愛してくれないあなたなんか興味ないの
平和島静雄は俺を拾ってくれた男だった。高校を中退して行くあてもなく、働き口もうまく見つからず八方塞りだった俺を、自分のアパートに置いて面倒を見てくれた。当時のあの人の状況からしてそんな経済的な余裕はなかっただろうに、静雄は俺を献身的に助けてくれた。なにもできない子どもに、情けをかけてくれたんだろう。俺は静雄に対してこのうえない恩を感じていた。静雄から離れて数年経った今も、それは変わらない。
俺と静雄が恋人のような関係になったのは、自然ななりゆきだった。男同士で自然なんておかしいかもしれないけど、本当に自然なことだったんだ。もしかしたら、向こうは最初からそういうつもりでいたのかもしれない。静雄は、俺に大切な彼女がいること、肉体関係のある男が他にもいること、それらを全て許してくれたから。静雄はとても盲目だった。静雄って人がそういう質なのか、俺に対してだけそうなのかはわからない。俺は俺で、来るもの拒まず去るもの追わず状態の最低野郎だったから、静雄をすぐに受け入れた。でも別に負い目とか、気を遣ってそうなった訳じゃなかった。
つまり俺は静雄のことを好いていて、静雄も俺のことを愛してくれていたんだと思うよ。
静雄と別れたのは二十歳になる手前だった。いつまでもこんな状態じゃ駄目だと、まずは静雄離れをすることから始めようと思ったんだった。今考えれば他にもやり方はあっただろうに、子どもだったなあと思う。ひどく身勝手に別れを切り出した俺に、静雄は激高するでも悲壮するでもなく、それはひどくあっさりとしたもんだった。寂しさは後からじんわりとやってきて、俺は一緒にいた三年間の重みを日に日に強く感じた。でも毎日は新しい環境に適応することでいっぱいいっぱいで、いつまでも感傷に浸っている暇はあんまりなかった。だから俺のなかの静雄は未完結で、終わったのか終わってないのか、心の整理をするタイミングを逃してしまっている。だいぶ昔のことのように感じるけど、静雄と別れたのは、たった三年前ぐらいの話だ。俺はそれから大して成長しちゃいない。まあ多感な時期に一緒にいた人だ。思うことは色々あるよ。
だからこんな風に、ドラマみたいに街中でばったり再会しちゃったら、俺のスペックはそこまで追いつかない。やっぱり池袋なんて来るんじゃなかったと、俺は後悔した。
「元気だったか」
静雄は随分穏やかな笑顔で、俺に微笑んだ。変わらない優しい表情がちくりと胸に刺さった。
「……お久し振りっす。静雄さんは」
「なんとかやってるよ」
俺は今年で二十三だから、静雄はもう二十九ぐらいの筈だ。そりゃ三十近くにもなれば、人間丸くなるもんか。そういえばここ数年は、以前のように平和島静雄が暴れているという噂も聞かなくなった。
「だいぶ変わったな、お前」
「静雄さんも」
俺と一緒にいるときの静雄は、もっとこう、なにかがいつも激しく刺々しかった。優しかったけど、こんな風に回りの空気が柔らかくなかった。こういうのなんていうんだろう。余裕、かな。
「池袋寄るの久々だったんすけど、まさか会っちゃうなんてすげえ確率ですね。静雄さん、まだずっとここで仕事してんですか。その格好だと」
「ああ。ずるずる続けてる」
ずっと変わらないバーテン服は、こまめにクリーニングに出されているようで、傷みが少なくきれいに着られている。
「……結婚とか、しました? もしかして」
「はっ? してねえよ。なんで」
「なんか、雰囲気とか、随分変わったから……」
静雄の答えを聞いて、俺は少し安心していた。男も女も結婚すると雰囲気が変わるのは、周りの知人を見て知ったことだ。
「じゃあー、恋人とかは」
「さあな」
口元のくわえ煙草がわずかに揺れて、俺から視線が逸らされる。いい具合にはぐらかされたな。俺はふっと笑ってから言った。
「俺、携帯番号もメアドも変わってないんで」
なんかあったら連絡ください、そう言い放ってその場を離れた。気恥ずかしさをごまかすように、急いで人混みに紛れる。静雄の返事は聞かなかった。俺は本当に、勝手な人間だ。自分から離れておいて、気まぐれであんなことを言う。気のある素振りをするのは昔から得意で、悪癖みたいなもんだった。
俺は久し振りに、静雄に抱かれているときの体温を思い出していた。暖かくて、強くて、心地よさに溜息が出る。年上の男なのに、自分に従順になってくれる静雄に対して、言いようのない快感を覚えていた。
