憧れと曖昧な恋
「貴方も臨也さんが好きなのね」
いつだったか綺麗な大人の女性に言われた事がある。
臨也さんのマンションの前で出てきた彼の信者である彼女と。
好きか嫌いかで答えれば好きだ。折原臨也は非日常の塊のような人だ。
僕はそんな彼が好きだ。非日常を求めて街中を歩けば彼に出会えただけで心は躍る。
静雄さんと繰り広げる戦争。いつみても飽きる事のない二人の絡みに
興奮は絶頂を覚えるがサイモンさんが加入する事によりそれが終わってしまうのは
少し残念でならない。パトカーや救急車のサイレン。何か事件かと思う所に足は運ぶ。
酔っぱらい同士の喧嘩なんてどうでもいい。もっと派手な事件を期待してしまう
自分がいて。
こんな事、考えちゃいけないってわかっているのに。
「帝人君は非日常を求めてる」と臨也さんに言われたのはいつだったか。
臨也さんの特別になりたいとかそんな事は一度も思った事はない。
ただ姿を、その光景を目に焼き付けられればそれで満足していた。
「私と遊んでみよっか、聞いたよ?君、非日常な事が好きなんでしょう?
色々と教えてあげる」
彼女は僕よりも大人だった。美人でお洒落できっと社会人の人だろう。
それでも彼女は臨也を愛していると言った。恋人になりたんですか?と
聞いた。どうしてそんな質問をしたのだろうと後になってから後悔した。
けれど彼女は微笑んで小さく首を横に振る。「いいえ、ただ、彼を愛しているの」と。
わからない、臨也さんが好きなら一人占めをしたいと思うんじゃないのか。
自分が大人になれば、今よりもずっと考え方が変わるのだろか。
そんな思いを心の奥に押し込めて僕はその日初めて童貞を捨てた。
初めて女性と交わした交わり。全て相手のリードによるものだったけれど。
「帝人君」
「あれ、臨也さんこんにちは」
夕方、サンシャイン60通りを歩いていた僕は声を掛けられた。
「学校帰り?」
「はい」
久しぶりだ、臨也さんに会うのは。たくさんの人々が交わり多い通りに
溶け込んで黒いコートに身を包んでいる彼は今日も、笑っていた。
「久しぶり、ですね」
「そうだね、仕事でこの街を離れていたから」
「ああそうだったんですか」
「ねえ─」
何か、言い掛けたがその言葉は遮られてしまう。
「いいいざああやああああああ」
「っとに、しつこいなあ」
静雄さんだ。わ、と人々が彼を中心に離れていく。すごい迫力。
今にもこちらに目掛けて突進してきそうな勢いだ。臨也さんは僕の手を掴んだ。
「こっち」
「え、あ、あの!」
抗議を上げる間も無く人々の間を潜り抜け僕等は走った。
早く早くと彼の手が僕を引いていく。角を曲がったすぐ先で裏道の方へ連れ込まれた。
人一人がやっと通れるほどの狭い通路は二人並ぶと密着してしまいそうな距離で。
ビルとビルの隙間からもの凄い形相で通り過ぎていく静雄さんの姿。
繋がったままの手に一度視線を落とすとすぐにそれは離された。
「はあ…はあ…い、いいんですか?」
臨也さんに合わせて走ったせいで息も絶え絶えだ。ほんの少し走っただけなのに。
当然ながら彼は息も切れずに明るい通りの方を伺っていた。握っていた手が熱い。
汗ばんでいる。
「あんなの放っておいていいよ」
忌々しげに心の底から吐き捨てるような言葉。
「ふふ」
思わず漏れてしまった笑い声に臨也さんは瞳を瞬いた。
「あ、ごめんなさい、お二人って本当に相変わらずで」
「嫌になっちゃうよねえ毎回毎回」
その割には楽しそうに僕には見えるんだけど。
「帝人君は?」
「え」
臨也さんは両手を伸ばした。その間にいるのは僕。壁に手を
