それが答えだ
酒は飲んでも飲まれるな。それは昔から誰もが言っている言葉だ。だがそうは言いつつも、若い時などそれで何度失敗したか分からない。深酒し過ぎて記憶を失くし、それと一緒に信用も無くした。今考えてみれば馬鹿馬鹿しいと思うのだが、あの時はそれでも飲むのが楽しくて仕方が無かったのだ。
「うーっす…」
ガチャリと音を立て、部屋に入って来たのは達海であった。いつも朝は眠そうな顔をしているのだが、今日はその数段酷い。目がまともに開いていない上、顔が青い気がする。
「達海さん、何その顔。ひっどい顔ねえ~」
有里が容赦ないのは今更なのだが、それでも今は彼女の言葉が胸に突き刺さる。何故なら、その自覚が自分にもあるからだ。そしてその原因を、自分が酷く気にしているからだ。
「うるせーなぁ。こんな顔なのは、元からだってーの」
苦し紛れの悪態も、本当に苦し紛れでしかない。言っていて何だか悲しくなってくるのも、その所為だろう。
「もう、達海さんってば、ちゃんとしてよね。監督がそんな顔してたら恥ずかしいでしょう!」
「分かった分かった。そんなに言うなら、ちょっともう一回顔洗って…」
有里が余りにも責めるので、達海は仕方が無く顔を洗いに、来た道を戻ろうとした。だが彼がドアノブを掴む前に、ドアの向こう側よりぐるりとそれが回された。
「え」
「おはようござい…」
ドアの向こうから現れたのは、このクラブハウスのGMだ。あいさつをしかけて言葉が止まってしまったのは、彼の視界に達海の姿が入ってきたから。しかも眼前という、余りにも突然なそれ。
「うわぁっ!」
思わず驚いてしまって、後藤が仰け反ってしまった。それはもう、いつもは割と物静かな後藤からは考えられない程だ。周りに居た有里や永田兄弟も、彼の姿を見て目を丸くする。
「後藤さん?どうしたの?」
いつもは見せないテンションのそれに、有里が後藤に尋ねると、後藤の顔をがじわじわ赤く染まっていく。彼女の言葉に、彼はその時初めて『らしくない』と気付いたのだ。
「いやあの、これはその」
「ねえ、達海さん。今日の後藤さん可笑しいわよね?」
後藤が慌てるその前で、有里が達海にそう同意を求めたが、達海からの返事は無かった。何故なら、彼は後藤と同じであったからだ。
「達海さん?」
こんな達海を今まで一度でも見た覚えがあっただろうか。いや、答えは否だ。いつも飄々としている彼が、こんな表情をする事自体が信じられない。
「…わ、悪ぃ。俺、とにかく顔洗ってくる、わ」
まるで後藤の前から逃げ出す様にして、達海はその場から慌てて立ち去った。達海の姿が急に視界から消えると、その場に居た皆が茫然と立ちすくんだ。
「今日は後藤さんも変だけど、達海さんも変ね」
現役時代はETUに同期入団で、それからはずっと仲が良かった。四つの年の差など感じさせない程に、毎日毎日、周りにおかしがられる程に仲が良かった。後藤が歩けば、後ろに達海がついてくる。あの時はそれが、誰もが見慣れた光景だったのだ。
だが今は違う。片方はGMでもう片方は監督。
共にチームに貢献すれど、早々共に居る時間は無いのだ。後藤はスポンサーやサポーター相手に駆け回っていたり、達海は達海で毎日選手相手に奮闘していたりする。互いの姿を見ない日だって、そう稀ではない。
「もしかして後藤さん、達海さんと何かあったの?」
「…え?」
達海が言ってしまった後、しばらくしてから有里の目線が後藤へと向いた。向けられた瞬間、後藤の顔が歪んだのを彼女は見逃さなかった。
「だっておかしいじゃない。達海さんて、後藤さんの顔見て逃げたんだし。後藤さんだって、達海さん見た瞬間に表情が変わったんだし」
だから何があったのか白状しなさい、と詰め寄る有里に後藤は居た堪れなくなってしまった。後藤は元々隠し事が苦手だ。挙句嘘も苦手では、どう考えても正直に生きていくしかない。だが彼にとって、昨日のあれは素直に白状する訳にはいかなかった。
「あ、そういえば俺、今日客先との打ち合わせが入ってたんだった。そんな訳で、ちょっと出かけてくるよ」
「後藤さんっ!!」
有里の制止も構わずに、後藤は慌ててその場から逃げ出してしまった。そして最後に残ったのは、ふくれっ面の有里のみ。
「…もー、二人とも何なのよっ」
彼女がそんな風にぶつぶつ言っているのも知らず、閉じられたドアの向こうでは、後藤が真っ赤になって立ち尽くしている。
(俺が何をしたかって、そんなもの、俺の方こそ知りたいよ…っ!)
