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愛してくれないあなたなんか興味ないの

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 その日の晩はひどく穏やかな雨が静かに降っていた。帰宅して、少し濡れた服を拭いてから飯を食った後、静雄から電話が掛かってきた。今日は職場の先輩から褒められて、俺は上機嫌だった。耳元で響いてきた言葉は、そこから俺を一気に突き落とした。
『もう、会うのやめねえか』
 本当に突然の一言だったので、咄嗟にその意味を受け止められず、声が出なかった。
『色々考えたんだけどよ。やっぱりお前は、俺と一緒にいない方がいいと思う』
「……なんで? 意味わかんない」
『今はわからなくても、そのうちわかる』
「は? なにそれ、なんで自分だけ悟ってんの? そんなのわかりたくもないよ。そんなの、静雄さんちょっと勝手すぎ……」
 勝手だったのは俺の方だと思い出して、言葉が詰まった。勝手に切って、また勝手に繋げようとした。俺は文句を言える立場じゃない。
「……昔のあてつけ?」
『そんなんじゃねえよ』
「じゃあなんで? 本当に、意味わかんない。なんで」
 俺が取り乱してだんだんヒステリックになってくると、静雄は少し時間置いて考えてみてくれ、と言って電話を切った。俺は通話の切れた携帯を握ったまま呆然としていた。
 どうして、向き合おうとした矢先、こんなこと言われなくちゃならないんだ。この前、会いたいって言ってくれたじゃん。一緒にいない方がいいってなに? そんな俺のためを思って離れるみたいな、いい人ぶったようなこと言うなよ。本当は俺を捨てたいだけなんじゃないのかよ。遠回しに俺を傷付けまいとするみたいな、そんな優しさなんかいらねえんだよ。
 俺は言えなかったことを胸の内で激しく叫んだ。ベッドに額を押し付けて、拳を握り締める。頭のなかはめちゃくちゃに混乱したままで、泣く余裕なんかなかった。

 静雄から突き放されるというのは、一番堪えることだった。俺が静雄を拒むことはあっても、静雄は俺を拒まないというでたらめな自信がどこかにあったからだ。でもそれはただの傲慢で、静雄は昔とは違うんだ。もう俺をコントロールする力が、月日を重ねたあの人にはあるんだ。俺はちっとも変われてなかった。昔みたいに、いや、もしかしたら昔よりもっといい関係になれるんじゃないかなんて、甘い考えがあったかもしれない。
 静かな雨音が孤独感を煽った。どん底に落とされて、真っ暗な場所に取り残された気分のまま、俺は眠りについた。


 なん日経っても感情の整理がつかなくて、俺は静雄に連絡を取れなかった。会うのをやめた方がいいって、それを選んだ方がいいとそのうちわかるって、どういうことなんだろう。静雄がどんなつもりでそんなことを告げたのか、俺にはわからなかったしわかりたくもない。理由を聞いたらもう一緒にいれる可能性がなくなる気がして、怖くて聞けない。静雄の言葉は独特の重みがあって、それを覆すのは相当苦労するんだ。



 時間だけが過ぎていって、あの電話から一ヶ月ぐらいが経った。もうこのまま自然消滅かな、なんて思い始めたら、仕事の飲み会でヤケ酒して、俺はぐでんぐでんに酔っ払った。とりあえず水を飲めと介抱されて、帰りにはなんとかひとりで歩けるようにはなったけど、どこをどう歩いたのか記憶がはっきりしない。店から最寄の駅までは数分で着く筈なのに、やけに時間が掛かったと思う。
 駅のベンチで座ったまま動く気がしなくなって、そのまま横になった。電車に乗る気がしない。なにとなしに携帯を取り出して、俺はほとんど無意識に静雄にメールを打っていた。

【酔って動けない。助けて】

 こんなメッセージに反応する訳ないと思ってたのに、今どこなんだと、メールはすぐに返ってきた。駅名を伝えると、静雄はそれから三十分ぐらいで飛んできた。バーテン服のままだったから、仕事が終わった後だったんだろう。悪いことしたなあ、と頭では思ったけど、謝りはしなかった。相当急いで来たみたいで、息を切らせながら静雄はベンチに駆け寄ってきた。
「もう会わないんじゃなかったんすか」
「お前が呼び出したんじゃねえか」
「そんなん、無視すればいいじゃん。そういうあんたの優しさ大嫌い。俺、女じゃねえし、野宿ぐらい平気だし。俺のことなんか好きじゃないんでしょ。俺だって静雄さんのこと好きじゃないし。……俺のこと愛してくれない静雄さんなんか、キョーミねえし」
「泣きながらなに言ってんだ、酔っ払い」
 水分がはらはらと頬を伝って落ちていく。どうして涙が出るのかわからなかった。なにかよくわからない感情がいっぱいに溢れて、胸が苦しかった。静雄はいささか呆れた様子で、俺の横に座った。
「今なに言ったって、酔いが覚めたら忘れてるかもしれねえから、言っとくわ。俺はお前のこと愛してる。ずっと好きだった。別れてからずっと、お前のこと忘れられなかった。未練たらたらの、みっともない男だよ」
 半分寝ているような頭のなかで、ああこれは夢なんだろうな、と思っていた。愛してるかあ、愛してるなんて、俺、生まれて初めて言われたよ。
「そんなんだから、俺と一緒にいたら、昔みたいになっちまうんじゃないかと思ったんだよ。お前、今せっかく前向いて頑張ってんのに、俺が駄目にするんじゃないかってさ。……おい、寝てんじゃねえよ。起きろ。電車乗って帰るぞ」
 ひどく幸せな気持ちだった。このままずっと眠って、ずっと静雄に愛されたまんまで死にたいなあ。そんなことを考えながら、意識は遠のいた。

 気付いたら俺はタクシーのなかにいた。隣に座っている静雄の肩に頭をもたれているところで、はっと目を覚ました。
「やっと起きたかよ」
「……すいません」
 だいぶ頭がすっきりしていて、静雄がここまで連れてきてくれたことはわかった。あーあ、やっちゃったな。大きな借りを作ってしまった。
「なんか、俺のこと愛してるって言ってる静雄さんの夢見た……」
「へえ」
 俺の呟きに、静雄は適当に相槌を打った。車内で煙草が吸えないせいか、手持ち無沙汰そうにしている。俺は静雄の肩にもう一度頭をもたれて、その手を握った。窓の外の景色は流れるように過ぎていき、まばらな夜景が少し寂しく感じる。タクシーの行き先が俺のアパートなのか静雄のマンションなのかは、わからなかった。
 
 嘘だよ。本当は夢なんかじゃないことぐらい、わかってるよ。俺も返すんだ、俺も愛してます、今静雄さんのこと愛してますって、明日になったら、素面で静雄に伝えるんだ。一緒にいて駄目になんかならないよ。だって俺たちはもう昔とは違う。互いの気持ちを自覚して、それを伝え合うことができるようになったんだから。
 仮に今回離れることになったとしても、遠回りして遠回りして、最後に辿り着くのはまたここがいいなあと、静雄の隣に寄り添いながら俺は思っていた。アルコールはもうほとんど抜けたみたいだったけど、微かなまどろみが襲ってきて、俺はゆるりと瞼を閉じる。
 静雄の手のひらの温度が心地よくて、少し強く握り締めると、静雄は握り返してきた。硬く繋がれた手がどうか嘘じゃないようにと願いながら、タクシーが止まるまでのあいだ、俺は再び眠りに落ちた。密やかな幸福が、そこには確かにあった。俺はまた泣きそうになった。