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酸素に喘ぐ

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「青葉くんて、こっちの方向だっけ」
下校中のこと、疑いの眼差しで隣に居る後輩を見遣った。まあまあ、と宥める風にしてうやむやを持ち込むその反応に些か困惑する。
下校路の大よそは大通りではないが、信号が複数設置されている道路を通らない訳ではない。青色に発光する時を待って既に数分足止めされていた。偶々教科書がかさむ日であったので、肩に特別圧し掛かる鞄を掛け直す。
「先輩。その喉元、どうしたんです?」
近頃どうしてだか見覚えのない傷が絶えていない様子ですし、と続ける相手は此方以上に訝し気になっていた処で答えを求められる前に信号が渡れることを報せたので、これ幸いと歩む。タイミングを逃した、質問者になれなかった後輩が追い掛けて来る。
恐らく当人は知るべき筈のことであるのに知らない。そんな知らない相手に事情を包み隠さず明かすことは案外躊躇う。竦んでしまう。だが、もう一人の当事者である向こうはそうではないとしたら、事情を明るみに出して反応を見たいと望んでいるとしたら。別の個体としての認識を他者に植え付けて獲得しつつある彼は、そろそろ革命的なことそのものを行おうとするのだろう。これは仮定ではなく断定、予測ではなく予見。きっと目の前で起きる。意図的に青葉くんと共に居る時間を削っていたのだが、知らないのなら連携など取れる道理がない。
マイナスの方向へ簡単に流れる思考は時として正確に的を射るものだ。
渡り終えていないのだが、時間切れの信号が示す青は点滅して赤へと様変わりし掛ける。此処の信号は極端に辛抱のない、眉をひそめられているものである。しょっちゅう最期は駆け足になる歩行者が後を絶たない。だから同じように、向こう岸へ渡ろうとする己と隣を行く後輩は急ぎ足になった。
と、気付けば辿り着きたい岸には、此処の処短い逢瀬を重ねていた相手が無表情でただ立っていた。己ではない、息を呑む音が聴こえた。同時に辺りに響くクラクション、即ちそれは警鐘。
咄嗟に危ないのは後輩だと思い突き飛ばした。かと思えば手を引かれて岸に辿り着いていた。引っ張った腕の主は無表情。急いで見渡せば、トラックを遣り過ごしどうにか無事の青葉くんが横にいた。
青葉くんは一瞬茫然としていたのが嘘みたいに、素早く我に返って態勢を整える。対して己の手首から手を放した無表情さんは頑なにむっつりのまま。そして、起こすアクションは定まっていたらしい。片腕を引いて転がした相手の腹部に乗り、喉元には両手を添えて力を黙って籠める。籠め続ける。体格的に互いにドローであるのに抵抗は収まっていく。その抵抗はほんのりと、かつての己と同じく本気ではないように見えた、気がした。己はというと、傍らで止めずに居合わせているのみ。

のちにぽつりと当人は呟いた。
やらなければやられてしまうでしょう。俺は一人でいいんです。
こうして青葉くんは一人になった。

あの日、二度目に手を引く手の主は最初とは違う主。引く強さも二度目の方が強く、緩められることも暫く距離を歩くまでなかった。
少し遠のいた処で足を止めずに、首だけを動かすようにして振り向けば、岸の傍には何もなかった。一緒に振り向いていた青葉くんと、多分同じことを思った。殺人とは、遺体がなければ。
あとは互いに一度も振り向かなかった。己の心理は密やかにのたまう。共犯者となったお気持ちは如何。反射で答える。さあ、実感が湧かないかな。青葉くんはもっとあっという間だったのだろう、なんたって初めましてとさようならを同じ時刻に済ませたのだから。


とある日の集会に集まったブルースクウェアのメンバーを解散させ、けれども青葉くんだけ残ってくれるよう耳打ちをした。お願いに頷いて残った青葉くんと二人きりになった処で秘密のお話を切り出した。
「青葉くんは、僕のこと恨んでいるんだよね」
「あれは、そんなこと言ってたんですか」
溜息も板に付いてきているご様子に、違うの、と問う。
手頃な廃材に此方を向いて腰を下ろしていた青葉くんが座りを直してそっぽを向いた。
「そんなものに構っている余裕はありませんので」
立ち上がって、顔を見せないままに帰ろうとされる間際に此方の耳朶に入り込んだ、恋敵うんぬんの単語が混じった独り言がやけに鮮やかに感じられた。
作品名:酸素に喘ぐ 作家名:じゃく