連絡先を教えたのは一種の社交辞令だと思ってくれてよかった。そうでないと、俺は困る。今更俺の悪乗りに静雄を巻き込むなんて、到底無理だと思っていた。
知らない番号から着信があったのは、それから一週間後だ。知り合いの伝手で働き始めた撮影の裏方の仕事も、板についてきた。現場からあがってタオルで汗を拭きながら携帯の着信履歴を見て、俺はそれが直感的に静雄なんじゃないかと思った。
そわそわして、電車に乗る前に掛け直した。電話口に出た変わらない低く穏やかな声が、耳元で心地よく響いた。
『よう』
「静雄さん」
俺の携帯番号は、まだこの人のアドレス帳に残っていたんだ。もうとっくに削除されたかと思っていたから、この前あんな軽口を叩けたのに。
『仕事は終わったのか』
「はい、たった今」
『お疲れさん。なあ、――今からこっち来れるか』
突然の急展開に頭が追いつかない。だけど心はどこか平静で、こうなることを覚悟していたような気もする。
「行けますよ。池袋ですか」
俺はひょうひょうと受け答えて、待ち合わせの場所を決めてから電話を切った。
会ったら、おしまいだ。やることなんてひとつしかない。のんびり茶でもしながら近況報告と世間話だけなんて空気じゃないし、わざわざこんな時間帯にそれだけの用事で呼び出す訳がない。
池袋駅を降りて、東口のカフェに入って少し話をした。静雄はラフな私服姿だった。会話していて、数年の隔たりを感じることはあまりなかった。静雄は静雄のままだ。仕事も変わらず、アパートは少し小綺麗なマンションに引っ越したけど、生活圏や環境に大した変化はないという。言葉のテンポも変わっていなくて、穏やかなままだ。俺は一緒にいたのがまるでこの前のことみたいに思えて、なんだか時間が戻ったような気がした。確かに三年間なんてのは結構あっという間で、忙しくしてたら風みたいに通り過ぎる。でも俺にとっては、あっという間でもなかった。急にひとりになって、立ち止まったり、忘れるように走ったりした。静雄は、どうだったのかな。
やはり予感は的中して、それから俺らは当然のようにラブホテルに入った。頭がポーッとなって、さっき飲んだのはコーヒーなのにアルコールを摂ったみたいだった。バスルームの天井が少し歪んで見える。シャワーの湯は熱かった。ああ、俺はこれから三年振りに、静雄とセックスをする。
俺と静雄が恋人のような関係になったのは、自然ななりゆきだった。男同士で自然なんておかしいかもしれないけど、本当に自然なことだったんだ。もしかしたら、向こうは最初からそういうつもりでいたのかもしれない。静雄は、俺に大切な彼女がいること、肉体関係のある男が他にもいること、それらを全て許してくれたから。静雄はとても盲目だった。静雄って人がそういう質なのか、俺に対してだけそうなのかはわからない。俺は俺で、来るもの拒まず去るもの追わず状態の最低野郎だったから、静雄をすぐに受け入れた。でも別に負い目とか、気を遣ってそうなった訳じゃなかった。
つまり俺は静雄のことを好いていて、静雄も俺のことを愛してくれていたんだと思うよ。
静雄と別れたのは二十歳になる手前だった。いつまでもこんな状態じゃ駄目だと、まずは静雄離れをすることから始めようと思ったんだった。今考えれば他にもやり方はあっただろうに、子どもだったなあと思う。ひどく身勝手に別れを切り出した俺に、静雄は激高するでも悲壮するでもなく、それはひどくあっさりとしたもんだった。寂しさは後からじんわりとやってきて、俺は一緒にいた三年間の重みを日に日に強く感じた。でも毎日は新しい環境に適応することでいっぱいいっぱいで、いつまでも感傷に浸っている暇はあんまりなかった。だから俺のなかの静雄は未完結で、終わったのか終わってないのか、心の整理をするタイミングを逃してしまっている。だいぶ昔のことのように感じるけど、静雄と別れたのは、たった三年前ぐらいの話だ。俺はそれから大して成長しちゃいない。まあ多感な時期に一緒にいた人だ。思うことは色々あるよ。
だからこんな風に、ドラマみたいに街中でばったり再会しちゃったら、俺のスペックはそこまで追いつかない。やっぱり池袋なんて来るんじゃなかったと、俺は後悔した。
「元気だったか」
静雄は随分穏やかな笑顔で、俺に微笑んだ。変わらない優しい表情がちくりと胸に刺さった。
