420と138とマスターと
ナンバー138を帝人はそう呼ぶと、抱きついたままの滑らかな黒髪を子供にするように撫でる。
帝人よりも大きな体躯の138は、そうしているとまるで小さな子供のように見える。最初、知人の男を無理やりモデルにさせられた時は激しく後悔したものだが、こうしてできあがってくるとあの男とは似ても似つかない可愛らしい性格のものが出来上がった。最後の仕上げの直前に、半分嫌がらせのつもりでまぎれ混ませたバグのせいかもしれないが真相は定かではない。
帝人がデザインし制作したボーカロイドシリーズは、シリーズごとに特色が違う上に、ナンバーによって外観も変わる。同ナンバーは基本的には同じ皮を張られるが、かといって中身まで同じとは限らないし、そして同じナンバーがいくつも作られるとは限らない。
420と138も、津軽シリーズとサイケデリックシリーズのそれぞれ一体ずつしか制作されてはいない。
だから、420も138もこの外見のものは彼ら以外にはいないはずであった。その、モデルになった人間を除けば、であるが。
「朝から騒がしいねー、ここは」
割って入ったのは、一つの声。
いつの間にそこにいたのだろう。やぁ、と手を上げたのは138と同じ顔を持った黒ずくめの男だった。
「臨也さん」
「げっ」
イザヤが頬を引きつらせて声を上げる。
「折原臨也、何しにきた」
同じ顔の相手に、イザヤは噛み付くような視線を向けた。それを歯牙にもかけず、ほんの一瞬自分と同じ顔の物体に視線を移しただけで、臨也は帝人に向かって完璧な笑みを浮かべる。
「コピーには関係ないことだよ。やぁ、帝人くん。相変わらず元気じゃなさそうだね」
さわやかな朝から、さわやかな笑顔を浮かべて全くさわやかじゃない人間の登場に、帝人は疲れた体がさらに重さを増した気がした。
せめて夜ならまだましなのに、と思うが恐らく彼によってもたらされる疲労は実際のところ朝でも昼でも夜でも関係ないだろう。
「そこはお世辞でも、元気そうだねとか言えないんですか?」
威嚇をするイザヤを宥めながら、ため息と共に帝人は臨也に醒めた視線を向ける。
相変わらず138も420も臨也との相性よくないらしい。帝人に向けるものとは正反対の鋭い視線で、黒い男の一挙手一投足を監視するように視界に入れる。対して臨也は、2人に全く視線を向けようとしなかった。まるで、いないものと同じように。そんなものに興味なんかないといわんばかりに。
420はもとより、138にだっておなじことだ。
この138だって、もとはといえば臨也が自分からモデルを志願したはずなのに、その割に臨也は138に関心がない。その割には、他のシリーズで138ナンバーは作らないのかとせっつくのだから相変わらず意味がわからない男だと帝人は思う。
「ははっ、しょうがないよね。帝人君の元気はあの時からずっとどっかいっちゃったんだもんね」
「それよりも!」
臨也の言葉をさえぎるように少し語気の強くなった帝人の様子に、イザヤが帝人を抱きしめる腕の力が少し強くなる。
シズオが、臨也と帝人の間に入るように一歩前へと体を動かした。
僅かに掠れた声は、心の乱れそのままのようだと、自分の声を聞きながら帝人はそう自嘲した。その動揺を、この目の前の男に見せまいとしながら。
「何の用ですか?」
「うん、面白い噂聞いたから」
にいっと、臨也の口角が上がった。
「だから折角昨日の夜飛んで来たのに、帝人くんってば研究室にこもって一歩もでてきてくれないからさ。お泊りしちゃうことになるとは思わなかったよ」
ということはこの男は家主の許可を得ず、一晩中この建物の中にいたというわけか。気付かない自分も自分ではあるが、それは立派な不法侵入である。もちろんそんなことを、今更この男に言ったところでしたかないことではあるが。
「で?」
そしてそんなとっぴなことをする時ほど、ろくな話を持ってこないのがこの折原臨也という男であった。
そして、帝人の予想は的中する。
「今度、サイケデリックシリーズでも420ナンバー作るんだって?」
一瞬にして、その場の空気が変わる。
少しだけ伏せられた帝人の童顔の下からうっすらと見上げる瞳は、年齢に見合わず重く暗いものだった。
「・・・サイケデリックシリーズが、思ったよりも、うまくいったので」
「あぁ、そんなに僕のコピーが気に入ったの?」
やっぱりもとがいいからかなぁなんて言っているその男を、是非ともいますぐ殴りたい。それは、背後に控えている2人も同じだろう。人に危害を加えてはいけない制御機能が備わっているから殴り合いになることはないだろうが、それさえ解除させたら今すぐここは戦場になるに違いない。
「本人よりも、イザヤはよっぽどいい子ですよ」
帝人の言葉に、臨也あはははっと声を上げて笑った。本気にしていない笑い方だと、短くもない付き合いで帝人は思う。
「用件はそれだけですか」
徹夜明けの、こんな天気のいい朝を邪魔されただけではない不快感そのままに、帝人は低い声で問う。言外に、それ以外の用事がないならば出て行けという思うを込めて。
「うん、そう」
なのに、臨也は帝人との距離を縮め笑って言った。
「あとはね」
あぁ、きっとまた、ろくでもない理由だろう。
「こんなに諦めの悪くあがく帝人君の顔を見に、かな」
ぴくりと、帝人の肩が揺れる。
「君は賢いはずなのに、なぜだかこの件に関しては一気に愚鈍になる。いや、それが悪いって言っているわけじゃないさ。そんな、制御できない感情だって人間のあるべき姿だ。そんな、本能に任せた行いをする君のことだって、俺はちゃんと愛しているよ?」
その次に続く臨也の言葉を聞きたくないのに、それを静止も出来ない。何度も繰り返されたやり取りだ。同じ言葉を何度も臨也は帝人へと投げかける。それでも帝人はその言葉を受け入れるわけにはいかないし、そして否定することもできなかった。
だって、そんなこと帝人が一番分かっていたから。
「そんなことしたって、シズちゃんは戻ってこないって君は理解しているはずなのにね」
にいっと口の端を上げて、臨也は笑った。帝人の後ろでこちらに今にも噛み付きそうな目を向けた、2つの心のようなものを持った無機物にゴミを見るような視線を投げつけながら。
作品名:420と138とマスターと 作家名:霜月十一