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紅い桜

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死にたくなくて、生きていたくて、幼い頃、大人達が話しているのを聞いた桜の木まで走っていった。
この村にたった一本存在する深紅の桜。
桜林を抜けて開けた場所に存在し、血のように真っ赤な花弁を咲き誇らせて、
風が吹いても居ないのに無限に、優雅に花を散らす。

「た、助けてよっ・・・!助けてっ」

自分でも悲痛な叫び声だと思った。この紅い桜に願えば、何かを引き替えに生きながらえると大人達は言っていた。
その「何か」は分からない。けれど、子供心に、藁にも縋る思いでその桜に願う。
けれど、もともと弱い身体を酷使して無断で夜中駆けだしてきた無理がたたったのだろう。
急に胸を締め付けられる痛みが襲う。苦しくて痛くて、子供は断片的な息を吐き涙を流して、その桜の根元に蹲った。
それでも、子供は気丈に桜の木を見上げて願った、請うた。生きたいというその執念そのままに。
その時、今までにない突風が吹き荒れ荒々しく花弁が舞い散り、子供の頬を砂埃と花びらが交互に、同時に叩いては傷を作っていく。

「っ」

条件反射で子供は目を硬く瞑り、まるで桜の木の洗礼のような仕打ちに耐えた。
暫くすると、漸く風も収まり花びらは先程と同じように優雅にひらひら散っている。

(今の・・・いった・・・い)

子供は瞳を明けて数度瞬きをしてみた。蹲っていた身体を起こし辺りを見回してみて何も変わっていないことに愕然と肩を落とす。
何も変わらなかった。やはり深紅の桜の噂は噂でしかなかったのかと思った次の瞬間、子供は目を見開く。
慌てて自分の胸に手を置いてみて、更に驚いた。先程まで感じていた胸の痛みが一切感じられなかったのだ。

「嘘・・・」

「嘘じゃないよ。叶えてあげたでしょ?」

誰に対して呟いたわけでもない言葉。だから子供はまさか無意識に呟いた言葉に返事が返ってくるとは思わなかった。
肩をびくっと跳ねさせて、子供は勢いよく後ろを振り返った。
そこには見たこともない真っ黒な着物を着て、漆黒の羽織を肩にかけた青年が立っていた。
男はクスリと笑うと、軽い足取りで子供の傍までくると、その場にしゃがみ込んでしまった。
子供は男の着物が地面に擦れていたことを気にしていたが、男はさして気にする様子もなく子供の顔をまじまじと見つめ、柔和に笑った。

「さて、坊や。俺は君のお願いを叶えてあげた。どう?苦しくないでしょう?」

「う、うん・・・」

「そう。俺は君の願いを叶えた。君の命を延ばしてあげたよ。さぁ、君はいったい俺に何をくれるのかなぁ?」

「え、あ・・・」

子供は途方に暮れた。その感情のままに眉を八の字にゆがめ、男を見上げる。
その時気が付いた。男の目の色に。男の瞳は紅かった。まるで、この桜の花のように。

「ねぇ、何をくれるの?」

男の言葉に我に返ると、子供は自分が一瞬、その瞳に目を奪われていたのを隠すかのように視線を反らす。
何を、と聞かれても何も思いつかなかった。自分は何も持っていない。それにこの男が何を望むのかを知らずにここに着てしまった。
唇を噛み締め、必死に考えるが浮かばない。ちらりと男を見上げれば、口元に微笑を浮かべて紅い瞳で自分を見つめている。

(どうしよう・・・思いつかないっ)

膝の上で作った拳に汗が滲んで気持ち悪いと思った。何も答えない子供に男は何を思ったのか、ふっと笑うとその子供を抱きかかえて立ち上がる。
自然と子供が男を見下す形となり、子供は目を白黒させて慌て出す。

「え!?」

「お前、俺が何を望む存在なのかを知らずにここまで着たんだね?」

「っ・・・う、うん」

「ふ、ふははは!!いいね、いいね!その生にしがみつく貪欲さ!何を対価として支払おうとも構わないというその執着!
 子供が故にその願望は強いのだろうね!ははは!だからこそ人間は面白い!」

男は突然狂いだしたように笑い出し、子供は困惑した顔で男を見下ろす。
ひとしきり男は笑うと子供を見上げて、その美しい顔を残虐な笑みで彩った。

「知らないのなら、教えてあげる。俺に願いを請うた人間が俺に差し出す物、それはね」

「それ、は」

男の口角が楽しそうに上がり、紅い瞳がちらりと光った。

「君が二十歳になった後の人生さ」




作品名:紅い桜 作家名:霜月(しー)