ラストサマー
波乱万丈だったように思えてならない祭りから帰って、蛍がその一連を話すと、彼女の両親は揃って顔を綻ばせた。淡々とした口調の中に蛍なりの「楽しかった」という気持ちがあるということを、二人は充分に理解していたからだ。蛍の戦利品である金魚は、家にある水槽にすぐ移された。その水槽には「先客」がいたけれど、すぐに倣って泳ぎ始める。まじまじと様子を窺っている蛍に、父親は優しく言った。
「大切に育ててあげれば、この子も長く生きていられるよ」
長く。その言葉は、蛍にとって何より大切で、欲しいもの。静かに頷いた頭を、大きな手が慈しむように撫でた。
***
蜜柑ちゃんが来ているわよ、と蛍の部屋に母親がやってきたのは月曜日の昼過ぎ、一番暑い時間帯だった。蜜柑とは土曜日にあった祭り以来、会っていない。二日ぶりだった。読んでいた本から顔を上げると、明らかに母親の表情は曇り気味だ。どうかしたの、と蛍は首を傾げる。
「なんだか、蜜柑ちゃん……元気がないのよね」
いつもは元気良くチャイムを鳴らしているのに、どうしちゃったのかしら。眉尻を下げる母親の脇を擦り抜けて、蛍は玄関に向かう。ドアを開けると、其処にはぽつりと蜜柑が立っていた。
「蜜柑?」
顔はまっすぐ蛍の方へ向いていたけれど、その瞳は虚ろで。
「何かあったの…?」
蛍がサンダルをつっかけて外へ出てくると、蜜柑の唇が漸く微かに動いた。
「蛍、金魚が、……」
蛍の紫玉が大きく見開かれた。炎天下、夏空の下、二人は微動だにしない。まるで其処だけ時間が止まってしまったかのように、ミンミンと蝉が煩く鳴くばかり。俯いた蜜柑の頬から、雫が不規則的にポタポタと地面に染みを作った。汗なのか、涙なのか。少なくとも蛍には判らなかった。
お互いに一言も会話を交わそうとすることもなく、蜜柑の家まで向かう。家へ着くと、玄関でなく庭の方へ向かう背中を、蛍は追いかけた。庭に置かれた、透明な鉢。遠目からでも十分状況を呑み込めていたけれど…近付き、鉢を覗き込んだ蛍は目を伏せる。金魚は、完全に力を無くしていた。
「……アンタ、ペットとか、飼ったことはないの?」
尋ねる声に、ふるふるとツインテールが横に揺れる。それは知らなかった、と蛍は心の底で後悔した。(こんなカオをさせたかったわけじゃない!)喜んで欲しかった、……それだけなのに。
「とりあえず……埋めてあげましょう」
「…………うん」
庭にある、蜜柑の祖父が植えた木の根元がいい、と二人で穴を掘って金魚を埋めた。最後に、そっと土をかけてやる時、蜜柑は「冷たい土や」と蚊の鳴くような声で呟いた。
「ウチのお父さんとお母さんも、こんな風に冷たかったかな」
「え……?」
「ううん、………なんでもあらへん」
本当は、蛍の耳にも届いていたのだけれど。それを知ってか知らずか、蜜柑はふんわりと微笑んで。いつもどおり、柔らかい口調。けれど、どこか深くにきっぱりとした強い意志を感じて…蛍は、それ以上のことを蜜柑から聞き出せなかった。
それから暫くの間、二人は心許なく木の下に立ち続けていた。あの、夏祭りの時と同じように手を繋ぎ、冷たい地面(つち)を見下ろして。二人は何も話さなかったけれど、ただその言葉だけは、蝉の煩い庭に、凛と響いた。
「おやすみなさい」
(土と同じ冷たさに願うのは、どうか安らかに、と。)