ぐらにる 流れ1
それは失礼した、と、玄関にとって返したエーカーを蹴り出すべきだったのだが、鍋が沸騰したので慌てて止めた。その隙に、靴を脱いだエーカーは、すとんと、二人がけのダイニングチェアに腰を下ろしていた。
「では、お相伴に預かろうかな、姫。」
いや、別に、奢ってもらったから食べさせることはいいのだが、その呼称はやめてほしい。
「・・あんた・・・自己中とか俺様気質とか言われてないか? 」
「いいや。やや強引過ぎるとは、友人に注意されているが、それが? 」
「俺は、『姫』なんて柄じゃねーって。」
エーカーは、ふむと頷いて、ダイニングテーブルに放り出した花束から、一本のバラを折り、俺の耳の横に挿した。それから、後ろで、ゴムで、ひとつに纏めていた髪にも、いくつか花を差し込む。
「私の目に狂いはなかった。きみは、ピンクのバラが似合うよ、姫。」
・・・・誰でもいいけど、この、俺の話を歪曲して理解する軍人を、どこかへ捨ててきてください・・・・・
とりあえず食べさせて、追い出そうと真剣に料理に取り組んだのは言うまでもない。
胃に優しいものを、と、思ったので簡単なメニューだ。ミネストローネと、じゃがいものパンケーキに、野菜サラダ。これでは、足りないだろうと、スペイン風オムレツを付け足して、パンも出した。料理は趣味も兼ねているから作るのは苦にならない。それらを、食卓に並べたら、超迷惑なストーカーは、綻ぶように微笑んでいる。
「簡単なもので悪いな。あんたが、おごってくれたのの、何十分の一かだが、まあ、味はいけると思う。」
「きみが手ずから作ってくれるものは、私のおごった食事とは比べ物にならない価値がある。きみは、綺麗な手をしていて、それでいて、器用なのだね? 姫。」
料理をしていたので、皮手袋は外していた。仕事柄、手は大切にしている。指先の感覚で照準は変わってしまうこともあるし、傷つけたら、グリップを握る障害にもなる。昔から、それだけは注意していた。だから、暑い夏の盛りでも、外出する時は、必ず、皮手袋をしている。今は、料理をしていたから白くて細い指が見えている。
・・・・血塗られているっていうのにな・・・・・人は外見だけで判断する・・・・
自嘲するように、頬を歪めた。確かに、顔は整っているほうだ。だが、お蔭で仕事としては苦労する部分もある。目敏く見つけられて、こんなふうに追い掛けられることが、たまに起こる。それを逆手に取ることも覚えた。人目を引くなら、それを利用することもできる。身体なんて、壊されなければ、どうということでもない。
「あんた、俺を抱きたいのか? 」
「まあ、そういう感情もある。だが、いきなり、セックスなんていう即物的な感情ではない。きみを理解して、きみも、私を理解してくれるなら、そうなりたいと願っている。」
「だが、俺たちに残されているのは三週間という時間だけだぜ? そんなことをしている間に終っちまって後悔しないのか? 」
抱き合って、気が緩めば、口も軽くなる。ピーロートークというのは、存外、そういうものだ。情報を手に入れるためなら、それは楽な方法だ。だが、エーカーは、途端に悲しそうな顔になった。
「なぜ、三週間と決め付ける? 私は、きみと恋をしたい。それには、そんな短い期間で成就するものだとは到底、思えない。」
「俺は、そんな甘ったるいものに付き合うつもりはない。だいたい、あんた、ユニオンの人間だろ? ここは、AEUの支配圏で、俺は、こちらの人間だ。離れたら、逢うことはない。」
「まあ、毎日、逢うというわけにはいかないだろうな。だが、休暇ごとにコンタクトを取るという方法はあるのではないかな? 姫。」
料理が冷めるから、先に食事をしようと、エーカーは勝手に料理に手を出す。どこの世界に、敵とコンタクトをとる軍人がいる? というか、いい年して恋愛しようなんて誘うか? と、俺は、あまりにも幼稚なことを言うエーカーに呆れて、とりあえず食事を口にした。腹は減っていたから、ふたりとも無言だ。食事させたら追い出して、ロードワークにでも出かけようと思っていたのに、食後のコーヒーなんてものを所望されて、ついつい出してしまう自分の習性が悲しい。
「送ってやるから帰れ。」
「では、夜道のデートと洒落こもうか? 」
「だから、デートじゃないってーのっっ。」
「きみは、さっき、私に抱かれてもいいと言ったが? 」
「それは、もっと性欲処理みたいなもんで、デートする間柄だと言った覚えはない。」
「なぜ、きみは、そんな悲しいことを言うんだろうね? 私は、そんなことを平気で言うきみの過去を知りたい。・・・・そんなセックスは意味がないんだと教えてあげたいよ。」
その言葉に、どきりとした。過去なんてものは、誰にだってあるものだ。忘れたいことも忘れたくないことも、たくさん詰め込んできたから、今の俺は存在する。悲しいなんて言われたくない。
「あんたは、幸せな過去ばかりなんだろうな。・・・・そうでないと、その言葉は出てこないはずだ。」
「そうでもないさ。私だって、いろいろと忘れたいことはある。だが、忘れていては立ち行かないから、前を向いているだけだ。」
「強いんだな? 」
「強がっているんだと思うよ、姫。」
さて、デートに出かけようと、上着を手にして、エーカーは立ち上がる。送ると言った手前、俺も出て行かなければならない。どこか大通りまで歩いて、タクシーに乗せてしまえばいいだろうと思っていたら、意外にも、彼の住処も近所のホテルだった。歩いて十五分という距離に、ちょっと絶句した。こまで、ストーカーに徹底しているのも珍しい。
「わざと、ここなのか? 」
「ああ、きみの登録データを確認して、一番近いホテルに移った。毎朝、一緒に出かけられるし、行き来も楽だろ? 」
寄って行くかい? と、言われたものの、それは断った。だらだらと話し合うこともないし、一人になりたいと思ったからだ。ホテルのロビーで、ここで別れようと言ったら、今度は私が送っていくとついてくる。
「意味がねぇーだろ? 」
「意味はある。きみのような麗しの姫を、ひとりで夜歩きなんてさせられない。」
「あんたより、俺は背丈があるし、それなりの護身術も身に着けているんだがな? 」
「それでも、きみは、私の心を震わせる存在だ。きみの心配をするくらいなら、また送るほうがいい。」
どこか意思疎通できるものはないのだろうか。俺は男で夜道で襲われるような人間ではない。だいたい、百八十を越えた身長の人間に襲いかかるなんて、有り得ないだろう。そう思うのだが、エーカーは真剣に心配している。どっかおかしいのかもしれない。えらいのに纏わりつかれたものだと、溜息を吐き出した。
「あんたのほうが俺より襲われるんじゃないのか? 」
「くくくくく・・・・私は軍人だ。それなりの体術も習得している。襲われたら返り討ちにしてやるぐらいのことは埒もない。」