Zefiro torna【泉栄】
確かに親友だと思ってた。
許されない想いを打ち明けられるまでは。
Zefiro torna
「栄口っ!」
オレはトンボを持ったままぼうっと佇んでいる栄口に声をかけた。
グラウンドに照明設備のない西浦では、ナイター練習はできない。だから、一旦グラウンド整備をしてから、日が暮れた後は照明のあるところで別の練習をする。
今日もすっかり夕焼けが濃くなって、『今日の前半戦は終了な』っつってみんなでグラウンド整備の真っ最中。それぞれが手の足りないところへと自然に動く中、何もしないで突っ立ってればそりゃ目立つ。しかもそれが栄口だなんて、珍しい……と言いたいところだけど、それがまたここんトコ珍しいコトでもなくなってきていた。
「どうしたよ、ぼーっとして。」
「あ、泉……っ」
ハッとして振り返った栄口に、トンボを担いで歩み寄る。
今まで栄口が視線を向けていた方を見遣ると、水撒き担当だったはずの田島と水谷が、いつの間にか水のかけ合いになっていて――という場面だった。
「…ったく、またあいつら…!!」
チッと舌打ちを漏らしながら呟いて、ちらりと栄口の表情を窺うと、栄口は困ったような、でもちょっとだけ焦れるような視線でその光景を見つめていて。
てっきり栄口はあいつらを呆れ顔で見てるんだと思ったから、その表情は意外だった。
眉尻を下げ、困ったように、でも優しくその光景を見つめる栄口の表情に、あれ? と心の中に小さく生まれた疑問。なぜだかそれは、オレの心を酷くざわめかせた。
「くそーっ、やっべぇ。」
オレは今さっき来た道を一人急いで部室へと向かっていた。明日英語の小テストがあるというのに、英和辞典を部室に忘れてきてしまったからだ。
部室棟の前まで来て、まだ野球部の部室に明かりが灯っているのに気づく。
(今日は、誰が当番だっけ…?)
ついさっき、部室を出てきた時の記憶を朧げに辿って。今日の当番が栄口だったことを何とか思い出す。
部誌を書くだけにしては随分時間がかかっていることを訝しく思いながらも、オレは邪魔にならないようにと静かに部室のドアを引いた。
そうっと部室の中を覗き込む。オレの記憶に間違いはなくて、やっぱりそこで部誌に向かっていたのは栄口だった。
けれど、どこが様子がオカシイ。
頬杖をついて、時折ため息を漏らす栄口は、どこか思い詰めた表情をしてて。そりゃ、悩みの一つや二つ誰だってあるだろうけど。それにしたって、オレはその表情が気になった。
「栄、口…?」
オレは小さくその名前を呼んでみる。
考え込んでいるのか、呼びかけには反応がなくて。
「……栄口。」
そっと栄口の背後に立つと、オレは軽い緊張をおぼえながら栄口の肩を叩いた。
「う、わっ!」
「うおッ?!」
予想以上に栄口が驚いたもんだから、つられてオレまでビクリとしてしまう。
「なんだ、泉か! ビックリしたなー、もー。」
「それはこっちのセリフだっつーの!」
二人してドキドキして、目を合わせて。それから次の瞬間噴き出した。何やってんだか、オレたち。
ひとしきり笑うと、栄口は目尻に浮かんだ涙を拭いて顔を上げた。
「どーしたのさ、今頃。」
その顔にはさっきまでのどこか沈んだ表情はもうなくて。あれ…? と違和感を感じる。
「や、辞書忘れて。明日英語小テストなんだよ。」
言いながらオレは自分のロッカーに向かうと、中から辞書を取り出した。
「そっか、9組の方が進んでんだっけ。」
相槌を打ちながら、栄口は部誌に向き直る。
けれどちらりと見えてしまった、まだほとんで埋まっていないそのページ。それってさぁ、そこまで考え込んでたってことだよな?
「あの、さ。」
いてもたってもいらんなくて。余計なお世話だと思いつつも、オレは栄口の方に向き直ると口を開いた。
「んー?」
いつものやわらかな声で返る返事。
さらさらとシャーペンをを走らせる音が聞こえる。
「なんか……悩んでるコトとかあんなら、……オレで良ければ聞くから。」
ぴたりと栄口の手が止まった。
今、栄口の頭ん中は、なんで、とか、どう切り抜けよう、とかそんなことでいっぱいなんだろう。
けれど。
オレは栄口と一応仲のいい方だと思ってる、し。心配する権利くらいあんだろ?
