ブルーバード
<11>
近藤がつくった止まり木は改良されて、今は庭から食堂の入口に移されていた。朝食をとる為食堂におとずれる隊士のひとりひとりに元気よく「オハヨウ」をいう小鳥の姿は、すっかり屯所の朝として定着している。
思わぬ近藤の仕業は他にもあった。彼が熱心に教え込んでいた言葉を、ついに小鳥が覚えたのである。「お妙さんラブ」という台詞だ。そして、その応用バージョンを、誰に教えられるわけでもなく小鳥は自ら生み出した。本当に賢いのである。使用例は、怒った土方が「焼鳥にすんぞ!」と怒鳴るとまるで機嫌を取るみたいに「ヒジカタ、ラブ」とか言うのである。勘弁してくれと土方は思う。
けれど、一番土方が困ったことは他にあった。
「どうしてサド丸が俺の名前を覚えてるんでしょうね」
「………」
ひそかに小鳥のことを総悟と呼んでいたことは、絶対に沖田には知られてはならない。それこそ墓場まで持っていくつもりである。
盲点だったと土方は苦く思う。教え込まなくても、インコは普段から人間が使っている言葉を勝手に覚えてしまうということが、沖田が持っていた飼育本の第五章に確かにはっきり書いてあった。だから、インコの前ではうかつな言葉は口にしてはいけない、と赤色で注意もされていた。沖田はどうしてどうしてと土方に問うけれど、その度に近藤が教えたんだろうとか、あるいは近藤が呼んでいるのを聞いて覚えたんだろうとか言って誤魔化している。誤魔化せていると信じている。
それにしても、不穏な言葉ばかりを覚えてしまった小鳥は、もう元の飼い主のもとへ返すことは到底出来そうもないのだった。これでもし、飼い主が純情な少女だったとしたら、「死ネ」なんて言葉をしゃべる小鳥に泣き出してしまうかもしれない。
幸か不幸か、今のところ飼い主の情報は皆無だった。町中に貼ったポスターも、雨風にさらされて飛ばされていったり字が読めなくなったりしている。それでも今はまだ、「迷い鳥」として「預かって」いるという体をとってはいる。しかし、小鳥をこのまま屯所の一員として正式に迎える日も近いだろう。そして、山崎が晴れて「飼育係」の肩書を手に入れる日も。
土方が午後の仕事をする為に副長室へ戻ってくると小鳥が部屋の中央に居た。そして、その隣にはとうの昔に昼休憩を終えているはずの沖田の姿がある。
「総悟」
そう呼ぶと、沖田がゆっくりと顔をあげた。名前を呼ばれたから反応する。それはとても当たり前のことだ。それなのに土方が驚いたのは、だから別の理由がある。
沖田の隣に居た鳥が、唐突に青い羽で力強く羽ばたいたかと思うと土方の肩にふわりと止まった。名前を呼ばれたから反応する。こちらも確かにとても正しい反応を示しただけなのだけれど。
お前を呼んだんじゃないぞ!と土方は心の中で叫んだ。けれど、その叫びをたとえ口に出したとしたって小鳥には土方の焦りは伝わらないし、たとえ口に出さなかったとしても沖田には伝わるのである。
半眼で自分を睨む沖田を見て、それでも土方は見苦しく否定の言葉だけをかき集めた。
「…土方さん。」
「知らん。俺は何も知らん!」
「俺ァまだ何も言ってやせんが」
「お前が何を言おうとも、とにかく俺は知らねェっつったら知らねェんだよ。つーか俺は絶対ちょっとも関係ないね、うん」
何かを探る様にじっと土方を見ていた沖田も、しばらくすると興味を失ったみたいに瞬いて視線をよそへと移す。それにほっとして土方は副長の顔をつくると沖田を見回りへと急き立てる。沖田がしぶしぶと重い腰をあげて部屋を出ていくのを見送って、それからふと思い立って土方も立ち上がった。出て行った沖田の後を急いで追う。副長室に缶詰だったから、久しぶりに空の下を歩くのも悪くない。
副長室を出た沖田はちらりと空へ視線を投げる。今日も空は青く晴れ渡っているのが一目でわかった。廊下から見える断片的な空を見ながら沖田は小さく小さく「ひじかた」と馬鹿な人の名前を呼んでみる。
いつもみたいに不幸の呪いをかけてやるつもりで呟いたのに、その声は小鳥がさえずるみたいに軽やかで、少しつたなく甘えた響きを伴っていた。
おわり