「……お久し振りっす。静雄さんは」
「なんとかやってるよ」
俺は今年で二十三だから、静雄はもう二十九ぐらいの筈だ。そりゃ三十近くにもなれば、人間丸くなるもんか。そういえばここ数年は、以前のように平和島静雄が暴れているという噂も聞かなくなった。
「だいぶ変わったな、お前」
「静雄さんも」
俺と一緒にいるときの静雄は、もっとこう、なにかがいつも激しく刺々しかった。優しかったけど、こんな風に回りの空気が柔らかくなかった。こういうのなんていうんだろう。余裕、かな。
「池袋寄るの久々だったんすけど、まさか会っちゃうなんてすげえ確率ですね。静雄さん、まだずっとここで仕事してんですか。その格好だと」
「ああ。ずるずる続けてる」
ずっと変わらないバーテン服は、こまめにクリーニングに出されているようで、傷みが少なくきれいに着られている。
「……結婚とか、しました? もしかして」
「はっ? してねえよ。なんで」
「なんか、雰囲気とか、随分変わったから……」
静雄の答えを聞いて、俺は少し安心していた。男も女も結婚すると雰囲気が変わるのは、周りの知人を見て知ったことだ。
「じゃあー、恋人とかは」
「さあな」
口元のくわえ煙草がわずかに揺れて、俺から視線が逸らされる。いい具合にはぐらかされたな。俺はふっと笑ってから言った。
「俺、携帯番号もメアドも変わってないんで」
なんかあったら連絡ください、そう言い放ってその場を離れた。気恥ずかしさをごまかすように、急いで人混みに紛れる。静雄の返事は聞かなかった。俺は本当に、勝手な人間だ。自分から離れておいて、気まぐれであんなことを言う。気のある素振りをするのは昔から得意で、悪癖みたいなもんだった。
俺は久し振りに、静雄に抱かれているときの体温を思い出していた。暖かくて、強くて、心地よさに溜息が出る。年上の男なのに、自分に従順になってくれる静雄に対して、言いようのない快感を覚えていた。
連絡先を教えたのは一種の社交辞令だと思ってくれてよかった。そうでないと、俺は困る。今更俺の悪乗りに静雄を巻き込むなんて、到底無理だと思っていた。
知らない番号から着信があったのは、それから一週間後だ。知り合いの伝手で働き始めた撮影の裏方の仕事も、板についてきた。現場からあがってタオルで汗を拭きながら携帯の着信履歴を見て、俺はそれが直感的に静雄なんじゃないかと思った。
そわそわして、電車に乗る前に掛け直した。電話口に出た変わらない低く穏やかな声が、耳元で心地よく響いた。
『よう』
「静雄さん」
俺の携帯番号は、まだこの人のアドレス帳に残っていたんだ。もうとっくに削除されたかと思っていたから、この前あんな軽口を叩けたのに。
『仕事は終わったのか』
「はい、たった今」
『お疲れさん。なあ、――今からこっち来れるか』
突然の急展開に頭が追いつかない。だけど心はどこか平静で、こうなることを覚悟していたような気もする。
「行けますよ。池袋ですか」
俺はひょうひょうと受け答えて、待ち合わせの場所を決めてから電話を切った。
会ったら、おしまいだ。やることなんてひとつしかない。のんびり茶でもしながら近況報告と世間話だけなんて空気じゃないし、わざわざこんな時間帯にそれだけの用事で呼び出す訳がない。
池袋駅を降りて、東口のカフェに入って少し話をした。静雄はラフな私服姿だった。会話していて、数年の隔たりを感じることはあまりなかった。静雄は静雄のままだ。仕事も変わらず、アパートは少し小綺麗なマンションに引っ越したけど、生活圏や環境に大した変化はないという。言葉のテンポも変わっていなくて、穏やかなままだ。俺は一緒にいたのがまるでこの前のことみたいに思えて、なんだか時間が戻ったような気がした。確かに三年間なんてのは結構あっという間で、忙しくしてたら風みたいに通り過ぎる。でも俺にとっては、あっという間でもなかった。急にひとりになって、立ち止まったり、忘れるように走ったりした。静雄は、どうだったのかな。
やはり予感は的中して、それから俺らは当然のようにラブホテルに入った。頭がポーッとなって、さっき飲んだのはコーヒーなのにアルコールを摂ったみたいだった。バスルームの天井が少し歪んで見える。シャワーの湯は熱かった。ああ、俺はこれから三年振りに、静雄とセックスをする。
作品名:愛してくれないあなたなんか興味ないの 作家名:ボンタン