植物系男子
その15
帰宅した俺はゴトリとテーブルの上にそれを置く。
しばらく見ぬ間にまた一回り大きくなった気がする。新羅に散々痛めつけられたらしいそれは、それでも太く生きていた。
買ったときはそれこそ手のひらより小さかったはずだが、今では片手では持てないほどになっている。重さの問題ではなく大きさの所為で、ただ単に片方の手のひらだけでは抱えられないのだ。
溜息のような煙を吐いて、半分以上灰となった煙草を灰皿に押し付ける。と、臨也の奴がバタバタと忙しなく動き始めた。
持ってきたゴミ袋に机の上から掻き出すようにしてごっそり私物を落としている。あらかた物がなくなると、今度はパソコンやらの電子機器のコンセントをぶちぶち引っ張って抜いた。
しばらく見ていた俺だが、唐突な行動にさすがにぽかんとする。
「何してんだ手前」
「見てわからない?片付け」
言いながら手は休めない。ばさばさと紙媒体が乱雑に袋に詰められた。
それは仕事(いやこいつの場合は趣味らしいのだが)で使うものではないのか。眉を顰めていると、袋の口を縛った臨也はふぅと息をついた。
パソコンなどの重いものを除いて、奴の私物は綺麗になくなっていた。もともと身一つで俺のところにやって来たような奴だ。こうしてみると、意外にもその少なさに驚く。
シズちゃん、とくるりと臨也が振り返った。
「この袋は俺がついでに捨ててきてあげる。パソコンと机は売ってもいいよ。データは消去したし、どうせシズちゃんのことだから高そうで捨てれないとか思ってるんでしょ」
ぱちりと、瞬きをした。
「何言ってんだ?」
「まだわからないの?出て行くんだよ」
心底呆れた、とでも言いたげな顔で臨也が告げる。何故そんなことになったのか。俺は記憶を振り返ってみるがさっぱりだった。
「なんでまた、」
「あのねぇシズちゃん、新羅の話聞いてた?」
溜息混じりにやれやれと首を振られた。芝居がかったこいつの仕草は、もはや癖だ。
「君が感情を爆発させればさせるほどそこの植物が育つんだよ。俺たちにその化け物が殺せないとわかった時点で、最善策は君が生涯穏やかに過ごすこと。つまり最低限の感情の起伏で生きるべきだ。俺はそいつをみすみす育てるような真似はしたくないからね。だから出て行く」
俺を見た臨也は笑った。ずっと昔に見慣れた、貼り付けたような笑顔。それが俺は、嫌いだった。
「“天敵”である俺が同じ空間に居ることこそそいつの思うツボだ。君は俺を見ただけで苛々するんだから、格好の餌場だよ。人形になったシズちゃんなんて興味はないし、まぁせいぜいそのサボテンと仲良く暮らすことだね」
そう言って奴は俺に何か投げ寄越した。反射的に受け取ってみれば、鍵だ。おそらくはあいつが勝手に作った、この部屋の合鍵。
「じゃあね。さよなら、シズちゃん」
片手を上げて、どこまでも笑顔のままで臨也が背を向ける。翻るコートを見た瞬間、俺は手の中の鍵を握りつぶしていた。
「待てよ」
声をかけても臨也の足は止まらない。舌打ちして、俺は奴の肩を掴んだ。
「臨也」
「何?」
臨也は振り返らない。ただその口は、まるで書いてあるものを読み上げるように淀みなく動いた。
「俺急いでるんだけど。早くしないと終電なくなっちゃうんだよね。これも捨てなきゃなんないしさぁ。重いしだるいし良い加減離して欲しいんだけど」
「行くな」
動き続けていた口が止まった。
俺も馬鹿だがこいつも相当な馬鹿だと思う。声が微かに震えているのに、気付かないとでも思っているのか。