「あー…、なんか思い詰めてるみてーだったから。なんでもないならいーんだ。ワリィ。」
黙ってしまった栄口に。取り繕うように言葉を続ける。
多分、いつも一人で抱え込んでしまう栄口のコトだから。なんでもないから大丈夫って、ありがとうって、笑ってそう言うだろう。そう思っていたのに。
栄口の口から出たのはオレが予想もしてなかった言葉だった。
『なんか……悩んでるコトとかあんなら、……オレで良ければ聞くから。』
泉にそう言われた時、大きく心が揺らいだ。
もう、限界だったんだ。自分の中だけにこの不安定な思いを閉じ込めておくのは。
だけど――水谷のコト、好きかもしんない、なんて。
男が男を好きになるなんてことが果たしてあるんだろうか。
そりゃ、世の中にはそういう人がいるっていうのは知識としては知ってる。けれどオレは断じてそういう人種じゃないし、フツウに女の子が好き、だと思う。
なのに、今オレが水谷に抱いている気持ちは、今まで生きてきた16年の中では恋としか名付けようのないモノだ。それだけに戸惑っていた。
「あの、さっ」
オレから反応が返ってくると思わなかったのか、泉は軽く目を瞠ってオレを見た。
目を合わせてらんなくて。オレは下を向くと膝の上でぎゅっと手を握り締める。
「……ひ、ひかない…?」
それだけじゃ何のコトだかわかんないだろうに、泉はオレが話しやすいようにオレとの間を一つ空けて椅子に腰を下ろすと、『ひかねぇよ。』と小さく言った。
その言葉に勇気ををもらって。
「……好き、かもしんない。」
小さく息を吸うと、オレは喉に絡んだ声で口を開いた。泉がびくり、と動揺するのがわかる。
「その、水谷、のこと――」
『水谷』の名を口にした途端、かああっと頬が熱くなった。
かもしれない、なんて自分のこの身体の反応でワカるじゃないか。いつまで足掻くんだ、オレ。
いつまでも泉が黙ってるから。ひかれたかな? と泉を盗み見たら、なぜだか泉も心なしか赤くなってるみたいに見えた。
「マジ、で……?」
ようやっと泉が口を開く。
その言葉の響きに嫌悪だとか蔑みだとかは感じなくて、とりあえず胸を撫で下ろした。
「わ、っかんない…っ」
泉の質問に対して、オレは正直に自分の気持ちを口にする。
好きだとは思うけれど、この気持ちが勘違いじゃないなんて保証はない。
「気づいたら……、目で追ってる。他のヤツと話してるの見てると、なんかもやもやするし…っ」
ここのところぼーっとしていることが多いのはほとんどがこれが原因だった。
いつの間にか茶色いふわふわした頭を探してて。
同じ部員同士で話すのは当たり前なのに、水谷が他のヤツと話してるのを見るだけで、きゅうっと胸が痛くなる。
単に水谷の一番の理解者でありたいと思う故の嫉妬なのか、それともそれ以上を望む別の感情なのか。
許されない想いを打ち明けられるまでは。
Zefiro torna
「栄口っ!」
オレはトンボを持ったままぼうっと佇んでいる栄口に声をかけた。
グラウンドに照明設備のない西浦では、ナイター練習はできない。だから、一旦グラウンド整備をしてから、日が暮れた後は照明のあるところで別の練習をする。
今日もすっかり夕焼けが濃くなって、『今日の前半戦は終了な』っつってみんなでグラウンド整備の真っ最中。それぞれが手の足りないところへと自然に動く中、何もしないで突っ立ってればそりゃ目立つ。しかもそれが栄口だなんて、珍しい……と言いたいところだけど、それがまたここんトコ珍しいコトでもなくなってきていた。
「どうしたよ、ぼーっとして。」
「あ、泉……っ」
ハッとして振り返った栄口に、トンボを担いで歩み寄る。
今まで栄口が視線を向けていた方を見遣ると、水撒き担当だったはずの田島と水谷が、いつの間にか水のかけ合いになっていて――という場面だった。
「…ったく、またあいつら…!!」
チッと舌打ちを漏らしながら呟いて、ちらりと栄口の表情を窺うと、栄口は困ったような、でもちょっとだけ焦れるような視線でその光景を見つめていて。
てっきり栄口はあいつらを呆れ顔で見てるんだと思ったから、その表情は意外だった。
眉尻を下げ、困ったように、でも優しくその光景を見つめる栄口の表情に、あれ? と心の中に小さく生まれた疑問。なぜだかそれは、オレの心を酷くざわめかせた。
「くそーっ、やっべぇ。」
オレは今さっき来た道を一人急いで部室へと向かっていた。明日英語の小テストがあるというのに、英和辞典を部室に忘れてきてしまったからだ。
部室棟の前まで来て、まだ野球部の部室に明かりが灯っているのに気づく。
(今日は、誰が当番だっけ…?)