付かれれば、思っていた以上に至近距離にあった彼の顔に息を飲んだ。
美形は得である。やっぱり臨也さんはかっこいいと思ってしまうのが素直な感想だ。
僕は完全に彼の腕の中に捕らわれてしまった。
「帝人君て年上で美人で髪が長くていい匂いがする大人の女が好みなんだ」
「な…」
「人の趣味にとやかく文句を言うつもりはないんだけどさ、彼女は止めて
おいた方がいいよ」
「─…プライバシーの侵害です」
「園原杏里ちゃん相手に赤面になっちゃう純朴少年だった帝人君が
随分大胆な行動に出て正直意外だったな。…彼女、上手かったでしょ」
一気に顔が熱くなる。にやにやと笑っている臨也さんは癇に障る。
駄目だ、臨也さんのペースに巻き込まれたら駄目だ。
「…ぼ、僕が誰と付き合おうが臨也さんには関係ないですよね」
「そうだね。関係ない」
必死に冷静さを勤めようと出した声は僅かに上ずってしまう。
臨也さんは表情一つ変えない。怒っているわけでも笑っているわけでもない。
どうしてだろう、僕はその顔を、表情を、もっと見ていたかった。
もっとその瞳で自分を見ていて欲しいと。
関係ない、そう言い放った言葉が再び脳裏を霞める。
「それとも俺に引きとめて欲しかった?」
目の前の臨也さんは言った。今度はにこりと微笑んで。
「何を?」
言っている意味が、わからない。
「帝人君の鈍チン」
「ええ?」
どうしてそうなるんだ。
「あの」
「それじゃ、気を付けてね!特に夜は出歩かない方がいいよ~」
僕を捕えていた腕は離れていく。臨也さんは軽い足取りで前を走っていく。
あっという間にその姿は見えなくなって僕は狭い裏道に一人取り残された。
数秒後、「いざやあああああああ」と怒声とガラスの割れる音。
引きとめて欲しかった?
後に僕はその言葉の意味を身をもって体験することになる。
僕の不運の幕開けだった。
ある時は突然他校の生徒に絡まれて警察に補導されそうになり
またある時はどこかの御曹司と間違われて誘拐された所をセルティさんの
活躍により難を逃れ
そしてまたある時は人身売買の競売にかけられそうになり誘拐されかけた。
なんでこんな非日常が一遍に訪れるのだ。それも一週間のうちに、だ。
それを望んていたのは僕自身だがさすがに身が持たない。
心身共に疲れ切っていた所僕はある人に頼ってみようと思った。
臨也さんならなにかわかるかもしれない。この不運な出来事が
僕の正体について、全てダラーズ絡みだとしたらやっかいだ。
けれどなかなか彼は捕まらない。携帯電話を取り出してコールは
するもののいつも留守電に切り替わってしまう。
チャットにも姿を現さなかった。
そんな不安な日々を凄いしていたある日の夜。
ついに、その日が来てしまった。
***
「帝人君は?」
「眠ってる。そろそろ麻酔も切れる頃だから目を覚ますんじゃないかな」
「そう」
声が、聞こえた。
体は鉛のように重く鈍い痛みがあちこちにじわりじわりと広がる。
自分がベッドの上で横になって眠っていた事は理解できた。
「見た目ほど大した怪我じゃないからすぐによくなると思うけど大事を取って
二、三日は安静にね」
「了解」
「けど意外だったな。君が他人のために僕を呼び付けるなんて」
「後輩なんだ、あのまま見過ごせないだろ?」
「いたいけな高校生相手に遊ぶなよ」
「酷いな」
瞳を開けると、見慣れない天井。真っ暗な部屋。何処だろうここは。
「お忙しい中お勤め御苦労様です、岸谷先生」
「なにそれ気持ち悪い」
「これから四木さんの所行くんだろ?」
「まあね」