交換日記
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3月18日:(竜ヶ峰)
春休みも間近です。これを始めてから約一年が経とうとしています。
春休みが終われば、折原くんは三年生に進学するので来年は受験ですね。君の事なのでそういう面での心配は特にしていませんが、応援しています。
君もご存知の通り、来年僕はこの学校、来神高校にはいません。産休の先生の代わりに、姉妹校の来良高校へと転任が決まりました。これを渡さずに終わりにしようかとも思ったんですが、やっぱりお礼が言いたくて。
一年、正直に言ってしまえば、教師にとっての一年は君達生徒のものと比べてそう長いものではありません。
それでも、この一年は僕にとってとても大事な一年になりました。このノートが、今ではとても大切です。
折原くんは僕にとってずっと、大切な 生徒です。一年間色々あったけど、続けてくれて本当にありがとう。
このノートは僕が貰ってもいいですか?
もしくれるなら返事を書いても書かなくても、春休み前に僕へ返却して下さい。
どうするかは、折原くんにお任せします。
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3月21日:( 折原 )
ここに書くのはこれが最後かな。
君が起きた時俺はいない方がいいだろうから、置き手紙代わりに書いとくよ。
交換日記ね、これ結構面白かったよ。古風な手法だけど人柄や考えてる事が滲み出ていい。
一頁前の、3月18日のなんか何度も何度も書き直した跡があってさ。君本当、素直じゃないよね。
大体君が何考えてるか想像つくし、ついたから今日押し掛けて押し倒したんだけど。
教師としてとか、生徒の未来とか、一過性だとか、今なら引き返せるとか、まぁそんな所だろ?
そっちの立場ならわからなくも無いけどでも俺の事知っててそういう一般的な結論に…なるのが君らしいけどさ。
誕生日に泣かして悪かったけど、でも君結構強情だから言っても聞かないと思って。
一年待ってあげても良かったけど、今じゃないと無かった事にされそうだし、する気無いから、だからいい加減諦めなよ。でも君の気持ちを尊重して、これから一年我慢してあげる。
だから、今夜の文句は卒業してからにしてくれる?その時にしねばいいのにでも何でも、いくらでも聞いてあげるから、だからそれまで少し待ってて。
誕生日おめでとう、来年も言うから。
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「…あ、やば時間、」
そこまで読んでノートを閉じ、急いで鞄に戻して、コートを羽織り細々とした支度を整えて家を出る。
多少駆け足で電車に乗り込んだが、頬が赤い理由はそれだけでは無い気がして頭を下げる。満員電車に初めて感謝したかもしれない。窓を流れる景色はまだ寒々しいが、あと一ヶ月も経てば桜色に染まり今日旅立つ彼らの新生活を祝うだろう。電車が揺れる度に掛かる負荷に耐えながら、心中でこれからの予定を復唱する。
今日は来良、来神高校共に卒業証書授与式が執り行われる。
今の僕が勤務しているのは来良高校で、持ちクラスは無い。担当教科のみではあったがその教え子達をきちんと見送った後その足で来神高校へと向かい、おそらく間に合いはしないだろうが出来れば数人でも、彼を含め、かつての教え子達の卒業も祝いたい。
その時彼に会えなかったらそれまで、もし会えればこのノートを手渡す。
彼はその時一体どんな表情を見せるだろう、今頃は何をして、何を想っているだろうか。
あの日記を残した日を最後に、彼とは一切連絡も取っていないし姿も見ていない。
彼が今何を思っているのか僕には全くわからない。もしかしたらもうこんな日記も思い出も約束も全て、僕の事なんかとっくに綺麗さっぱり、忘れ去ってしまっているかもしれない。
でも、それでもいい。それぐらい彼らにとっての一年は長く変化に富み、またそれだけの意味がある。
笑って送り出してやるのが教師としての務めだ、彼の答えが如何なるものだとしても。
一年前、最後の彼の日記の後、僕の想いを、最後の交換日記を書いた。
それを彼が読むも読まないも自由だし、読んだとしてどうするかも、彼次第。
ただ日記を書いて手渡し、後は彼に任せる。
それが交換日記というものであり、また僕の出した答えだった。
「…来てない?帰ったんじゃなくて?」
「折原臨也だろ?朝から見てねーけど。」
「…」
来なくていいけど、あ、でもあいつの卒業くらい喜ばしい事も無いんだから今日というスーパーエクストラホリデーにちゃんと差別せずコングラチュレーションしてやるのに、
あの彼とはまた違ったタイプの、しかし淀み無く流暢に話しつづける幼馴染みであり親友であり昨年まで同僚でもあった来神高校の体育教師、紀田正臣にそうありがとじゃあ僕帰るね、と容赦なく彼の話をブツ切り、別れを告げる。おいおい待てよ一緒に飲んでけよ、と正臣だけでなく、園原先生始め他の元同僚の先生方にも引き止められ打ち上げに誘われたが、今の職場を理由に丁重に断ってその場を後にした。
一応帰りがけに、彼の家や、来神高校周辺の僕の知る限りの彼の行きそうな場所を確認してから、また来良高校へと戻る。打ち上げに参加する気分では無かったが、現在の上司である校長曰く参加は義務らしいし来神高校とは違い現在の職場である人間関係を考えると無理に断る事も出来ず、帰り着いてすぐにそのまま残っていた同僚達と打ち上げ会場へ向かった。その時もう、日は傾き落ちかけていた。
結局、渡す事すら出来ずに終わってしまうのか。そして彼は一体どこに行ってしまったんだろうか。
そんな事ばかり考えながら付き合っていた上司の愚痴と同僚の絡み酒から開放され、一人帰路についていると、開放感と共に湧いた孤独感に押し潰されされそうな気がした。
もう二度と会えないのか。やっぱり僕なんか彼にとって大した存在では無かったんだ。
諦観と同時に溢れてきたのは疑念と悲しみと怒りで。あれ程覚悟して、抑えていた気持ちも誰も居ない今この場でだけ、独り言でなら吐き出してもいい気がして。
何だよただの遊びだったのか、こっちがどれだけ悩んできたと思ってるんだ、それとも彼の事だから観察して楽しむのが目的だったのか、やっぱり人として最低だ、性根が腐ってる、関わるんじゃなかった、しねばいいのに、
ブブブブブ
「っ、」
大人げない愚痴を独り小声で吐き出しているその時、携帯のバイブ音が響き、心臓が止まるかと思う程大きく揺れる。まさか、期待と不安が心音に混じる様に湧き出し、恐る恐る携帯を開けば新着メールが一件。
ぎゅっと目を瞑り震える指でゆっくりボタンを押して、目をそっと開いて見れば、
「…はは、馬鹿みたい、僕。」
届いていたメールは今日会ったばかりの親友からで。
誕生日おめでとう!その文字とそれを飾る絵文字や画像から届く気持ちは確かに有難いのに、今の僕にはどうしても空しく見えてしまって、そして実際に視界がぼやけてしまって、その全てを申し訳無く思った。