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だから俺は、

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「ロマーノ」


 俺の元宗主国、つまるところスペインは、支配者だった。言葉のあやとか比喩とか俺の感じ方とかではなく、文字通り、正真正銘の「支配者」だった。俺の血縁とも少なからず因縁のあるはずのあいつの歴史について、俺は詳しいことは知らない。とにかく、元支配者と被支配者という関係は揺るぎない事実であって、過ぎてしまった歴史であるが故、あいつのその立場が変わったりすることはない。そして、俺がどんな言葉を口にしても、あいつの本質は変わらなかった。


「ロマーノ」


 そんなあいつが、どうしようもない甘さを込めて俺の名を呼ぶようになったのは、俺があいつの元から去って、一体どれぐらい経った頃だっただろうか。よくある愛の告白なんかよりずっと、それはあからさまで、見え透いたものだった。俺が理解できるほどの重さを込めて、その言葉を口にしているに違いなかった。
 実際、名前の呼び方以外に何が変わった訳でもなかった。俺はスペインに生意気な口をきき、スペインは笑って返すだけ。だからこそ、だったのか。俺の暴言に子供をいなす態度で応じるあいつの口から零れ落ちる柔らかさは、まるで俺がスペインの支配下に入ってしばらくした頃、あいつが与える手放しの庇護(例えばトルコを敵に回したこととか)に包(くる)まれてどうしたらいいか分からなかった時のように、俺の心をゆらゆらと揺らした。それに応える俺はと言えば、心の揺れを決して悟られまいと、努めて平らな声で「スペイン」と呼ぶようにするばかりだった。


「ロマーノ」


 ある時、これは鎖なのではないかと思った。俺をスペインの傍に繋ぎとめておくための、鎖。全くあいつらしいことに、それは俺の行動の何を制限する訳でもなかった。しかしあいつから一定以上の距離をとると、ふとした瞬間に耳に甦るようになった、あの声。言葉。不思議なのは、そこに「スペイン」自身の力が何も介入していないことだった。腐っても太陽の沈まなかった国である。あいつがその気になったらきっと、ひとつの国ですらない俺など真実「どうにでもできる」。俺を従わせたいなら従わせればいいのだ。何故、ただの人間のように自分の気持ちを込めて言葉を発することに限るのか。
 ある時思い切って聞いてみた。
「お前はいっつも笑ってばっかだな」
 あまり思い切っていなかった気もしたが、「そういう」類のことを直接問うほど俺は野暮ではないつもりだった。机に向かい、書類に目を通していたスペインは、
「ロマーノは素直やないよねー」
と答えになっていない答えを返した後、書類から顔を上げて俺を見、言った。
「魚釣りは、魚が泳いでるから楽しいんやん」
 全く分からなかった。スペインの言、ではなく、できることをやらない意味が。分からないままだった。
 とりあえずスペインには昔の如くに頭突きをかましておいた。回りくどい言い方に少し呆れたし、獲物と言われたことには腹が立ったので。


「ロマーノ」


 仕事中、だった。迂闊だったとしか言いようがない。いつも通りスペインの気持ちが透けて見えるような声音に、俺は「応じてしまった」。「何だよ、スペイン」と、文字にすればたったそれだけ、しかし俺はそこに、溶かし込んでしまった。滲ませてしまった。俺がスペインに向ける、おれの、きもち。
 俺の、思慕。
 俺が秘めておけばそこで終わるはずだった。俺達に墓場は無いけれど、せめて、俺という存在が終わる所までは持っていくつもりだった。それなのに。どうかしている。男を、俺を。男を、彼を、なんて。何故なのか。絆されたのかと問われれば首肯するしかなかっただろう。気持ちが向けられて悪い気がするはずがない。そして俺は、スペインを、ああ、憎んではいなかった。ほんの少しの敬愛があれば、後はそれで十分だった。
 その瞬間のスペインが忘れられない。にこおりと音が付きそうなぐらい、それはそれは嬉しそうに笑って、俺を見つめて、言ったのだ。

「呼んでみただけ」

 何を今更白々しいと思ったが、生憎それを口に出せる余裕は、俺には全く無かった。



「すきだ」

 それから時はしばし流れる。アポも無しに押し掛けたスペインの家で、俺はスペインにそう告げた。ありったけの想いを込めて。絆された結果だろうが何だろうが知るものか。俺がスペインに向けている気持ちは、紛れも無く俺のもの。それで、いい。そうやって開き直れる位の数の人の生は、見ていた。
「俺も、ロマーノが好き」
 片やスペインはと言えば、あの日のように椅子に座ったまま、あの日以上の笑みを湛えて俺の告白に応えた。意味はあって無いようなものだと思うが、それでもやはりそこに意味はあったのだろう。俺たちは言葉を以って互いに呪いを掛けた。永遠に愛するなんて言えたものじゃない。そんな誓いの虚しさを俺達以上に知る人もなかなかいないだろう。だから俺は言い換えた。この気持ち尽きるまで永遠に、と。スペインはほんの少しだけ悲しそうに笑って言った。
「ロマーノは現実主義者やね」
 嘘だけは吐きたくなくて、それでもこいつにそんな顔をさせたくなくて、俺は言葉も持たぬままに何かを言おうとした。
「おい、」
「ええよ、分かっとる。分かっとるよ」
 スペインは俺の返事を待たずに言った。そこにもう、切なげな瞳は残っていなかった。ただ現在(いま)を享受しようとする、いたずらっぽい、少年のような笑みがあった。
「なあロマーノ、キスしよ」
 今度はにまにまと笑って、また俺の返事を待たず、スペインは俺の腕をぐいと引っ張って俺のからだを引き寄せた。突然のことに均衡を失った俺はあっけなくスペインの膝の上に納まった。至近距離で感じるスペインにぐらぐらするのは、きっと気のせいでは、な、い。
「そうそう、それそれ」
 耳を伝うスペインの言葉も、半分ぐらいしか理解できない気がした。
「ロマーノのそういう顔が、もっと見たい」
 なあ、見せたって、と。俺のそれに触れる寸前でささやき、これまた俺の返答を待たずに押し付けられる唇の、なんと甘いことか。
 その瞬間は、スペインは笑っていなかった。ひどく真摯で、ひたむきな顔をしていた、と思う。所詮俺の想像だ。俺はとっくに目を閉じてしまっていたのだから。
 離れていく感触におそるおそる目を開けた。スペインが泣き笑いそのものの顔をしていて、俺は改めて自分が泣きそうになっていたことに気が付く。

「ロマーノ」
「…うん」
「俺、ロマーノを、愛しとる」
「…俺も、」

 あいしてる。
 る、と言い終わるか終わらないかの内に、スペインは再び俺にキスをした。
作品名:だから俺は、 作家名:あかり