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きみのよる

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豪炎寺の家へ来てわかったことがいくつかある。
意外と料理がうまい。逆に部屋は意外ときたない。あと、髪を下ろすと幼くなる。


豪炎寺のつくったチャーハンと冷凍のから揚げを食べながらふたりでテレビをみる。彼が録画していたらしい海外サッカーチームの試合だ。違和感ばかりがつのった。どうして、こうなった。今日はこんなことばかり考えているな。鬼道が自嘲気味に笑うと隣にすわっている豪炎寺が「なんだよ」とすこしむくれて言うので余計におかしくなった。乾き切っていない白銀の髪は目にかかるくらいにへにゃりとしており、彼が毎朝ワックスをどれくらい使うのか気になった。


「いや、別に。ごちそうさま」
どうでもいいことばかりに意識をもっていかれる。そういえば家に連絡をいれないとな、と携帯をとりだしたところでこんな内容のメールを打つのははじめてなことに気付いた。しばらく悩んだところで 今夜は友人のところに泊まります。明日の朝には帰るので心配しないでください。と簡潔な文を送信した。ただそれだけなのになんだかむず痒く、鬼道はすばやく携帯をカバンにしまう。
視線をちらりとうつすと完全に自宅モードでソファに腰掛ける豪炎寺がなぜか恨めしくなった。
そのせいでゴールシーンを見逃した。


試合を見終えて、めぼしいテレビ番組もなくなってきたところでもう寝るか、と豪炎寺が言った。明日も昼から練習だ。この雨だからグラウンドが使えるかはわからないが、休養はとってこしたことはない。鬼道はうなずいて彼に続いた。


「わるい。部屋片してないから、布団しけない」
「…何カ月片付けなかったらこうなるんだ…」
豪炎寺の部屋はなんというか、足の踏み場がないというのはこういう光景につかうのが正しいんだろうな、という具合だった。部屋の割にベッドがやけに広くて、彼の生活はこの上でまかなわれていることが容易に想像できる。
「わかった。布団だけ貸してくれ。おれはソファで寝る」
「…鬼道もここで寝ればいいだろう」
そういって鬼道の返事も聞かずのそりとベッドに入る豪炎寺を、一年連中に見せてやりたい。おまえたちの尊敬する豪炎寺は、実はこんなやつなのだと言ってやりたかった。正直かんがえることが面倒くさくなってきた鬼道もおそるおそる豪炎寺の隣にもぐりこむ。右向きでしか眠れない鬼道は、結果豪炎寺と背を向け合うようにして眠ることになる。この時ばかりはその癖に感謝した。


「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
ぱちんと電気が消される。瞬間感じた違和感の正体に鬼道が気付くのは、それから程なくしてからである。


眠れない。真っ暗なのだ。普段豆電球をつけて眠る鬼道はいつまでたってもこの部屋の暗さに慣れることができずにいた。自分のベッドじゃないとか、まくらがすこしかたいとか、そういう類じゃない。どことなく心が落ち着かなくて、時計の秒針だけがカチカチとやけに耳に付いた。隣で寝ているだろう豪炎寺を起こさないように音をたてずに寝がえりをうつ。なんとなく、彼の背中をみたら安心できるような気がした。
だけどそこにあるのは相変わらず暗闇ばかりだった。彼の背中も、薄い色素の髪も、まっくろな部屋に溶け込んでしまったように見えない。豪炎寺、ごうえんじ、
鬼道は無意識のうちに暗闇に手をのばす。なにかつかまないと、この四角い部屋にとりのこされた気分になる。ごうえんじ。


「……」
「……」
「…きどう」
「…す、まない…」
起こしてしまった。いいや、そうじゃない。そんなことはどうでもよくて。
鬼道は己の右手を呪った。どうしてこんなことをしたんだ。
右手の先は豪炎寺のシャツをつかんでいた。視界になにも映らないことが不安で、豪炎寺がそこにいることを確かめたかったのは事実だが、だからって、自分がこんな幼い行動をするとは。そしてまだその手を離せないでいる。
豪炎寺の背中ごしに聞こえた声はすこしこもっていて、やはり寝ていたんだなと申し訳なくなる。どうせ表情なんて見えないだろうが、やるせなくて顔をそむけるようにうつむく。


「鬼道」
「…」
「ねむれないのか?」
「…すまん」


「さっきから謝ってばかりだな」
「…!」
ギシリと大きくベッドがきしむ音がする。つかんでいたTシャツの感覚がなくなったかと思うと、次の瞬間にはあたたかいものがてのひらを包んでいた。それが豪炎寺の手であり、次いで彼の体温が急に近くなったことから、鬼道は豪炎寺が寝がえりをうって自分と向き合っていることを理解した。
寝返った豪炎寺との距離が思ってたよりも近くて、鬼道は後ずさりそうになる。だけど繋いだ手がそれをゆるさない。おだやかだったはずの心臓はばくんばくんとうるさくて、先ほどまではすこしひんやりしていた指先なんていまは燃えそうなほど熱い。

そういえば、こいつと手をつなぐのはこれで3回目だ。


「豪炎寺」
「なんだ」
「おまえ、眠いだろう」
「どうして」
「てのひら、すごくあつい」
「…おまえだって、いまはあったかい」
「…」
「さっきはつめたかったのにな」
真っ暗な部屋にぽつりぽつりと落ちていく言葉たちは頼りない。鬼道は、隣にいる男はほんとうに豪炎寺なのか疑わしくなった。色彩のないぼんやりとした影だけがそこにある。
「きどう」
だって、普段の豪炎寺はこんな、とろけそうな声で自分を呼んだりしない。いつも一歩下がったところで他人を見ていた。拒絶や心の隔たりではない。ただ、彼の立ち位置はそこで定着していた。同じ位置から彼をみていた鬼道がいちばんそのことを知っている。
なのに、今日はなんなのだ。
それともこれが本当の豪炎寺なのだろうか。料理がうまくて部屋の片づけは苦手で、前髪をおろすと幼い。それからてのひらは鬼道よりもあたたかい。


手を握ってもらって安心するなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて人には言えない。けれどだんだん乳白色になっていく意識と甘くなる声は否定できない。いつものようにゴーグル越しではない瞳をほそめて豪炎寺の瞳をさがした。なるべく彼の顔を正面からみつめて言いたかった。


「わらうなよ」
「?」
「おまえが初めてなんだ」
「なにが」
「こうして誰かの家で夕飯を食べたり、風呂を貸してもらったり、テレビをみたり、一緒に眠るのが」
「………そうか」


雨がひどかろうがなんだろうが、帰ることは可能なのだ。鬼道は普段つかわないが、バス停だって傘を借りてすこし歩けば着く距離である。車を呼んでもよかった。
でもそうしなかったのは。
鬼道はきゅっと目をつむる。同時に繋いだ手に力をこめてしまう。するとそれよりも強い力で握り返してくる豪炎寺に、鬼道は眉を下げて目元をゆるめた。どうせ見えないだろうけど。


そうしなかったのは、。
「案外、楽しいものだな」


真っ暗な部屋には時計の秒針とかすかな雨音と、彼の指先の熱だけがあった。
繋いだてのひらが熱かった。だけど心はもっと熱かった。


作品名:きみのよる 作家名:mum