長い長い家路
超時空感覚器官
早乙女アルトはYF-29デュランダルの緊急脱出レバーを引いた。
直ちに射出され、EXギアが自動的に翼を展開して風を捉えようとするが、巨大なバジュラ女王の付近は高空を吹き渡る強い風が乱れている上に、激しい戦闘のため流れも定まらない。
「うぉっ!」
強い向かい風を受け失速。
飛行姿勢を保てないアルトは、クルクルと錐揉み回転して落ちていくのを自覚した。
鍛えあげられたパイロットは、この程度で空間識失調などはしない。
回転にタイミングを合わせ、EXギアの噴射で姿勢を回復しようとした瞬間、フワリと何かに受け止められた。
「わっ……?」
気が付くと何か固い床の上にうつ伏せに横たわっていた。
ふらつきながらもEXギアの倍力機構の助けも借りて起き上がる。
「バジュラ…」
そこはバジュラ女王が差し伸べた掌の上だった。掌と言っても、バルキリーが着陸できそうなほど大きい。
甲殻類を思わせる固い外皮だが、それを覆うように何か温かいエネルギーのフィールドが張り巡らされていて、アルトを受け止めてくれた。
見上げると、バジュラ女王の昆虫の眼に似た器官がアルトを“見て”いた。
果たして複眼に似た器官が眼に相当するものなのかどうか分からない。
だが、確かにバジュラ女王はアルトを認識していた。
(……離脱……)
アルトの腹に響くバジュラの思考。
純粋な意味の塊を投げつけられた。
アルトは、そう感じた。
曖昧さを許さない厳密な意味で構成された情報空間が、アルトの、人間の意識に投げ込まれる。
ホモ・サピエンスが理解するには、あまりに高密度な情報塊にグラリと足元がよろめく。
それでも、アルトの知性は必死で解釈しようとして、かろうじて“離脱”の意志を汲み取った。
「何故だ?」
(……見る……)
アルトは女王の掌の上で背後を振り返った。
異様にクリアな視界が飛び込んできた。
彼方にアイランド1が見える。
同時にアイランド1の中にあるステージで歌うランカとシェリルが“見え”た。
人間の視覚では小さな粒のようにしか見えないはずの距離なのに。
更に、その向こうに新統合軍とSMSの連合艦隊が大気圏に降下している。
いくつものバトル級、マクロス・クォーター級の艦が強攻型に変形し、その恐るべき主砲の砲口をこちらに、バジュラ女王に向けていた。
「これは…」
疑問を口にした瞬間、正解が閃いた。
どういう手段を用いたのか分からないが、バジュラ女王が超時空感覚器官で知覚した世界をアルトの五感に重ねあわせているのだ。
今なら銀河系も、目の前の空気分子さえ等身大で観察することができる。
連合艦隊は主砲の一斉発射でバトルフロンティアと融合したバジュラ女王を撃破するつもりだ。各種センサーがこちらに照準を合わせているのさえ“見え”る。
だから離脱する。
おそらくは緊急フォールドで。
伝えなくては。
アルトは両足を踏みしめて舞台を見た。
「ランカ」
見える。ランカが、はっと目を見開いたのが。
「お前の気持ちに応えられなくて、ごめんな。だけど、ありがとう」
見える。ランカが下唇を噛んでいるのが。
胸が鋭く痛むが伝えなくてはならない。
こうして話せる機会は、もう二度と無いのかもしれないという予感があった。
「シェリル、少し遅いかもしれないけど、俺はお前のこと愛している」
シェリルが何か叫んだように見えたが、視界を圧倒的な重量子反応の光が埋め尽くす。
フォールド特有の衝撃があって、そこで意識は途切れた。