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砂塵のむこう・1

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馬の首に矢が二本、立て続けに突き刺さるのが見えた。
 次の瞬間には、目の前は黄色い土の地面だった。地響きを立てて、馬体が横倒しになり、鍾会の体は馬の下敷きになった。
「くそ、こんな処で」
 なんとか馬の体の下から這い出し立ち上がろうとするが、うまく立てない。足に力が入らないのか、痛みからか。全身が痛いので、よく分からなかった。
 どこか怪我でもしたのだろうか。
 敵の歩兵が、自分に向かって突き進んでくるのが目に入った。体勢が整わないまま、武器を構える。
 自分は、ここで終わるのか?
 英才教育を受け、誰よりも優れているこの私が?こんな陳腐な内紛で?
 冗談じゃない、と思ったが、体が思う様に動かないのは、どうしようもなかった。
 周囲に味方は見えない。撤退中の騒がしさの中では、たとえ誰かがこの状況に気づいたとしても、嫌われ者の自分を救うために、敵が迫ったこの場所へ来るとも思えない。
「ふん、この私を深追いしたことを、死んで後悔させてやる。」
 一人呟いて、剣を握る手に力を込めた。
 すると、馬蹄の響きとともに、土煙で視界がふさがった。今まで見据えていた敵の兵の姿が、薄黄色い膜の向こうに消える。
 何が起きたのか。敵の騎馬が到着したのか、だとしたら、ここが私の死に場所か・・・
そう覚悟した時、土煙からにゅっと太い男の腕が現れ、鍾会の腕を掴み、物凄い力で上に引っ張り上げた。
「無事か、鍾会殿」
 鄧艾だった。
 なぜ、と驚いている間もなく鄧艾は鍾会を馬上に引き上げ、螺旋槍を振り上げた。一振りごとに、敵兵が何人も吹き飛んでいく。
「この場を離脱する。鍾会殿、自分にしっかりと掴まっておられよ」
 左腕に鍾会の体を抱え、右手に螺旋槍を握った鄧艾は、腿の力加減で馬を操り、敵をなぎ倒しながら疾駆した。
 掴まれ、と言われ、鍾会はどこに掴まったらよいのか束の間迷ったが、首が一番無難そうだったので、鄧艾の太い首に腕を回した。
 目の前に、鄧艾の顔がある。不精髭が鍾会の頬をくすぐった。猛烈な速さで敵中を駆ける馬から振り落とされるかと思ったが、体は背中に回った鄧艾の逞しい腕と、厚い胸板にしっかりと挟まれている。その体を、安堵感が温かい湯のように体を包んでいくのを、鍾会は不思議な気分で感じた。
 先ほどは、死を覚悟したのに。
 一人だと思ったのに。
 味方は誰も、いないと思ったのに。
 鍾会は、そっと鄧艾の顔を盗み見た。まっすぐ前方を見ているその顔は、いつもの戦場での表情と変わらない。いかつい顔に、生真面目そうな口元を引き結んでいる。
 女のように抱きあげられている自分が、少し恥ずかしかった。
 いや、でも、私は足を痛めたし、今は撤退中で、仕方ない状態で・・・。
 広い胸にすっかり体を預け、安心している自分に対して、言い訳を探した。


 馬の速度が落ちて、並脚になった。
「鄧艾殿?」
 鄧艾の肩に乗せていた顔を上げ、鍾会は鄧艾の顔を見た。鄧艾が、ちらりと鍾会に視線を移し、また前を見る。
「この先に集落がある。この戦で人は残っていまいが、井戸があるやもしれぬ」
「井戸?」
 喉が渇いたのか?それとも馬に水をやるのか。
「ここまでくれば、敵は追ってきまい。あとは自陣に戻るだけだが・・・鍾会殿、怪我をしておられるな」
 落馬時に足を痛めたとは、言っていないはずだった。
 黙った鍾会の意を汲んだのか、鄧艾は再び鍾会に目をやった。
