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廃都アトリエスタにて

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カツンカツンと足音を立てて臨也は廃墟の階段を迷いのない足取りで上がっていく。荷物は無い。ただその腕に意識を失った小柄な少年――竜ヶ峰帝人を大事に大事に抱えていた。

 やがて、広々とした何もない空間が臨也の目の前に広がる。何もないとはいっても崩れた石壁の瓦礫やら何やらは散在している。だがそれだけだ。奥には更に上へ行く階段があるが、壁の残骸に塞がれていてそこまで辿りつけない。だが元よりこれより先に行くつもりはない。
 臨也は広間の中心まで行くと、そっと腕の中の存在を横たえた。
「着いたよ、帝人君。」
そしてそっと愛おしげにその頬を撫でる。
「これで俺と君、二人っきりだ。」
 その言葉に嘘はない。彼らが居る場所は世界から忘れ去られた純然たる廃都であり、彼ら以外は今この場所に存在しない。
 言葉にして再認識するとともに、臨也の瞳に暗い色が燈る。
 誰も知らない都市。此処ならば彼の親友も、級友の少女も、孤独な化け物や首なしライダーだって追ってこれない。地図上から消えて久しい上に人里も遠く離れているため、少年がここから脱走することだって不可能だ。
 何もない、誰も居ない街。これから少年は臨也に依存しなければ生きていけない。
 漸く、帝人は臨也の物となったのだ。
「早く眼を覚まして帝人君。そうして俺と永遠の愛を誓おう。」
 恍惚と帝人の身体を触り、撫で摩るその様は、見る人が見れば狂気に取り憑かれていることは一目瞭然だった。
 しかし、此処に臨也を止められる者は居ない。彼は、ただただ冷たい焔に成す術無く燃やされていく他ない。
「…う、……。」
 そうして、件の少年が目を覚ます。
 暫くはぼんやりと何所を見るでもなく視線を彷徨わせていたが、すぐに焦点は臨也に結ばれた。
 その瞬間、臨也は狂喜した。帝人が自分を見ている。自分だけを見ている。
「…いざや……さん?」
「ん?なあに?」
 のっそりと起き上がって帝人は辺りをゆるりと見渡す。
「ここは……?」
 今にも崩れてしまいそうな廃墟。気が付いたらそんな場所に居たなんて帝人にとっては恐怖以外の何物でもないだろう。
 だから臨也はそんな帝人の不安を和らげるべく微笑んで見せた。にもかかわらず帝人の臨也を見る目は不安に揺らぐ。しかしそんなことは臨也にとっては瑣事にすぎない。臨也は今、浮かれていた。
「ここはね、アトリエスタだよ。」
 帝人の目が数度瞬く。最早一部の伝承でしか伝えられていない亡都市の名など彼が知るはずもないだろう。
 だから臨也は言いかえる。
「今日から俺と帝人君が暮らすことになる街だよ。」
「それって、どういう?」
「そのまんまの意味。」
 ああ、家なら大丈夫。見た目通りの廃墟だけど、使えそうなところを見つけておいたから、心配しなくていいよ。」
 全くの異質空間で常と同じく饒舌に、言葉を吐き散らす。臨也にとってはこの決断は当然の帰結である。しかり帝人にとっては違う。そんなことは臨也も理解している。しかし、だからこそ臨也は帝人に口を挟む隙を与えず、逃げ道を塞ぐ。
「これでやっと誰の邪魔も入らずに二人の愛を育めるね。
 思えば池袋には俺たちの邪魔をする奴ばかりだったから、君に会うにも一苦労だったよ。シズちゃんしかり紀田君しかり。君も君で簡単に奴らに隙を見せるもんだからこっちも気が気じゃなかったんだよ?まあ、嫉妬してほしかったっていうのは分かるけどさ。でもこれからはそれもない。奴らはこの場所を知らないし、辿りつくこともできない。
 ああ、そうそう、あり得ないと思うけどさ、池袋に帰ろうなんて思わない方がいいよ。君、ここがどこなのかも知らないだろ?」

 臨也の口上を一頻り聞き終えて、帝人はやっと現実に追いついた。
 だが帝人に返せる言葉は一つしかない。
「冗談、でしょう……?」
 しかしそれは即座に返ってきた。「まさか」と。
 帝人だって臨也が本気だということは分かる。伊達に突き合っていないのだ。そして、だからこそ今臨也が最高に暴走しているということにも気付いていた。
 帝人は一つ溜息を吐く。そして思ったままのことをオブラートにも八つ橋にも包まずに率直に吐き出した。
「馬鹿じゃないですか。」
 思った通り、臨也は一瞬目を丸くして固まった。
 できた隙を逃さず、先ほどの逆襲とばかりに畳みかける。
「臨也さん、臨也さんは何も分かっていませんよ。僕があなたをどれだけ愛しているかを。
 僕に会いにわざわざ池袋に来てくれることに喜んで、でも静雄さんが来るとそっちに全てを向けてしまうことに嫉妬して、ボロボロになっている姿に心配して。正臣に嫉妬してることだって知ってましたよ。でもそれにだって嬉しくなってる自分が居て。仕事で会えない時だって不安で不安でしょうがなかったって臨也さん知ってましたか?どうやったら人間全体に向けられている愛を僕だけに注がせるかを、僕だけの臨也さんにしてしまうために新羅さんから毒薬をちょろまかしてしまおうなんて考えてたことに気付いてなかったでしょう?」
 ノンブレス。
 激しい運動をしたわけでもないのにぜはーぜはーと帝人の息は荒く乱れていた。
 その剣幕に完全に圧され、臨也は言葉を失う。そんなものには帝人は構わない。むしろ好機とばかりに止めを刺す。
「しかも極めつけはこれです。臨也さん、何で僕が廃都アトリエスタを知らないと思ったんですか?」
 そこで初めて臨也は反応らしい反応を返した。
「え!?知ってたの?!」
「知ってましたよ。まあ実在については半信半疑でしたけどね。」
 はあ、とまた一つ、息を溢す。
 自分の思惑が知られていたという真実に臨也はこれでもかという程顔を赤くさせてうろたえた。
 完全に形成逆転である。
「別に臨也さんならいいんですよ。ここでの二人っきりでの生活だって。僕には臨也さんが居ればそれでいいんだから。」
「帝人君……。」
 臨也が帝人の名前を呼ぶのに呼応して、帝人はぎゅっと臨也の身体に腕を回す。臨也もまた、それに応え、二人は互いに肌を寄せ合った。
「ごめんね、帝人君。俺、不安だったんだ。」
「知ってましたよ。」
 そうして互いが互いの肩に顔を埋め、クスクスと笑い合う。
 その互いに顔が見えない態勢のまま帝人が提案した。
「どうせならおまじないしましょうか。」
「え!?」
 その瞬間、ばっと臨也の身体が離れた。恐らく無意識なのだろうが、帝人としては寂しい限りである。だが、耳まで真っ赤に染まったその顔が可愛いのでこの場は良しとする。
「あれ?折角幻の街にまで来たのにやらないんですか?」
「え…えっと、おまじないって廃都アトリエスタの……。」
「そうですよ?ここで池袋のおまじないしたってしょうがないでしょ?」
 廃都アトリエスタで伝わる幸せを運ぶジンクス。それを実行するには臨也には少々ハードルが高く、
「ま、待って!ちょっと待って!!」
「もしかしてやらないつもりですか?」
「やるよ!やるに決まってるよ!!」
だが、やらないという選択肢はない。
「こ…ここ心の準備が要るんだ。ちょっと待って。」
作品名:廃都アトリエスタにて 作家名:烏賊