消えた灯台
話すうちに俺は思った。彼のアクセントにはどこか甘えるような不思議な響きがある。ミスター、そう彼が俺のことを呼ぶたび、なんだか頬の内側を指先でくすぐられているみたいな心地がして、どこかこそばゆくなるようだった。矯正中のキングス・イングリッシュに、おおらかな大陸なまりが混じってそんな不思議な声音をうみだしているのだろうか。俺は解らなかった。しかし、心地の良いすてきな響きを彼の声は持っていた。
聞けば十近くも年が離れているはずなのに、どうして俺達の話題は尽きることがなく、様々なところへと飛び火して、そのたびに静かに燃え広がるのだった。アルフレッドはよく笑い、お茶しか飲まなかった。俺は子どもの頃からよく知っている執事を呼びつけ、新しい皿が出るたび二人分持ってこさせて、アルフレッドにも勧めたが、彼は手をつけず、俺は黙って半分を自分で食べた。
その三日後、俺は彼の家を訪ねることになっていた──自然の成り行きで。青い目をした少年、アルフレッドは俺の家から馬車で十分ほどいったところにあるらしい。昔ながらの古い家に父親代わりの叔父と住んでいる、と言った(あの時彼から外套を脱がせてやっていたのがそうだった)。「叔父はいい人です」とは、アルフレッドの言──幼い頃両親を亡くした彼をひきとり、以来彼らはアメリカで転々と移り住み、その間にナイトの称号を受けて、ここに流れ着いたのだという──なるほど、俺は思った。「いい人」でなければ、息子とも思えない年頃の少年を連れた中年男が、こんな田舎に越してきたばかりで周りになじむことなどなかなか難しかったろう。田舎の人間は基本的に自分たちの生活に固執するし、よそ者には厳しいものだ。──なるほど、帰り際に少し話しただけだが、アルフレッドの叔父であるジョーンズ氏はなかなかの好人物だった。
家に遊びに来ませんか。あなたのお気に召すものがきっと見つかると思いますよ。アルフレッドはもう少し経ったら女性を虜にするだろう、そんな明るいすてきな笑顔を見せてそう言った。「きっとね」
また夜であった。時間は午後の八時、吹き付ける夜風には潮が混じっている。ドアノッカーを二度三度と叩いても、なぜか人の出てくる気配がなかった。
古びた屋敷は整えられていたが、しかし時代を感じさせる空気だけはぬぐえないといった風に、海のほど近くにあった。にわか地質学者気取りの父が見たら喜ぶだろう、地層がむき出しになった崖がすぐそばにそびえ立っている。裏手にはうっそうと生い茂った林が見え、夜の間は立ち入らない方が良い、その方が身のためであると言われているような気がして、俺はぶるりと身震いをした。
困り果ててどうするべきか迷った俺の耳に、けらけらと明るい子どもの声が聞こえてきた──間違いなくアルフレッドの声だった。その直後に何かが派手に砕け散る音がしたのだった。俺がすわ一大事と重たいドアをこじ開けるべく叩いても、蹴っても、ドアはびくともしなかった。また何かが壊れる音がし、俺はいてもたってもいられなくなって、庭へと走り込んだ。中庭に三月ほど前に芝を敷き直し、リビングの一部をガラス張りに改装して、庭とひとつづきの温室風にしたのだとアルフレッドが言っていたのを思い出したからだった。ガラスならば簡単に破ることができるだろう。
俺が見たのは、ソファに寝そべる男の姿だった。
そこにいたのは一人ではなかった。ジョーンズ氏は体を投げ出すように赤いビロードが張られたおおきなソファに横たわっており、むき出しの腹の上には他人を乗せていた。ふたりの着衣が乱れていたならば、たいそうみだらな格好だったろう。そんなだらしのない姿をさらしていた。
ジョーンズ氏はシャツを半分かたはだけており、年相応にゆるんだ腹部に、彼の腹の上に座ったアルフレッドの骨のように白い指先が食い込んでいた。アルフレッドは彼の首筋に顔を埋めており、まるですがりつこうとするように、腹部に触れていない方の右手はジョーンズ氏の首裏へと回されていた。
しかしふたりの絡み合う様子を見ても情事の最中と思わなかったのは、彼の首筋から腹の中ほどまでに、一すじの赤い血が糸を描いているからだった。赤い糸のような血液はそこからあふれ、生まれ出たばかりの細い蛇のように白い腹を伝って、ジョーンズ氏の腹へと食い込んだアルフレッドの細い指先で血液だまりを作って、そこで止まっているのだった。
金色の髪を垂らし、彼の顔を俺からかばおうとでもしているようにジョーンズ氏の上に覆い被さっていたアルフレッドが、ゆっくりと顔を上げた。金色の髪の滝の隙間から覗く青い目はらんらんと輝く宝石に変身していた。おそろしい、そう思う前に俺にはうつくしさが目につき、そのことがなおさら、ぞっとするような気配をあおった。
アルフレッドの唇は真っ赤だった。否、彼の鼻先から喉の下までが、インクを零されたかのように赤く、濡れていて、てらてらと光っていた。俺をみとめ、楽しそうに顔をゆがめたアルフレッドの唇から、一筋の赤いしずくが新たにこぼれ、彼の着ている白いシャツに新たなしみを作った。
まるで何事もなかったかのようにアルフレッドはジョーンズ氏の体から降り、口元を白いシャツの襟を使ってぐいとぬぐった。彼の顔を染めていた赤い体液はそんなことでは消えてなくならず、わずかに薄まっただけに思えたが、しかしそれよりも三日前みとめた時よりもよりいっそううつくしく咲いた、アルフレッドの瞳の色が気になって仕方がなかった。二人がしていたのが何らそういう意味合いを持つ何かでないにしろ、今晩のアルフレッドには、どこか(こんな少年が持つには不釣り合いな)淫蕩なうつくしさがあった。
少年は自分の顔を汚すものを全く気にしていない様子で、楽しそうな調子でガラス戸まで歩いてくると、鍵をあけ、俺を招き入れた。
「こんばんは、ミスター」
相変わらず頬の内側をくすぐる声で、アルフレッドは笑いながらそう言った。「今日は冷えるね」