一番の嘘と、一番の愛を
「――さん、臨也さん」
己を呼ぶ声が聞こえた。何処か幼さが残った弱弱しい声、でも違う筈などない声。
その声を辿るかのように臨也は、そろりと瞼を開けていく。
段々と明瞭になる視界に写る幼顔を認めて、臨也はその端整な顔に優しい笑みを湛えた。
「……やぁ、帝人君」
ゆっくりとした動作で起き上がって辺りを見回す。白で整えられた空間に、ベッド。微かに香る薬品のにおい。
此処は恐らく、いや間違いなく病院だろう。どうして此処にいるかは思い出せないが、まぁそれよりも今は帝人君が一番大切だ。
目の前で泣きじゃくる子供に苦笑して、臨也はそっと細い身体を抱き寄せた。
「どうしたの、そんなに泣いちゃって」
「っ、い、ざや…さん!…かった、ほん、と…に、良かった…」
ぼろぼろと双眸から零れる大粒の涙も、泣きすぎて赤らんだ目も、臨也のシャツを握りしめる仕草も、全てが愛おしい。
ごめんねと臨也は耳元で呟いて、抱きしめる力を強めた。
「ところで、俺…どうして此処にいるんだっけ」
「忘れ、ちゃったんですか。ばか…です、か」
「まぁ今は帝人君が大事だからかなぁ。上手く思い出せないんだ」
「…事故、にあったんです…よ。トラック、が、突っ込んで…きて」
怪我も酷くて、もう目が覚めないかと怖くて。
「ほん、とに……良かっ、た……っ」
「…馬鹿だなぁ。俺が帝人君を置いていったりするはずないだろ」
ぽんぽん、と小さな背中を優しく叩きながら臨也は笑う。帝人以外誰も知らないもので。
しかし帝人はそれでも泣き止まない。困ったなぁ、この子に泣かれるのはあんまり好きじゃないんだけど。
「泣き止んでよ帝人君」
「……っく、ぐすっ…」
「心配かけて、ごめんね。お詫びに何でもするから」
「…ほん、と、ですか」
「うんうん」
子供が涙に濡れた顔を上げ、臨也を見つめる。そこには不安と戸惑いが浮かんでおり、どうしたのだろうと臨也は思案した。
ひっくひっくと息を整えながら少しだけ逡巡した後、「じゃあ、」と小さな口を開いた。
「あの、」
「うん?」
「臨也さん……の指輪、僕に、ください」
「駄目、ですか?」と首を傾げる子供に対し、臨也は目を見開いたまま固まった。
だがそれも一瞬で、すぐにそれは穏やかなものへと姿を変える。こつん、と額と額を合わせると、帝人の双眸に映る自分がよく見えた。
「もっちろん、帝人君にあげるよ」
「ほんと、ですか?」
「当たり前だろ、ほら」
身体を少しだけ解放し、己の右手の指に嵌めてある指輪を抜き取る。
そして帝人の己よりも一回りほど小さな左手を取ると、迷うことなく薬指にそれを嵌めた。
「ぇ……い、ざや…さん?」
「あはは、少しぶかぶかだねー」
「あの、これ…」
「これじゃあ駄目かな、君のお気に召さない?」
少しだけおどけてみせ、今度は自身の左手の指輪を嵌めなおす。勿論、左手の薬指に。
「ほら、」と左手を目の前に翳し、何処か子供のような無邪気な笑みを見せた。
「これでお揃いだよ」
「臨也…さ、ん」
暫く困惑した様子で指輪と臨也の顔を交互に見返していたが、やがて焦点が臨也の顔に定められる。
そしてふにゃりとした柔らかな笑みを浮かべると、臨也が嵌めている指輪に短い口付けを落とした。
それを見た臨也は「可愛いことをするね、」と呟くと、お返しとばかりに帝人の左手を手に取り、指輪に口付けを落とす。
くすくすと愛らしい笑みを漏らす子供に、臨也は何故か安堵の息をそっと吐いた。
「臨也、さん」
「んー?」
「好き、です」
「…珍しいね、君から愛の告白をしてくれるなんて」
「煩いですよ…、そんなこと言うならもう言ってあげませんから」
「冗談、もっと聞かせてよ。君の声」
「……好きですよ。臨也さんのこと、」
大好きです。
小さな唇から零れた告白に遅れて、可愛らしいリップ音が室内に響いた。
