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ラストサマー

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夏休みが始まってすぐの土曜日、蜜柑は蛍の家のチャイムを鳴らした。ドアから怪訝な表情を覗かせた蛍も、ぱちぱちと大きな瞳を数回瞬かせる。普段は、どちらかというと動きやすい格好をしている蜜柑が、薄い桃地に赤い金魚柄の入った浴衣を着ていたからだった。蛍はそれだけの情報で、次に言うであろう蜜柑の言葉をおおかた予測する。そしてそれは、大抵当たっていた。

「ほーたるっ!今日はな、村のお祭りなんよ!一緒に行こう!」
「嫌よ、暑い」

 満面の笑みが少し引き攣ったが、蜜柑も諦めが悪い。蛍の腕に縋りついて、ぐいぐいと引っ張る。

「そんなこと言わんと、行こうや!絶対楽しいし、ほら、アレや、……美味しいものもいっぱいあるで!」

 それはまあ魅力的だけれど。嫌だ、と再度断ろうとした時、背後からの声に今度は蛍が顔を引き攣らせた。

「あら、いいじゃないの。お祭り」
「お母さん」

 ぐるりと首を回して、後ろでにこにこと笑っている母親を蛍は困ったように見やる。

「お小遣いあげるから、いってらっしゃい。去年の浴衣、着れるかしら」
「わー!蛍の浴衣、どんなやろ!見たい見たいー」

 ちゃっかりと盛り上がっている二人を遠目に、蛍はしょうがないかと苦笑を零したのだった。


***


 お祭りには村中の人が出向くらしく、いつもは閑散とする神社の境内も今日ばかりは混雑していた。どこからやって来たのか、出店も所狭しと並んでいる。そういえば、「友達」とお祭りに来るのは初めてかもしれないと蛍はぼんやり考える。両親とお祭りに行ったことだって記憶に遠い。そんな蛍の考えをどこかで読み取ったのか、「去年まではじいちゃんと来ていたんよ」と蜜柑が笑った。その横顔は出店の提灯に照らされて、少し赤い。その横顔を一瞥した蛍が、ぼそり言う。

「私はおじいさんとは違うから、迷子になっても探さないわよ」
「なんやなー、迷子になったりせえへんて!もう何度も来ているんやから」

 蜜柑はぷくっと頬を膨らませた。この場合、「何度も来ているから」は「大丈夫」の理由にならないんじゃないかしら。問題は、一メートル先でさえ遮る人混みなのだから。(そう言うの、忘れてたわ)蛍は軽く痛み始めた、こめかみの辺りを押さえた。

「さっそく迷子になってるじゃない」

 あの馬鹿。自分が案内すると張り切っていたのは何処へやら、これでは探して歩くうちに出店の位置を完璧に覚えられそうだ。探さないとは言ったけれど、このまま帰ることも出来ない。途方に暮れた蛍の視界に入ったのは、他の店たちより一回りほど小さい「金魚すくい」の文字。ぼんやりと見つめていると、出店の主人と目が合った。

「やあ、お嬢ちゃん。暇潰しにやっていかないかい?」

 どうせこのまま歩いていても、慣れない下駄に足は痛くなるだろうし、折角見つけた淡い青の浴衣も崩れてしまうし。すれ違ってしまったら、元も子もない。店の主人の言うとおり、暇潰しにいいかもしれない。嗄れた声に誘われて、蛍はふらふらと金魚の泳ぐプールを覗き込んだ。プールにはたくさんの赤い金魚が泳いでいる。ゆったりとしているものもいれば、何処か「自分」の末を見据えてもがいているように泳ぐ金魚もいた。

 金魚も色々、よね。誰にも届かない言葉で喉を震わせて、蛍は深い紫をそっと伏せた。隣を泳いでいても、全く歩む道が違う。それは自分たちも同じだ。いつまで、こうして楽しい時間が続くのか……それは、蛍自身にも分からないことではあったけれど。……出来るなら、長い方がいい。叶うのなら、もう少し一緒に。

 蛍は、目をゆっくりと上げた。

「おじさん、これ一回」

 小銭を渡すと、終始黙って蛍を待っていた店の主人は、「はいよ」と景気のいい声で答えて、笑った。


***


 結局、蛍と蜜柑が再会したのはそれから三十分ほど経った後のことだ。境内の横に座っている蛍を見つけた蜜柑は、下駄や浴衣のことなどお構い無しに全力疾走で駆け寄る。

「ほたるっ!」

 ああ蜜柑、と冷静な反応をしている親友を見やって、蜜柑は声を荒げた。

「なに、迷子になってんねん!ウチ、めっちゃ探したんやで!」
「迷子になったのはアンタじゃないの」
「ちゃうわぁぁぁ!蛍のバカー!アホー!」

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ蜜柑の顔は、汗と涙でぐちゃぐちゃだ。今回ばかりは。「酷い顔だ」とは、さすがの蛍も言わなかった。その代わりに。

「ほら、」

 ずいっと差し出したのは、金魚が一匹入った袋。

「これ……」
「さっき、アンタを待ってる時に取ったの。本当は二匹取ったんだけど、一匹ずつ分けてもらったから」

 困惑して行き場を無くしている蜜柑の手に、それを握らせる。

「だから、いい加減泣きやめ、バカ」

 その言葉を聞くが早いか、袋を覗き込んでいた蜜柑の表情は、ぱあっと明るくなった。

「あ、りがと、蛍……!」

 本当に、単純だ。けれど、単純なのは案外、蜜柑よりも自分なのかもしれないと蛍はこっそり思う。(喜んでくれてよかった、なんて思っているんだもの。)二人の握る小袋の中で、蜜柑の浴衣の柄とおそろいの、金魚の赤い尾びれが揺らぐ。お互いを探し回って、本当は少し疲れているけれど。今度は迷子にならないように、手を繋いで。取り敢えず、出店の焼きそばでも食べようかと、二人は揃って歩き出した。

作品名:ラストサマー 作家名:四季