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雨の日の災難

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 そこは有名なチョコレートの専門店であった。イギリスにおいては老舗であり、またフランシスがロンドンへやってくるときはいつも立ち寄ることにしていた。ショーケースにおさめられたチョコレートはまるで精巧な工芸品のように、大事に保管されていた。どのチョコレートも角度や光の加減によってさまざまな表情をみせ、フランシスはいつもショーケースの前で動かなくなる。箱につめる分だけのチョコレートを選ぶために悩む、なんて贅沢なんだろうか。
 フランシスはどれがいいかとあれこれ悩む姿は、女性を品定めする時よりも真剣な顔をしていた。宝石のように光るチョコレートの数々、それを一粒ずつ慎重に選んでいるとかすかにショーウインドウの方から冷気が忍びよってきた。フランシスが振り返れば、綺麗に箱詰めされたチョコレートを傷つけようと雨がぽつぽつガラスを弾いていた。
 ロンドンは雨と霧の街だといわれるだけあり、滅多に雲のひとかけらもない空を見ることは出来ない。生憎、フランシスは雨傘を持ってきていなかった。本当はさっさとアーサーの家へ行くためハイヤーをつかまえるつもりだったのだが、やはりこのチョコレート店で足を止めてしまった。ここで雨宿りをしようかと思っていたが、豪勢な回転扉はメリーゴーランドのようにまわりっぱなしでひっきりなしに人が店内に現れた。
 観念したフランスは選んだチョコレートを宝石をいれておくような箱に並べてもらい、きちんとクラシックで控えめなリボンまで結んでもらった。わざわざアーサーに会いにいくためだけに鞄なんてものはもたず、しょうがないので片手で受けとめた。財布から皺くちゃになった紙幣を渡し、お釣りの硬貨をもらうとすぐに外へ出た。それほど強い雨脚ではなかったが、いつまでもその雨は降り続けそうだった。
 路地を歩く人々は誰も傘などさしておらず、焼きあがったパンが紙袋から飛び出していようと、高価そうな新品の革のバッグを肩からさげていても誰も気にしなかった。濡れるのなど当たり前で、ちょっとくらい傷んでもかまわないようだった。
「…あー、面倒なことになった」
 軒先で少しのあいだだけ雨宿りをさせてもらおうと、肩をすぼめてきちんとそろえられた革靴を見下ろした。徐々にだが石畳にも雨が溜まりはじめ、すぐに革靴のほうまで近づいてくるだろう。フランシスはチョコレートの包装紙が濡れないようにスーツの内側に無理にしまい、路肩にとめられた車や寂しげな音をたてる自転車にあやふやな視線を送った。
 誰も傘を差していない。フランシスではそれこそ、ちょっとした雨でも誰もが雨傘をとりだした。自分の服や、髪の毛、帽子に鞄、それら全部を何とか湿気から守るために。フランシスの長い髪の毛はしだいに湿り気を帯びて重くなっていった。スーツの袖やネクタイにまで目に見えないような水分がそっとしがみついている。
 パリの美しい今の町並みからは考えられないが、昔は上からとんでもないものが投げつけられた。それをよけるために作られたという傘は、女性の日焼けを防ぐための日傘として用いられていた。自分の肌を焼かないため、そして被っている帽子の色が抜けないようにとすべて自分の美しさを保つために傘は使われていた。まさに、鎧のようなものだった。
 それがこのロンドンでは、毎日のように降り注ぐ雨に濡れないようにという実用的な機能のために雨傘が発明された。アーサーがちょっとやそっとの雨では決してひらかない、フォックス社製の傘を思い出した。樫の木でできた柄は楽器の一部のようにすばらしい曲線をもち、太陽も照り付けていないのに艶やかに光ってみせる。そしてシルクでできた傘のひさし部分はは赤ちゃんを毛布でくるむようにしてパッと乾いた音をたてて開く。
「…早く迎えにこいよ」
 もちろん、迎えに来いなんて連絡は入れてなかった。いつまでも一人で家にこもっているのは不健康だから、会いにいってやるよと電話したのだ。余計なお世話だと彼は電話口の向こうで反論していたが、いつも紅茶を淹れてくれる。ちゃんと二人分の準備をしてくれるのだ。フランシスはもぞもぞと動き、なんとか湿気から逃れようと隅っこのほうに移動した。
 どんどん身体を縮ませながら、その隅っこに吸いこまれていたいと願っているようだった。傍からみればただ雨宿りしている男性にしかみえないのだが。三十分経っても、雨が止む気配はなかった。いよいよ本格的に降りはじめ、フランシスはまさに鳥篭の中にとじこめられた小鳥のように羽をたたんで怯えていた。

「フランシス」

 どこかで見たことのある傘だとフランシスが追っていれば、少しだけ傘が持ち上げられた。スーツを着込んだアーサーが訝しげな視線で雨宿りをしているフランシスをとらえ、その瞬間磨き上げたばかりの瞳が大きくなった。元々目が大きいので、そのまま落っこちてこないだろうかと思わず両手を差し出したくなった。きっと先ほどまではたたんだままだったのだろう、傘の下にいるアーサーの肩はぐっしょり濡れていたし、前髪からはぽたぽたとしずくが滴りおちていた。
 この男はいつもこうだ。フランシスが気を落としていたり、ちょっと呟いてみたりしただけでやってくる。しかもそれはフランシスのように綿密な計画をたてたわけでもなく、本当に偶然なのだからなおさらたちが悪い。回転扉の店が何なのかとひさしをあげたアーサーは店の名前をゆっくりと読み上げ、フランシスのスーツの左胸が膨らんでいることに気付いた。
「中々やってこないからわざわざ駅前まで来てやったんだろう」
「…なんでそんな喧嘩腰になるんだよ」
「お前が変な顔するからだ。ずっとここで雨宿りしているつもりか?それがお望みなら叶えてやるよ」
 腕を組みながら、見下すように目を細めてアーサーは薄くわらった。なんともふてぶてしい態度だが、フランシスはそれが微笑ましかった。含み笑いをさとられないように片手で口を押さえたが、アーサーが見落とすわけなかった。
「おい、何笑ってんだよ」
「だってお前、まんまだもん」
 その言葉の意味がわからなかったのか、アーサーは無愛想な顔のまま傘を傾けた。フランシスは一人入るにはまだ十分に余地のある傘の下へ身体を滑りこませた。湿気で髪の毛はうなだれるように肩にうずくまっているし、チョコレートの箱も少し湿っぽくなっているだろう。それでもチョコレートは雨粒に打たれることなく、フランシスの胸を枕にして気持ちよさそうに眠っている。雨の音にまぎれているかもしれないが、耳を澄ませば彼らの寝息さえ聞こえてきそうだった。
 アーサーは前のめりになりながら歩く癖があり、さらに早足なのでフランシスはそのペースに合わせなければいけなかった。アーサーが歩調を合わせるなんてするはずもなく、ずんずんと一心不乱に地下鉄の入り口まで急いで歩いた。地下鉄の吊り革につかまる頃には、この大きな蝙蝠はやっと羽休めをすることができる。
「最近寒くなってきたじゃん」
「ああ」
「だからさ、とびっきり熱い紅茶を淹れてくれよ」
作品名:雨の日の災難 作家名:machiya