一瞬とも言える時間をおいて唇は離れていき、帝人はえへへと照れたようにはにかむ。
臨也はというと瞬きも忘れて帝人を見つめるが、胸中は何時もと違う帝人に対する驚き、喜びで入り乱れる。
しかし。心の奥底、臨也も気付いているのか、気付かないふりをしているのか分からないが。
暗くて危な気で、儚い、そんな予感を持っていた。
その時。
(……あ、れ)
ぐらり、視界が霞んで身体が傾く。帝人に寄り掛かるような格好になり、臨也は混乱した。
帝人は突然の出来事にわたわたと慌て、焦った声を上げる。
「い、臨也、さん」
「な……に?」
「あの、もう…休んでください。目が覚めたばっかりなんですから」
「……そ、だね」
口から吐く言葉とは逆に、嫌だ、と臨也の心は叫んでいた。休んでしまったら、目を瞑ってしまったら、もう――。
その先の考えは言葉にならず、泡沫のように消える。考えたくない、というのが正しいのかもしれない。
その間も臨也の身体は横たえられ、まっさらなシーツを掛けられる。今更になって事故の傷だろうか、それがずきずきと痛んだ。
見上げた帝人が、帝人の顔に浮かぶ表情が、今にも消えてしまいそうで。臨也は反射的に帝人の腕を掴んでいた。
「臨也さん、どうしましたか?」
「……此処にいて。俺が寝るまで、寝てしまっても。また起きるまで、お願い」
何て子供みたいな頼みなんだろう、そう思っても言わずにはいられなかった。
今にも深い眠りに落ちてしまいそうなのを堪えて話す臨也の真剣な様子に、帝人は少しだけ目を伏せた後、微笑を漏らした。
「はい、います。臨也さんの傍に、ずっと。だからもう休んでください」
「うん……お願い」
「おやすみ、なさい。臨也さん、」
空いた手で臨也の額に触れ、撫でる。それが酷く心地良い。
そうなるともう限界で、臨也の意識は奥深くに沈み込んでいった。
己を呼ぶ声が聞こえた。何処か幼さが残った弱弱しい声、でも違う筈などない声。
その声を辿るかのように臨也は、そろりと瞼を開けていく。
段々と明瞭になる視界に写る幼顔を認めて、臨也はその端整な顔に優しい笑みを湛えた。
「……やぁ、帝人君」
ゆっくりとした動作で起き上がって辺りを見回す。白で整えられた空間に、ベッド。微かに香る薬品のにおい。
此処は恐らく、いや間違いなく病院だろう。どうして此処にいるかは思い出せないが、まぁそれよりも今は帝人君が一番大切だ。
目の前で泣きじゃくる子供に苦笑して、臨也はそっと細い身体を抱き寄せた。
「どうしたの、そんなに泣いちゃって」
「っ、い、ざや…さん!…かった、ほん、と…に、良かった…」
ぼろぼろと双眸から零れる大粒の涙も、泣きすぎて赤らんだ目も、臨也のシャツを握りしめる仕草も、全てが愛おしい。
ごめんねと臨也は耳元で呟いて、抱きしめる力を強めた。
「ところで、俺…どうして此処にいるんだっけ」
「忘れ、ちゃったんですか。ばか…です、か」
「まぁ今は帝人君が大事だからかなぁ。上手く思い出せないんだ」
「…事故、にあったんです…よ。トラック、が、突っ込んで…きて」
怪我も酷くて、もう目が覚めないかと怖くて。
「ほん、とに……良かっ、た……っ」
「…馬鹿だなぁ。俺が帝人君を置いていったりするはずないだろ」
ぽんぽん、と小さな背中を優しく叩きながら臨也は笑う。帝人以外誰も知らないもので。
しかし帝人はそれでも泣き止まない。困ったなぁ、この子に泣かれるのはあんまり好きじゃないんだけど。
「泣き止んでよ帝人君」
「……っく、ぐすっ…」
「心配かけて、ごめんね。お詫びに何でもするから」
「…ほん、と、ですか」
「うんうん」
子供が涙に濡れた顔を上げ、臨也を見つめる。そこには不安と戸惑いが浮かんでおり、どうしたのだろうと臨也は思案した。