******
まず冷静になるところから始めるとする。
昨日はそもそも仕事が立て込んでいて、日付が変わる前に自宅に帰れるか帰れないかの瀬戸際だった。
「後藤さん、もう明日で良いから」
「そういう訳にはいかないよ、有里ちゃん」
机にかじり付いて帰ろうとしない後藤の姿に、有里が溜息を吐く。真面目は良いが、ここまで仕事に根を詰められても困る。
「本当に大丈夫だってばー。もう後藤さんったら、本当に真面目なんだから」
偶には飲みにでも行けば良いのにという有里の言葉で、後藤は『あっ』という声を上げた。『どうしたの』と尋ねれば、『忘れてた』の答え。
「達海が何人か連れて飲みに行くから、俺も後で来いって言われてたの、すっかり忘れてたんだ」
「……」
時計を見れば、既に日付が変わる少しばかり前。慌てて携帯のディスプレイを見れば、そこには着信が数件残っていた。後藤はそれを見て、がくりと肩を落とす。
「電話、した方が良いんじゃない?達海さんって、後から煩そうだし」
「…う、うん」
一瞬『嫌だな』とも思ったのだが、有里の言葉に、後藤は通話ボタンを押した。何度かコールした後にぷつりと繋がる音がする。
「もしもし。俺だけど」
向こうも携帯のディスプレイを見ているであろうから、通話相手が誰かは分かっているだろう。それを前提で話しかけたのだが、向こうからの返答が無い。
「おい、達海?聞いてるのか?」
「…おっせーぞぉ、ごとーっ」
「……?!」
怒られるのを予想して電話したのだが、現実は後藤の考えとは逆だった。電話の向こうの声はやけに上機嫌。多分これは、既に相当飲んでいる。
「あと十分以内に来ないと、罰ゲームさせっからな」
「…は?十分?」
達海の後ろから聞こえてくる他の人間の声は、きっと選手達のそれだろう。達海の言葉に『そうだそうだ』とぎゃーぎゃー言っているのが聞こえる。これは相当不味そうだ。
「あの、分かった、すぐ行くから」
罰ゲームとやらも何なのかは分からないが、それ以上に酔っ払っている達海を放っておく訳にはいかない。後藤は慌てて携帯の通話ボタンを押し会話を終わらせると、荷物をまとめ始めた。
「悪い、有里ちゃん。俺ちょっと、もう行くから」
「うん、分かったわ」
有里が一緒に行くと言わなかったのは、不穏な空気を感じたから。後藤の慌て方を見て、これは相当だなと思ったのだ。
(ようやく帰ったのは良いけど、今度は達海さんのお守なんてね。後藤さんったら、いつも損な役回りばっかりねえ)
「うーっす…」
ガチャリと音を立て、部屋に入って来たのは達海であった。いつも朝は眠そうな顔をしているのだが、今日はその数段酷い。目がまともに開いていない上、顔が青い気がする。
「達海さん、何その顔。ひっどい顔ねえ~」
有里が容赦ないのは今更なのだが、それでも今は彼女の言葉が胸に突き刺さる。何故なら、その自覚が自分にもあるからだ。そしてその原因を、自分が酷く気にしているからだ。
「うるせーなぁ。こんな顔なのは、元からだってーの」
苦し紛れの悪態も、本当に苦し紛れでしかない。言っていて何だか悲しくなってくるのも、その所為だろう。
「もう、達海さんってば、ちゃんとしてよね。監督がそんな顔してたら恥ずかしいでしょう!」
「分かった分かった。そんなに言うなら、ちょっともう一回顔洗って…」
有里が余りにも責めるので、達海は仕方が無く顔を洗いに、来た道を戻ろうとした。だが彼がドアノブを掴む前に、ドアの向こう側よりぐるりとそれが回された。
「え」
「おはようござい…」
ドアの向こうから現れたのは、このクラブハウスのGMだ。あいさつをしかけて言葉が止まってしまったのは、彼の視界に達海の姿が入ってきたから。しかも眼前という、余りにも突然なそれ。
「うわぁっ!」
思わず驚いてしまって、後藤が仰け反ってしまった。それはもう、いつもは割と物静かな後藤からは考えられない程だ。周りに居た有里や永田兄弟も、彼の姿を見て目を丸くする。
「後藤さん?どうしたの?」
いつもは見せないテンションのそれに、有里が後藤に尋ねると、後藤の顔をがじわじわ赤く染まっていく。彼女の言葉に、彼はその時初めて『らしくない』と気付いたのだ。
「いやあの、これはその」
「ねえ、達海さん。今日の後藤さん可笑しいわよね?」
後藤が慌てるその前で、有里が達海にそう同意を求めたが、達海からの返事は無かった。何故なら、彼は後藤と同じであったからだ。
「達海さん?」
こんな達海を今まで一度でも見た覚えがあっただろうか。いや、答えは否だ。いつも飄々としている彼が、こんな表情をする事自体が信じられない。
