長い長い家路
五番目の相互作用
地上から戻ってきたアルトはデブリーフィング(作戦後の報告)を終えると、シャワーを浴びてから食堂で食事を採った。
小さな都市ほどの乗員を収容するバトルフロンティアは、マクロス・クォーターに比べても、あらゆるものが規模が大きい。
マクロス・クォーターの艦内はいかにも軍艦という感じだが、バトルフロンティアの内部は街がそのまま軍艦として機能しているようだ。
内部を移動するための専用のチューブトレインや道路もある。病院、売店にランドリー、理髪店、レクリエーションの為のジムやゲームセンターまで。
今、居る食堂も軍艦内の施設と言うよりは、レストランと言っても差し支えない瀟洒なインテリアだった。
彼方に残してきたアイランド1とシェリルのことを考えると食事の手が止まりそうになるが、できるだけ良く噛んで食べる。
先のことを考えれば、体調と体力は維持しなければならない。バトルフロンティアの漂流状態がいつまで続くのか、見通しはついてないのだから。
私物の携帯端末を取り出してみた。
フロンティアから遠く離れているし、軍艦の中にいるので圏外になっているが、通話履歴を呼び出す。
シェリルや、ランカ、ミシェル、ルカ…アルトの日常を形作っていた名前を目で追いながら、どうしているだろうかと想いを馳せる。
表示を消して携帯をポケットにしまうと、再び食事に集中する。
「元気に食ってるな」
声をかけられて見上げると、カーリー中尉がいた。艦内服の繋ぎの上半身を腰のところで結び、タンクトップを見せている。
立ち上がって敬礼しようとすると、カーリーは笑った。
「かまわん、食え」
そう言うと、アルトの向かいの席にトレイを置いて食事を始めた。
トレイの上に乗っているのは菜食主義者用のメニューだった。
(宗教上の戒律か?)
「あー、違う。単なる趣味だ。こっちのが美味い」
アルトは少し驚いた。考えを見透かされたようだ。
「ん? 毎度、同じ事きかれるから、先回りしたんだよ」
行儀悪くスプーンをくわえたまま、カーリーが言った。
カーリーはかなりの早食いで、アルトが食べ終わる頃には、先に食べ終えていた。
「アルト少尉、この後、暇か?」
「はい」
「じゃあ、付き合え」
カーリーは立ち上がると、ついてこいと顎をしゃくった。
ついて行った先は、パイロット用の居住区画だった。
カーリーが使っている部屋に招かれる。
「遠慮するな。一人で使ってるから」
通常は二人部屋なのだが、欠員が出たためにカーリーが独占しているらしい。
「失礼します」
部屋の中は正規の軍人らしく片付いていた。
カーリーは備え付けのロッカーの扉を開けると、その中に頭を突っ込んだ。
「えーと、これだ」
探しだしたのは映像ディスクだった。
パッケージのタイトルは『早乙女有人/美と艶』。
「あんた、これだろ?」
アルトはディスクを受け取った。間違いなく歌舞伎役者時代のアルトの映像を収めた市販品だ。
「はい」
シェリルと出会う前なら、この一言を言うのにずいぶん抵抗があったような気がする。
今は大したことではない。
何をしてはアルトはアルト。
役者だったこともパイロットであることも、自分の役。
ならば幕が降りるまで踊り切る。
SMSでの上官オズマ・リー少佐の言葉を思い出す。
(その全てがオレで、オレはその全てだ)
「でさ、サインして欲しい。フロンティアに帰ったら、友達にサイン付きで返してやりたいんだ。あのコは今でも早乙女有人ファンなんだよ」
アルトはカーリーの申し出に頷くとペンを借りた。
パッケージの余白にサインを書き込む。
「これで、よろしいですか?」
ペンと揃えてディスクを差し出すと、カーリーは笑って受け取った。
「ありがとう。喜ぶよ」
アルトもにっこりしたところで、世界がひっくりかえった。
「なっ!?」
カーリーに手首を掴まれてぐいと引き寄せられた。
不意をつかれて重心を崩したところで、ベッドに押し倒された。
「女形なんざ、もっとナヨってしてるもんだと思ってたけど、案外逞しいじゃないか」
仰臥しているアルトの腰に、カーリーが跨った。
(動けない!)
明らかに相手は慣れている。
「美形だねえ…」
カーリーは屈み込むと、息がかかる程の距離でアルトを見つめた。黒目がちの目がキラキラと光っている。
「イイ思いさせたげるからさ…割り切った付き合いってヤツで」
そう言い終わらないうちに唇を重ねてきた。
「むぐ!」
舌を絡めようとするカーリーに抵抗して、アルトは唇を固く閉ざす。
「なんだい、カノジョの一人や二人居るんだろ? こんなハンサムなんだからさ。フロンティアに帰るまで…後腐れ無しでいこうじゃないか?」
カーリーの掌がアルトの胸板を撫でる。愛撫しながら器用にジッパーを下げ、アンダーシャツをはだけさせた。
アルトは右手でカーリーの顎を押し上げた。
「女性が相手でもセクハラで訴えられるぞ」
左手でポケットから携帯端末を取り出す。
画面には音声メモの表示が出ていて、録音中のマークが点灯していた。
カーリーは苦笑いして、アルトの上から、ベッドの上から降りた。
「カタいねぇ。チェリーかい?」
「ああ」
アルトは間髪入れずに続けた。
「操を立ててる」
カーリーはキョトンとした顔になった。言葉の意味が一瞬分からなかったらしい。
「ぶっ……ははははははははっ、分かった。負けた。負けたよ。アルト早乙女少尉、下がってよろしい」
最後の言葉だけは上官の言葉遣いで告げると、カーリーはシッシッと手まねで追い払う仕草をした。
「失礼します」
アルトは一礼して部屋を出た。
居住区画から離れたところで、壁に背中をつけてふーっとため息をついた。
(撃退法、覚えていて良かった)
プレイボーイとして知られている友人で同僚のミハエル・ブランは後腐れのない遊びを心がけていて、思い込みの強そうな相手を避ける方法を、いくらか自慢気にアルトに聞かせていた。
さっきは、それを応用した。
左耳のイヤリングに触れる。フォールドクォーツの硬質な感触で、少しだけ安心した。
その夜。
アルトも自室で眠りにつこうとベッドに入った。
空いている士官用の部屋に入れられたので、アルトも二人部屋を一人で使っていた。
眼を閉じても、一向に眠気が訪れない。
(くそっ…変な具合に神経が高ぶってやがる)
ふと、カーリーの残り香があるような気がして、洗面所で顔を洗ってからもう一度ベッドに入る。
また携帯端末を弄ぶ。
留守番メッセージの画面に切り替えた。
シェリルから入ったメッセージを再生する。
“んもう、せっかくこの私がかけてるってのに…”
何ヶ月も前のメッセージが消せないでいた。
(消さないで良かった)
メッセージを受け取った後、アイランド1にあるグリフィスパークの丘で会った時、行き違いからシェリルを傷つけてしまった。
いたたまれない程の後味の悪さを思い出すが、それもシェリルにつながる記憶なら、何度でも回想したい。
二度、三度とメッセージを再生している内に、アルトは眠りに落ちて言った。
(ああ、夢を見てる)
夢の中のアルトは思った。
夢を見てる自分を認識できる夢だと。
周囲は輪郭も色彩も曖昧な街並みの中を歩いていた。
遠くからかすかな歌声が聞こえる。