愚かなことをしていると、前も思った。なのにどうしてこうもうまくいかない。
やはり俺の所為かと、重く苦しい溜息が零れる。掴んだままの臨也の肩が、びくりと跳ねた。
「…ほんと、勝手だよね、シズちゃんは」
言うや否やどさりと何か重たいものが床に落ちた。それが臨也が握っていたゴミ袋だと認識すると同時に拳が襲ってきた。反射的に下がって避ければ、バランスを崩した瞬間を狙ってドッとあいつが突っ込んできた。
腹に硬い感触がある。恐らくは刺されたのだろうと、ベッドに仰向けに倒された頭で考えた。
グッと喉に冷たい刃が当てられる。天井からの逆光で、見上げた臨也の顔は逆光になっていた。
「喉も掻き切れないなんて、気持ち悪い」
視界の端で、ちらりとナイフが反射する。刺さり難いが、刺さらないわけじゃない。きっと首には、一筋赤い線が走っているだろう。
本気で殺すつもりだったなと、頭の隅でぼんやり思う。
ここまで追い詰めたのは紛れもない、俺だ。俺があんなサボテンなんか買わなければ俺はこんな状態にならず、きっとこいつもこうはならなかっただろう。
自覚がないのだ。自分が感情を失っているなどと。だが皆が口を揃えてそう言ってくる。彼らは嘘をつくような人じゃないから、きっとそれは本当なのだ。
慣れた目があいつの顔を捉える。あぁなんだか、随分と、酷いことをした。
「…すまねぇ」
臨也の瞳が見開かれた。歪んだように笑ったかと思うと、グッと喉元にナイフの刃を押し込んできた。
「ねぇシズちゃん、楽しい?俺を馬鹿にして、楽しい?君から謝られるのが俺にとってどれだけ屈辱かわかる?あぁそうか、感情が無いなんて言った割には俺を苛つかせて嫌悪する感情はあるんだね。どこまでも性質が悪い。どうせならいっそ全部忘れてしまえばよかったんだ」
泣いていた。あの折腹臨也が。俺の喉にナイフを突き立てながら。
ぽたりと頬に雫が落ちた。液体であるのに温かいそれは、折原臨也の温度なのだろう。
なんで俺たちはもっと、うまくやれないのか。相手を傷つけあうことでしか伝えられないのか。
思い出せ。臨也を連れ戻そうと思ったのは、出て行こうとした臨也を引き止めたのは、紛れもない俺の感情だ。
消えてなんかいない。勝手に消されてたまるか。思い出せ。ずっと、そこにあったのは、俺が、望んでいるものは。
手を伸ばす。そっと触れた奴の頬は、あの温度だった。
馬鹿だと思うことはたぶん、愛おしいのと同じだ。どうしようもない馬鹿だと、俺の言動に振り回されるお前が愛おしいのだと。
お前は俺を怖がらない。俺自身でさえ恐ろしい俺を、好きだと言う。それが俺にとってどれほどのことか、手前にわかるか。
(…まるで餓鬼だな)
いい歳した大人が、人を愛するのが、愛されるのが怖くて、信じられなくて、怯えているだけなのだ。
驚く瞳を覗いたまま後頭部に腕を回した。
ぐい、と引き寄せて、口付ける。直ぐに離れた奴の顔は瞠目して、目を白黒させていた。
ああそうだ、キスするたびにずっと言いたかったことがひとつある。
「なんつー顔してんだ」
喉元からナイフの感触が消えた。臨也が指を離したらしい。そのまま、信じられないものを見たような目で俺を見た。
「シ、ズちゃん、いま、」
わらった。
呆然とそう告げられる。全くそんなつもりはなかった俺は、そうか?と首を傾げた。
臨也はぐしゃぐしゃに顔を歪める。それでも小さく、笑みを浮かべた。あぁその笑顔は悪くない。嫌な臭いがしない。それがお前の本心なんだろ。
「…ねぇ、もっかい笑ってよ」