手にしなければ良いのにと僕はこっそり辟易していたのだが、それに付き合ってそいつと対峙した僕も僕だと今になって思う。彼の身を案じるなら、手を引いて駆け出せば良かったのだ。
足を止めて振り返った先には、見知らぬ男がいた。上下黒のスーツ姿は下町では先ずお目に掛からない。柄は忘れたけれど、趣味の悪い、派手なネクタイを締めていたと記憶している。にこにこと胡散臭いまでの笑顔でじりじりと近付いて来る男に、僕は無意識の内に彼の手を握り締めていた。彼はじっと男を睨んでいた。子ども心にも好からぬものを感じる、下卑た笑みだった。
『君達、随分汚れた服を着ているね。食べ物も満足に貰えていないんじゃないのかい』
『余計なお世話だ』
『お金は欲しくないかい?』
『いりません!』
苛立ちを露に突っ撥ねた彼の手を、強く引いて叫んだ。