アフターダーク
雲雀恭弥はいつも白い山百合をイーピンに贈った。
美しい五弁の花びらはいつでもきりりと反って、ピンと立った雄蘂と雌蘂を正直なまでに曝け出していた。イーピンはその花を愛でて香りを嗅ぐのが好きだったし、雲雀はその様子を見るのが好きだった。
山百合の花を愛す、そのメタファーを読み解くには如何せん彼女は幼すぎた。しかしその豊潤過ぎる、生の迸りにも似た青い香りを鼻腔一杯に吸い込む度に、彼女は雲雀の歪んだ愛情を浴びるような気分になった。沢田綱吉によってこの部屋に閉じ込められたイーピンにとって、雲雀の持ち込む山百合は「外」の香りだった。
懐紙で雄蘂の先端を拭い取り、その細い指先で雌蘂の薄緑色の滑りを撫でる彼女を、雲雀は頬杖を突きながらどことなく満足げに見詰める。その視線に晒されていることを感じている彼女は、それを愛でるのが楽しかった。イーピンにとって雲雀恭弥は窓であり、山百合は吹き込む風だった。
イーピンには名字がない。もともとはあったのかも知れない。しかし彼女自身はそれを知らないし、周りの人間も知らなかった。便宜上、沢田の姓を使うことがなくもなかったが、その必要も、彼女が成長するにつれて徐々に減っていった。度を超した過保護と心配性を患う綱吉によって軟禁されることになったからだった。社会から隔絶されれば、人間にとって姓などというものはそれほど重要なモノではなくなるのだ。
彼女は、外の空気に飢えていた。綱吉がイーピンに外出を許すのは、彼が彼女の力を必要とする時だけだった。外出と次の外出の間隔の狭い時期もあったし、久しくその機会がないこともあった。それ以外の日は本を読んで過ごした。なぜか彼女の部屋に持ち込まれる本は多種多様だった。彼女はそれを気分で選びながら、気ままに読んだ。そして、外出の迎えが来る時をただ、待っていた。
彼女の人生とは即ち、待機だった。
そんな彼女にとって、訪問客とは社会との間に通じたドアのようなものであった。閉ざされている二つの空間を、ほんの僅かの間だけ、開けて風を通すようなものだ。
彼女のもとを人が訪ねてくるのは、常に夜だった。日没の後だ。それは彼らが日中は忙しくて彼女を訪ねてくることができない、という理由によるものであった。そして同時に、外出するのがいつも夕暮れよりも後の時間だったために、彼女が普段から日中眠る生活をしていたからでもあった。
イーピンにとって世界は闇の中にあって、外界とは月と星の下を意味した。絶えず彼女の手を引く者がいて、そして気が付けば彼女はその静かな日没後の世界で、意志だとか希望だとかとは無縁の行動をとって、そして再びあの繭のような閉鎖空間へ戻る。いつまでそれが続くのか、そんなことを考えたことはなかった。
闇の中から訪れる雲雀は、いつも月のように白い百合を手にしていた。外の世界に、昼に出るようなことがあれば。彼女はぼんやりと考える。それは百合のような香りをしているだろうか。青くて生き生きとした香り。
雲雀が帰った後の部屋は、常に百合の香りに満ちていて、彼女を昼の世界への憧憬と羨望で灼くのだった。
その日も、迎えにきた獄寺隼人の顔色は冴えなかった。インターフォンを押して、部屋に上がった彼の暗い表情から、彼女は今日も仕事は残酷なものだと知る。それでも、彼女はそれを断ることができない。ただ頷いてその仕事を片付けるだけだ。
そもそも、彼女には力を制御することもできないのだから。
手を引かれて外に出ると、いつも通り世界は闇に沈んでいた。
彼女は獄寺と仕事をするのはあまり好きではなかった。何でもかんでも爆薬で吹き飛ばしてしまうのを見るのは、彼女にとって楽しいことではない。そこには一つも取捨選択がなく、ただ一括りに焼き払うだけである。
獄寺の手が繊細に鍵盤を叩くことを、彼女は知っている。あるいは、子どもの頃見せてくれた芸当のように、飛んでいる紙飛行機をモデルガンで撃ち落とすことさえ、できる。
それなのになぜ、獄寺は仕事となるとああもいい加減に、なんでもかんでも一緒に燃やしてしまうのだろう。イーピンにはよくわからない。わからないまま、闇の中へ手を引かれていく。