「…わ、悪ぃ。俺、とにかく顔洗ってくる、わ」
まるで後藤の前から逃げ出す様にして、達海はその場から慌てて立ち去った。達海の姿が急に視界から消えると、その場に居た皆が茫然と立ちすくんだ。
「今日は後藤さんも変だけど、達海さんも変ね」
現役時代はETUに同期入団で、それからはずっと仲が良かった。四つの年の差など感じさせない程に、毎日毎日、周りにおかしがられる程に仲が良かった。後藤が歩けば、後ろに達海がついてくる。あの時はそれが、誰もが見慣れた光景だったのだ。
だが今は違う。片方はGMでもう片方は監督。
共にチームに貢献すれど、早々共に居る時間は無いのだ。後藤はスポンサーやサポーター相手に駆け回っていたり、達海は達海で毎日選手相手に奮闘していたりする。互いの姿を見ない日だって、そう稀ではない。
「もしかして後藤さん、達海さんと何かあったの?」
「…え?」
達海が言ってしまった後、しばらくしてから有里の目線が後藤へと向いた。向けられた瞬間、後藤の顔が歪んだのを彼女は見逃さなかった。
「だっておかしいじゃない。達海さんて、後藤さんの顔見て逃げたんだし。後藤さんだって、達海さん見た瞬間に表情が変わったんだし」
だから何があったのか白状しなさい、と詰め寄る有里に後藤は居た堪れなくなってしまった。後藤は元々隠し事が苦手だ。挙句嘘も苦手では、どう考えても正直に生きていくしかない。だが彼にとって、昨日のあれは素直に白状する訳にはいかなかった。
「あ、そういえば俺、今日客先との打ち合わせが入ってたんだった。そんな訳で、ちょっと出かけてくるよ」
「後藤さんっ!!」
有里の制止も構わずに、後藤は慌ててその場から逃げ出してしまった。そして最後に残ったのは、ふくれっ面の有里のみ。
「…もー、二人とも何なのよっ」
彼女がそんな風にぶつぶつ言っているのも知らず、閉じられたドアの向こうでは、後藤が真っ赤になって立ち尽くしている。
(俺が何をしたかって、そんなもの、俺の方こそ知りたいよ…っ!)
******
まず冷静になるところから始めるとする。
昨日はそもそも仕事が立て込んでいて、日付が変わる前に自宅に帰れるか帰れないかの瀬戸際だった。
「後藤さん、もう明日で良いから」
「そういう訳にはいかないよ、有里ちゃん」
机にかじり付いて帰ろうとしない後藤の姿に、有里が溜息を吐く。真面目は良いが、ここまで仕事に根を詰められても困る。
「本当に大丈夫だってばー。もう後藤さんったら、本当に真面目なんだから」
偶には飲みにでも行けば良いのにという有里の言葉で、後藤は『あっ』という声を上げた。『どうしたの』と尋ねれば、『忘れてた』の答え。
「達海が何人か連れて飲みに行くから、俺も後で来いって言われてたの、すっかり忘れてたんだ」
「……」
時計を見れば、既に日付が変わる少しばかり前。慌てて携帯のディスプレイを見れば、そこには着信が数件残っていた。後藤はそれを見て、がくりと肩を落とす。
「電話、した方が良いんじゃない?達海さんって、後から煩そうだし」
「…う、うん」
一瞬『嫌だな』とも思ったのだが、有里の言葉に、後藤は通話ボタンを押した。何度かコールした後にぷつりと繋がる音がする。
「もしもし。俺だけど」
向こうも携帯のディスプレイを見ているであろうから、通話相手が誰かは分かっているだろう。それを前提で話しかけたのだが、向こうからの返答が無い。
「おい、達海?聞いてるのか?」
「…おっせーぞぉ、ごとーっ」
「……?!」
怒られるのを予想して電話したのだが、現実は後藤の考えとは逆だった。電話の向こうの声はやけに上機嫌。多分これは、既に相当飲んでいる。
「あと十分以内に来ないと、罰ゲームさせっからな」
「…は?十分?」
達海の後ろから聞こえてくる他の人間の声は、きっと選手達のそれだろう。達海の言葉に『そうだそうだ』とぎゃーぎゃー言っているのが聞こえる。これは相当不味そうだ。
「あの、分かった、すぐ行くから」
罰ゲームとやらも何なのかは分からないが、それ以上に酔っ払っている達海を放っておく訳にはいかない。後藤は慌てて携帯の通話ボタンを押し会話を終わらせると、荷物をまとめ始めた。
「悪い、有里ちゃん。俺ちょっと、もう行くから」
「うん、分かったわ」
有里が一緒に行くと言わなかったのは、不穏な空気を感じたから。後藤の慌て方を見て、これは相当だなと思ったのだ。
(ようやく帰ったのは良いけど、今度は達海さんのお守なんてね。後藤さんったら、いつも損な役回りばっかりねえ)