ひっくひっくと息を整えながら少しだけ逡巡した後、「じゃあ、」と小さな口を開いた。
「あの、」
「うん?」
「臨也さん……の指輪、僕に、ください」
「駄目、ですか?」と首を傾げる子供に対し、臨也は目を見開いたまま固まった。
だがそれも一瞬で、すぐにそれは穏やかなものへと姿を変える。こつん、と額と額を合わせると、帝人の双眸に映る自分がよく見えた。
「もっちろん、帝人君にあげるよ」
「ほんと、ですか?」
「当たり前だろ、ほら」
身体を少しだけ解放し、己の右手の指に嵌めてある指輪を抜き取る。
そして帝人の己よりも一回りほど小さな左手を取ると、迷うことなく薬指にそれを嵌めた。
「ぇ……い、ざや…さん?」
「あはは、少しぶかぶかだねー」
「あの、これ…」
「これじゃあ駄目かな、君のお気に召さない?」
少しだけおどけてみせ、今度は自身の左手の指輪を嵌めなおす。勿論、左手の薬指に。
「ほら、」と左手を目の前に翳し、何処か子供のような無邪気な笑みを見せた。
「これでお揃いだよ」
「臨也…さ、ん」
暫く困惑した様子で指輪と臨也の顔を交互に見返していたが、やがて焦点が臨也の顔に定められる。
そしてふにゃりとした柔らかな笑みを浮かべると、臨也が嵌めている指輪に短い口付けを落とした。
それを見た臨也は「可愛いことをするね、」と呟くと、お返しとばかりに帝人の左手を手に取り、指輪に口付けを落とす。
くすくすと愛らしい笑みを漏らす子供に、臨也は何故か安堵の息をそっと吐いた。
「臨也、さん」
「んー?」
「好き、です」
「…珍しいね、君から愛の告白をしてくれるなんて」
「煩いですよ…、そんなこと言うならもう言ってあげませんから」
「冗談、もっと聞かせてよ。君の声」
「……好きですよ。臨也さんのこと、」
大好きです。
小さな唇から零れた告白に遅れて、可愛らしいリップ音が室内に響いた。
一瞬とも言える時間をおいて唇は離れていき、帝人はえへへと照れたようにはにかむ。
臨也はというと瞬きも忘れて帝人を見つめるが、胸中は何時もと違う帝人に対する驚き、喜びで入り乱れる。
しかし。心の奥底、臨也も気付いているのか、気付かないふりをしているのか分からないが。
暗くて危な気で、儚い、そんな予感を持っていた。
その時。
(……あ、れ)
ぐらり、視界が霞んで身体が傾く。帝人に寄り掛かるような格好になり、臨也は混乱した。
帝人は突然の出来事にわたわたと慌て、焦った声を上げる。
「い、臨也、さん」
「な……に?」
「あの、もう…休んでください。目が覚めたばっかりなんですから」
「……そ、だね」
口から吐く言葉とは逆に、嫌だ、と臨也の心は叫んでいた。休んでしまったら、目を瞑ってしまったら、もう――。
その先の考えは言葉にならず、泡沫のように消える。考えたくない、というのが正しいのかもしれない。
その間も臨也の身体は横たえられ、まっさらなシーツを掛けられる。今更になって事故の傷だろうか、それがずきずきと痛んだ。
見上げた帝人が、帝人の顔に浮かぶ表情が、今にも消えてしまいそうで。臨也は反射的に帝人の腕を掴んでいた。
「臨也さん、どうしましたか?」
「……此処にいて。俺が寝るまで、寝てしまっても。また起きるまで、お願い」
何て子供みたいな頼みなんだろう、そう思っても言わずにはいられなかった。
今にも深い眠りに落ちてしまいそうなのを堪えて話す臨也の真剣な様子に、帝人は少しだけ目を伏せた後、微笑を漏らした。
「はい、います。臨也さんの傍に、ずっと。だからもう休んでください」
「うん……お願い」
「おやすみ、なさい。臨也さん、」
空いた手で臨也の額に触れ、撫でる。それが酷く心地良い。
そうなるともう限界で、臨也の意識は奥深くに沈み込んでいった。
作品名:一番の嘘と、一番の愛を 作家名:朱紅(氷刹)