「落馬の後、立ち上がる様子がおかしかったのを見ていた。放っておくと、生涯足を引きずることにもなりかねん。早めに応急処置だけでもしないと」
 まっすぐに視線を向けられ、思わず目を逸らした。
 目が合うと、少し緊張する。そして、少し気まずいような気分になる。
 やがて集落に入り、井戸を見つけた。鄧艾は鍾会を馬上から下ろして地面に座らせ、井戸を調べ始めた。水の音が聞こえる。どうやら埋められてはいなかったらしい。
「大丈夫だ、毒も入っていない」
 汲みあげた水を手で掬って口に含んでから、安堵した様子で言った。
「鍾会殿、痛むのはどのあたりか」
 そう尋ねながら、鄧艾は手早く鍾会の具足を外し始めた。まず両足、それから胴。鍾会が痛む場所を言うより先に、負傷個所は分かった。左足首が、見るからに腫れ上がっていた。鄧艾は、腫れた左足首をゆっくり回すように動かした。痛みに、鍾会が呻き声を上げると、手を止める。
「骨は折れていないようだ。捻挫だけで済んでよかった」
 鄧艾は、自分の衣服を裂き、その布を井戸水で濡らして鍾会の足首に巻きつけた。
「捻挫はとにかく冷やしておくことだ。あまり動かしてもいけない・・・鍾会殿、その血は?」
「え?」
 軍袍の、脇腹のあたりに血が滲んでいた。鄧艾は襟に手をかけ、鍾会の軍袍を何の躊躇もなく剥く。
「あっ、何を」
 いきなり肌をあらわにされ、鍾会は慌てたが、鄧艾はまったく意に介さず、傷を探る。
おもむろに傷に唇をあて、吸いついた。
「と、鄧艾殿」
 思いがけない鄧艾の行動に、鍾会はうろたえた声を上げ、すぐにそのことを恥じた。突然のあまり、抵抗も出来ない。
 吸われたところが、熱くなった気がした。
 鄧艾は吸いだした血を横へ向けて吐きだし、傷口を観察する。
「・・・大丈夫だ。矢傷のようだが、矢じりも残っていないし、毒も塗られていなかったようだ。かすっただけであろう」
 よかった、と呟きながら、また濡らした布切れで傷を拭き清める。
「あの、鄧艾殿」
 鍾会は、俯きながら小さな声で言った。顔が赤くなっているのが、自分でも分かる。鄧艾には赤面した顔を見られたくなかった。
「痛むのか、鍾会殿」
「いえ、もう血も止まっているようだし。この程度の傷、大して痛くもありませんよ」
 出来る限り、突き放した言い方をした。
 自分の目の前に鄧艾の顔がある。生真面目な顔つきで、じっと自分の顔を見ているのが、俯いていても感じた。
 落馬したところを助けられ、怪我の治療をされているのは、たまらなく悔しい。
 こんな風に心配され、彼の前で肌を晒しているのは、もっと恥ずかしい。
 早く、今の状況から抜け出したかった。
「急いで陣へ戻ったほうがいいでしょう」
 顔は上げなくても、鄧艾の視線が、自分の顔を捉えたままなのは分かった。顔が赤いことに、気づかれないことを願った。
「そうだな」
 しばしの沈黙のあと、鄧艾は短く答えた。鍾会の衣服を直し、鍾会を軽々と抱き上げ、鞍に座らせた。その背に、鍾会を後ろから抱きかかえる格好で、鄧艾が騎乗する。
「傷が痛む時は、言ってくれ」
 耳の後ろから、鄧艾の声が聞こえた。息が、少しだけ髪をかすめた。後ろから、手綱を握る鄧艾の逞しい腕が伸びている。
 このまま、抱きすくめられたら、と一瞬想像し、すぐに否定した。
 何を考えているんだ、私は。
 さっきから、一人で慌てたり、赤くなったり。鄧艾は、こんなに落ち着いているのに。
 戦場でも、常に冷静で落ち着いているのだろう。
 あの混乱した戦場でも、取り残された自分を見つけてくれた。
 危険を顧みずに、助けてくれて、何も言わないのに怪我を察し、治療をしてくれた。
 今も、自分を気遣って、体の負担にならない速さで馬を駆っている。
「鄧艾殿」
作品名:砂塵のむこう・1 作家名:いせ