ついさっき、部室を出てきた時の記憶を朧げに辿って。今日の当番が栄口だったことを何とか思い出す。
部誌を書くだけにしては随分時間がかかっていることを訝しく思いながらも、オレは邪魔にならないようにと静かに部室のドアを引いた。
そうっと部室の中を覗き込む。オレの記憶に間違いはなくて、やっぱりそこで部誌に向かっていたのは栄口だった。
けれど、どこが様子がオカシイ。
頬杖をついて、時折ため息を漏らす栄口は、どこか思い詰めた表情をしてて。そりゃ、悩みの一つや二つ誰だってあるだろうけど。それにしたって、オレはその表情が気になった。
「栄、口…?」
オレは小さくその名前を呼んでみる。
考え込んでいるのか、呼びかけには反応がなくて。
「……栄口。」
そっと栄口の背後に立つと、オレは軽い緊張をおぼえながら栄口の肩を叩いた。
「う、わっ!」
「うおッ?!」
予想以上に栄口が驚いたもんだから、つられてオレまでビクリとしてしまう。
「なんだ、泉か! ビックリしたなー、もー。」
「それはこっちのセリフだっつーの!」
二人してドキドキして、目を合わせて。それから次の瞬間噴き出した。何やってんだか、オレたち。
ひとしきり笑うと、栄口は目尻に浮かんだ涙を拭いて顔を上げた。
「どーしたのさ、今頃。」
その顔にはさっきまでのどこか沈んだ表情はもうなくて。あれ…? と違和感を感じる。
「や、辞書忘れて。明日英語小テストなんだよ。」
言いながらオレは自分のロッカーに向かうと、中から辞書を取り出した。
「そっか、9組の方が進んでんだっけ。」
相槌を打ちながら、栄口は部誌に向き直る。
けれどちらりと見えてしまった、まだほとんで埋まっていないそのページ。それってさぁ、そこまで考え込んでたってことだよな?
「あの、さ。」
いてもたってもいらんなくて。余計なお世話だと思いつつも、オレは栄口の方に向き直ると口を開いた。
「んー?」
いつものやわらかな声で返る返事。
さらさらとシャーペンをを走らせる音が聞こえる。
「なんか……悩んでるコトとかあんなら、……オレで良ければ聞くから。」
ぴたりと栄口の手が止まった。
今、栄口の頭ん中は、なんで、とか、どう切り抜けよう、とかそんなことでいっぱいなんだろう。
けれど。
オレは栄口と一応仲のいい方だと思ってる、し。心配する権利くらいあんだろ?
「あー…、なんか思い詰めてるみてーだったから。なんでもないならいーんだ。ワリィ。」
黙ってしまった栄口に。取り繕うように言葉を続ける。
多分、いつも一人で抱え込んでしまう栄口のコトだから。なんでもないから大丈夫って、ありがとうって、笑ってそう言うだろう。そう思っていたのに。
栄口の口から出たのはオレが予想もしてなかった言葉だった。
『なんか……悩んでるコトとかあんなら、……オレで良ければ聞くから。』
泉にそう言われた時、大きく心が揺らいだ。
もう、限界だったんだ。自分の中だけにこの不安定な思いを閉じ込めておくのは。
だけど――水谷のコト、好きかもしんない、なんて。
男が男を好きになるなんてことが果たしてあるんだろうか。
そりゃ、世の中にはそういう人がいるっていうのは知識としては知ってる。けれどオレは断じてそういう人種じゃないし、フツウに女の子が好き、だと思う。
なのに、今オレが水谷に抱いている気持ちは、今まで生きてきた16年の中では恋としか名付けようのないモノだ。それだけに戸惑っていた。
「あの、さっ」
オレから反応が返ってくると思わなかったのか、泉は軽く目を瞠ってオレを見た。
目を合わせてらんなくて。オレは下を向くと膝の上でぎゅっと手を握り締める。
「……ひ、ひかない…?」
それだけじゃ何のコトだかわかんないだろうに、泉はオレが話しやすいようにオレとの間を一つ空けて椅子に腰を下ろすと、『ひかねぇよ。』と小さく言った。
その言葉に勇気ををもらって。
「……好き、かもしんない。」
小さく息を吸うと、オレは喉に絡んだ声で口を開いた。泉がびくり、と動揺するのがわかる。
「その、水谷、のこと――」
『水谷』の名を口にした途端、かああっと頬が熱くなった。
かもしれない、なんて自分のこの身体の反応でワカるじゃないか。いつまで足掻くんだ、オレ。
いつまでも泉が黙ってるから。ひかれたかな? と泉を盗み見たら、なぜだか泉も心なしか赤くなってるみたいに見えた。
「マジ、で……?」
ようやっと泉が口を開く。
その言葉の響きに嫌悪だとか蔑みだとかは感じなくて、とりあえず胸を撫で下ろした。
「わ、っかんない…っ」
泉の質問に対して、オレは正直に自分の気持ちを口にする。
好きだとは思うけれど、この気持ちが勘違いじゃないなんて保証はない。
「気づいたら……、目で追ってる。他のヤツと話してるの見てると、なんかもやもやするし…っ」
ここのところぼーっとしていることが多いのはほとんどがこれが原因だった。
いつの間にか茶色いふわふわした頭を探してて。
同じ部員同士で話すのは当たり前なのに、水谷が他のヤツと話してるのを見るだけで、きゅうっと胸が痛くなる。
単に水谷の一番の理解者でありたいと思う故の嫉妬なのか、それともそれ以上を望む別の感情なのか。
作品名:Zefiro torna【泉栄】 作家名:りひと