砂塵のむこう・2
ゆっくり、壊れ物を扱うような丁寧さで、寝台の上に鍾会の体を下ろす。鍾会は、背中が寝台に降りても、すぐには腕を解かなかった。寝台に横たわる鍾会に、鄧艾が覆いかぶさる格好になる。
目の前に、鄧艾の顔があった。戦場では鋭い眼が、困惑したように揺れている。
もう少し、あともう少し鄧艾の顔が降りてきたら、唇が触れてしまう。顔が熱くなった。逆に指先は、冷たくなっている。鼓動はさらに激しくなり、息苦しいほどだった。
どうしよう、早く腕を解かなければ、鄧艾殿に変に思われる。いや、もう思われているかも。
早く、離れなければ。
くちづけしてほしいと、懇願してしまいそうになる・・・。
鄧艾の眼が、すっと細められた。そのまま、徐々に近づいてくる。
唇に柔らく温かいものが触れ、それを合図に鍾会は目を閉じた。下唇をやさしく吸われると、甘い感覚が体を流れる。角度を変えて啄ばまれると、時々鄧艾の不精髭が、鍾会の顎や鼻の下をかすめた。そのくすぐったさに、鄧艾の肉体を感じて、胸が鳴った。指でも触れてみたくなって、腕を解き、手を鄧艾の頬に滑らせる。ちくちくした感触が指の腹に当たった。鄧艾の大きな手で、髪を撫でられるのが、心地よかった。
・・・まずい。これ以上すると、離れたくなくなってしまう。
このままこの熱の中に深く沈みこみたい欲求を、どうにか押し返そうとして、快感と理性を必死に闘わせていると、唇が解放された。
目を開けると、鄧艾も自分を見ていた。二人とも、息が荒い。鄧艾の目には、明らかに驚きと戸惑いが浮かんでいた。
「すまぬ」
鄧艾はそれだけ言うと、さっと身を翻して部屋を出て行った。鍾会も、もう呼びとめることはできなかった。
鄧艾の去った扉をしばらく見つめ、やがて大きく息を吐きながら寝台に身を沈める。
指で、唇に触れてみた。まだ、今の感触が残っている。目の周りが熱い。きっと、顔も赤くなっているのだろう。
どうしよう、妙なことになってしまった。
鄧艾と、接吻してしまったなんて。
ずっと年上の男に、恋してしまうなんて。
女相手とは、勝手が違いすぎる。どうしていいか、見当もつかなかった。それでも、鍾会の心は高鳴っている。鄧艾が、一瞬でも鍾会を受け入れたのだ。
どんなふうに接吻されたのか、記憶を何度もなぞる。時間は長かったようにも、短かったようにも思えた。目を閉じると、鄧艾の顔が近づいてきた時のことが浮かんだ。
まるで、若い娘のように、恥じらい、胸をときめかせている自分が、ひどく滑稽だった。
自嘲と後悔と困惑と、それと幸福感が、鍾会の中を駆け巡っていた。
今は、かき乱された気持ちを、なんとか落ち着かせよう。幸い怪我のおかげで、しばらく人に合わなくて済む。
再び鄧艾にあった時のことは、それからでも遅くないはずだ。
鍾会は目を閉じ、胸に手を当て、早く静まれ心臓、と口の中で呟いた。
end