ぐらにる 流れ1
ほおう、そうくるか、と、ニヤリと笑って、外へ出た。そういうのなら、ちょっと悪戯でもしてやろう。それで、このストーカーもどきは諦めるだろう。近くの緑地帯まで歩いて、そこで、いきなり横手にいるエーカーの背後から抱きついた。首を絞めて落としてやろうと思ったのだが、軽く、それはかわされた。
「さすが、軍人さんだ。」
「なんだ? 姫。私を襲うつもりか? 」
「いや、あんたの習得した体術ってぇーのが、どれくらい実戦で役に立つのかと思ってな。」
「スキンシップだな? いいだろう、軽く食後の運動になる。」
相手は、スーツにネクタイという堅苦しい格好だ。動きが制限される。対して、こちらは、TシャツにGパンという動きやすい格好だ。軽く運動なんて言えないように締め上げてやろうと、片手を掴まえて関節技を仕掛けた。
「SEにしては、率のない攻撃だ。」
「褒めてる場合じゃないだろ? このまま、落とすぜ? 」
後方支援が仕事とはいえ、接近戦のための技術も身についている。片腕を捕まえたままで、頚動脈を押さえ込もうとしたら、するりと、その体から抜けられた。さすが現役の軍人だけはある。急所は知り尽くしている。そこを攻撃することは、いつもの癖だ。だが、それをすり抜けるようにして、エーカーは俺に抱きついた。
「・・・きみは・・・本当に正体不明だ。その攻撃は、殺人のための技ではないか? 姫。」
「俺には生きるために、これが必要だった。それだけだ。」
援護のない仕事だってある。そうなれば、生き残るためには、相手を殺し尽くすしか方法はない。手馴れたものになったと自嘲したこともあるが、それがなければ生き延びていなかった。だから、自分の身についたものを否定するつもりはない。
「ダメだ、姫。そんなことをしてはいけない。」
ぎゅっと抱き締めて、俺の動きを止める。
「あんたを殺すつもりはないさ。ただ、オイタが酷いから、ここで締め上げておくだけだ。・・・もう、俺に拘わるな。」
エーカーの顔を持ち上げて、口付けた。それは、キスという意味ではない。それに気を取られているうちに頚動脈を締める方法だ。口付けで呼吸困難にさせるから、普通より早く気絶する。だらり、と、エーカーの腕が落ちて、身体から力が抜けた。それを確認して、身体を離したら、彼は、そのまま地面に倒れた。
・・・・悲しかろうが、人殺しの技だろうか、生きていくために必要なものだ。幸せな人生を送っているあんたには、わからないだろうよ・・・・
そのまま、放置して家に戻った。これで、近寄らないだろうと思っていた。ここまでやられたら、普通は諦める。どうせ、後三週間のことだ。同情されたことが腹立たしくて、それを紛らわせるために、また料理を作った。それは、刹那のところへ差し入れしてやるつもりだった。どうせ、ジャンクフードしか食べていないだろう年下の同僚のために用意する。俺だけではない、刹那も同様の生き方をしてきた。お互い、同情なんて生ぬるいものはない。そのほうが、俺には安心できる。
翌日は週末で、施設も休みだ。だから、少し寝坊して、それから家を出た。紙袋には、いろいろな料理を詰め込んだタッパーが入っている。レンジで温めれば食べられるものばかりだから、少しは役に立つだろう。徒歩五分という場所なので、だらだらと歩いて辿り着く。合鍵で部屋に入ったが、刹那はいなかった。予定を確認していなかったので、そこで携帯端末で調べたら、ここではない別の施設にいるらしい。近々、こちらに出向く予定であるので、そのまま冷凍庫に、そのタッパーは放り込んで、メモだけ残しておくことにした。
刹那の部屋は、何もない部屋だ。パイプベッドと冷蔵庫とレンジしかない。作り付けの食器棚には、以前、俺が用意してやった食器が入っているが使っている様子はない。そういうものに興味がないと言ってしまえば、それまでだが、俺も昔は似たようなものだった。ただ、料理だけは、どうしても口に合うものが食べたくなるから準備する。過去、家庭料理を食べていた俺は、その味を覚えているから市販のもので満足できない。刹那には、それさえない。いや、俺以外のマイスターは、皆、そうだ。だから、ついつい料理を振る舞うようになった。それで何かが変わるわけではないが、そういうものが世界にはあるのだと知って欲しいと思ったからだ。
ピピッ
携帯端末が着信音を出す。相手は、刹那だった。
「どうした? 」
「あんたが、俺の住処に入ったとセキュリティーに出た。」
「ああ、すまないな。いつものやつだ。・・・おまえ、二、三日で、こっちに来るんだろ? ジャンクフードばかりじゃ栄養が偏るからな。レンジで温めれば食べられるものを冷凍庫に放り込んだ。」
「そうか。・・・何かあったのか? 」
テレビ電話というものは厄介だ。顔が相手に映るから、それで悟られることもある。たぶん、自分は、今、とんでもない顔をしているだろう。酷く傷ついた気分だったからだ。
「うーん、苛められたってとこかな。・・・俺の通ってる研究施設は、いろんな人間が出入りしているからな。」
「らしくない。」
「そうだな、俺らしくないな。・・・戻ったら、連絡をくれないか? 」
「ああ、了解した。・・・気にするな、ロックオン・・・」
ぶっきらぼうだが、刹那の言葉に慰めが含まれていた。少しは成長しているな、と、その言葉に微笑んだら、相手は、舌打ちして先に通信を切ってしまった。
・・・そうだな、気にしなければいいんだ。いろんな人生があるんだから、俺は可哀想なんかじゃないよな? ・・・・・
不幸比べをしたら、組織では、太刀打ちができないくらいのものが、いろいろと出てくる。守秘義務で、皆、口は割らないが、マイスターたちは、それなりに互いの過去を知っている。誰も、それが不幸などと思っていない。そういう生き方しかなかったのだと納得している。
・・・不幸じゃない・・・
そう呟いて、刹那のベッドに寝転んだ。少し話した事で、気持ちが軽くなったのか、睡魔に襲われた。昨日は、あまり寝ていない。どうせ、この部屋の主は不在だから、叩き起こされることもない。