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それは些細なことだけど

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 女性陣のはしゃぐ声を聞きながら、木陰にごろりと寝そべり頭の下で組んだ手を枕にして空を眺める。
 青々と生い茂る木の葉に視界半分隠されながらも、今日も空は綺麗な青で、一秒一秒ゆっくりとだが姿を変えている。
 陽気は暖かく時折感じる風は若草の香りを運び、緑を揺らしてさわさわと心地よい音を奏で、それは自然とリッドの眠気を誘う。
 そんな心地よいまどろみの中、それでも薄く開いた両目に映るふわりふわりと浮かぶ白くて大きなまあるい雲。それはもこもこの白毛の家畜を思い起こさせ、肉が食いたいなと思いながらそれをぼんやりと眺めていると、無意識に腹の虫が騒ぎ出した。
 同じく木陰に座って本を読んでいるらしいキールはと言えば、本から顔をあげてこちらを見て一つ溜息を吐いたようだった。
 普段ならば活字を目で追い頭にいれることに集中しているようで、リッドのこの世で最も愛する時間5本の指に確実に入るであろう食事の時間も、彼にとっては読書よりも優先順位は低いようで、いつもそっちのけで本に没頭し、最終的に怒ったファラに本を強制的に取り上げられるまで気づかないようなそんな男がだ。よく先ほどの音に気づいたものだ。
 空から視線をはずしてキールに視線を合わせれば、呆れ顔のキールと視線がかち合う。その顔にリッドは眉を顰めて
「なんだよ」
 と、口を開く。発した声は今の表情と同じく愛想のないぶっきらぼうなものだ。
「……お前は本当に、本能に忠実だな」
 心底呆れたような、だがどこか感心したような声でキールは唇を動かした。
「馬鹿というか暢気というか……いや、能天気と言うべきか……」
「おい」
 何が言いたいのか掴めないが、リッドにもわかるのは馬鹿にされていると言うことで、リッドはむくりと起き上がるとキールに向き直る。喧嘩なら買うぞという意思表示も込めて睨めば、そんなリッドに反抗するようにキールは身体を強張らせて身構えると負けじと睨み返してくる。
 しかしその瞳の中に怯えを感じとってリッドははあと大きく溜息を吐くとぼりぼりと頭を掻いた。
 これではなんだか弱い者苛めをしているようだ。
 幼い頃を思い出し、幼少時代のキールと今のキールがブレて見えた。
 背丈も風貌も幼い頃とは変わってしまったけれど、根本的なものはやはり変わらないらしい。思えば昔のキールもこんな眼をしていたような気がする。
 臆病で泣き虫で意外と頑固で負けず嫌い。喧嘩をすれば瞳からぼろぼろと涙を流しながら怒鳴って睨んでくる。その眼の奥には決まって怯えのようなものが見え隠れしていて、当時のリッドはといえばそんなキールの様子は男らしくねぇとより一層の苛々の原因であり、また罪悪感を覚えるものでもあった。
 今にして思えば、キールをからかっては遊んでいたあの行動は他に伝え方を知らない子供の、好きな子を苛めるという特有のよくある表現方法であり、そう考えると思い当たる節がちらほら出てきて、なんだかしょっぱい気持ちになってくる。
 なまじ自分達の現在の関係がただの幼馴染から逸脱しているのが何よりの証拠でもあるわけで、結局自分も根本は何も変わっていないのだと思い知る。
 再び溜息を吐くとこれ以上思い出すまいと過去の記憶をシャットアウトさせた。過去ではなく現在のキールだ。
「……で、何だよ?」
「何……って?」
 空気の変わったリッドに目に見えて安堵したキールからは強張りはなくなり怯えは消えていた。代わりにリッドの問いかけはすぐに飲み込めなかったらしく疑問はそのまま返ってくる。
「オレの事を本能に忠実だの馬鹿だの能天気だの言ってただろうが」
「ああ、言ったな」
 それがどうしたと言わんばかりのキールの態度からは真意などわかるはずもなく、リッドを再びイラッとさせるには十分だった。
「……お前結局オレに喧嘩売りたかっただけかよ」
「ぼくは元から喧嘩なんて売ってない。ただ事実を述べただけだ」
 フンと鼻を鳴らしてのたまうキールは、この話は終わったとばかりにリッドから視線を外して自分の膝に乗る本に視線を落とすと頁をペラッと捲った。
 勝手に収束されてやり場がなくなったリッドは舌打ちするとその場に再びごろりと寝転がる。
 そうすれば先ほどまでと何ら変わりのない光景が目の前に広がる。青い空、白い雲。風に揺れる緑の音。若草の香りに陽射しの暖かさ。そしてキールが一定のリズムで刻む頁を捲る紙の音。
 ……そこまで考えて、疑問が残った。さっきまでなかったものが足されていた気がした。なんだろうと普段使わない頭を稼動させて考えていると、再びペラッという紙の音。
 読書家のためか、キールは本を読むスピードが早い。たまにリッドが気まぐれで覗いて見ても、何が書いてあるかさっぱりで一行も読めずにダウンしているが、そんな文字をキールは素早く読み進め、次の頁、次の頁とどんどん捲っていく。そんなキールなのだから、だからこそ僅かに奏でる紙の音がなかったのはおかしい気がした。
 導き出された答えに合点がいって、リッドは反射的に飛び上がるように上体を起こした。それに驚いたようにびくりと肩を跳ねたキールにリッドはもう一度向き直る。
「な……なんだよ……?」
「お前、さっきまでそれ読んでたか?」
「は……?」
 膝の上に鎮座している本を指差しながら言えば、一瞬呆けたような顔をした後、キールはまたしても小馬鹿にしたような表情をしてリッドを見た。
「どう見たって今読んでるじゃないか」
「今じゃなくてさっきだ! オレの腹が鳴る前!」
 それを言った後、一拍置いた後にぼんっと音がなりそうなほどに瞬時に顔を赤くしたキールの姿。それにやっぱりと納得してリッドはにやりと笑みを浮かべた。
 しかしキールは頭を振りながら言い訳にもならない事をどもりながら叫ぶ。
「ち、ちちち違う! 別にぼくはお前の事見てたりとかしたわけじゃ……!!」
「ほー、見てたのか」
「だから、違うって言ってるだろ!!」
 真っ赤になって叫ぶその姿は普段の屁理屈ばかりを並べ連ねた小憎らしい顔よりも可愛らしい。思わずいじめっ子気質の自分が頭をもたげる。
「……で? なんで見てたんだ?」
 にやついた笑みを浮かべながらじりじりと追い詰める。反射的に後退ったキールは、しかし木の幹に背中をぶつけて今いる自分の場所を思い出したようだった。
 急に動かした足のせいで膝の上から草の上に本が落ちるが、キールはそれよりも眼前に迫るリッドに気をとられてそれも気づかないほどに慌てていた。
「と、特に理由なんかない!」
「見てたのは認めるわけだな」
「あ……」
 さあっと血の気が引くのが見えて、くくっと喉の奥で笑う。普段人を小馬鹿にし秀才ぶった顔が嘘のようだ。頭はいいくせにこうしてパニックになると自ら墓穴を掘りまくっているその様はたまらなく面白く、そして愛らしい。
 キールに覆い被さる様にリッドもまた幹に手をつくと顔を近づける。けれど僅かばかりの抵抗をするキールはふいと顔を背けた。
 長いダークブルーの髪から覗く耳が、これはまた見事に赤く色づいている。
 長らく一緒に旅を続けているが、キールの肌の白さは久しぶりに再会した時と変わりなく、不健康なほどに白い。
作品名:それは些細なことだけど 作家名:みみや