つわものどもが…■05
午前中の講義の終了を知らせるチャイムが鳴り、学生達が昼休憩に顔を綻ばせる。
苦痛だと感じていた訳ではなかったが、俺も他の生徒同様に大きく吐息した。広げていたノートを閉じ、筆記具を仕舞う。机の横に掛けていたバッグを持ち上げたところで、同じコース(だと思う)の女子に近くのカフェに出ないかと誘われたが、生憎と今日は昼食を持参していたので次また誘ってくれ、と断った。
俺は荷物を持ち講義室を後にした。
この大学は幾つもの学部を併設していて、構内には学食の類が複数ある。その中でも、最近改装されたという教育学部のカフェテリアが俺の気に入りの場所だ。明るく、テーブルの間隔もゆったりとしていて居心地がいい。
法学部の棟を出て、隣にある教育学部の建物に入る。近いのも気に入っている理由のひとつだ。
カフェテリアの入り口でカラフルなトレーの山からひとつを取り、学生達の列に並ぶ。ショッピングモールやレジャー施設にあるようなものと同じシステムで、自分の欲しい物だけを取って最終的に合計を支払う形式だ。メインとなる皿は、簡単にではあるが温かいものを目の前でサーヴしてくれる。
今日は弁当を持参しているのでサラダだけ購入し、ウォーターサーバーで水を汲んでトレーに乗せる。
昼食時のカフェテリアは学生で賑わっていた。小十郎に聞いた話では、夏季休暇まではまだ真面目に講義に出る学生が多いので学食も混雑しがちだが、手を抜く事に慣れた頃には空いてくるものらしい。そういうものなのか、と思いながら今はまだ学生達が多く憩うカフェテリアを見渡した。
と、俺はひときわ目立つ頭を見付けた。此方に背を向けて座っているがあの白銀の逆立った髪は間違いない、元親だ。
他にも空いた席はあったが、なんとなく元親の向かいが空いているか確認しようと近寄ってみた。It’s parfect,四人掛けのテーブルには元親ひとりだ。
「Do you mind sharing a table?(相席いいですか)」
後ろから声を掛けると、
「ンだよ政宗か、驚かすなよ」
驚きにひとつ目を見開いた顔で元親が振り向いた。Great job!(やったね)
元親の意表を突く事に成功して気を良くした俺は、向き合う位置にトレーを置いた。椅子をひいて腰掛けて、隣の空いた椅子の背に鞄を掛ける。
「何読んでんだ?」
元親は既に食べ終えていたようで、トレーを横に押しやって何かレポートのような物を読んでいた。
「あぁ、心理学のシンポジウムのレジュメだ。児童心理学の講義で教授がコピーしてくれたヤツな」
「へぇ、ちゃんと教育学部生なんだな」
「ったりめぇだろ、俺をナンだと思ってやがんだ」
気負わない軽い会話が心地よくて、俺は綻んだ口元を隠すように水を含んだ。
「お?メシそんだけか?そんな細っこい体で、まだダイエットとか言うんじゃねーだろうな」
アンタもうちょっと食った方がいいぞ、と頬杖をついて元親が言って寄越す。
「それ、聞き様によっちゃセクハラだぞ」
「けどよぅ、俺としちゃぁもう少しふっくらしててもいいと思うんだがなぁ」
「誰もアンタの好みなんか聞いちゃいねぇよ。てか言ってる端からセクハラ発言だし」
コップをトレーに戻して、真面目な顔で阿呆な事をぬかす元親に言い返す。だが元親は全く気にした様子もなく、
「なんだったら奢ってやろうか?まぁ学食でアレだけどよ」
などと言ってジーンズのポケットに手を突っ込んだ。じゃら、と音がしたって事は、小銭をそのままポケットに入れてんのか。
「Thank you,気持ちだけ貰っとく。実は弁当持ってきてんだ」
今にも立ち上がりそうな元親を制して、俺は鞄から弁当の包みを出した。
「へぇー…て、弁当箱ちっちぇなぁ!足りんのか、それで」
「Stop nagging,どうやったって太らせてぇのかアンタは」
そんな特別小さな弁当箱じゃねぇよ。
「だから言ってんだろぉ?もうちょっと肉付けた方が好みだって。まぁ今のままでも十分ストライクゾーンだけどよ」
にんまり、てのがピッタリくるような笑みを浮かべる元親に、俺は呆れたような溜め息と共に胡乱気な一瞥をくれてやった。
「ンな事聞いてねぇし」
まるきり興味を示さず、手元の弁当箱の包みを解いて蓋をあける。そうだよ、興味なんかねぇよ。……粗野な笑い方なのに、なんだってコイツがやるとこんなに目を惹くんだ、とか、気にしちゃいねぇからな!
いただきます、と何時もの習慣で手を合わせると、向かいから「はい、おあがり」と返された。
俺が食事を始めると最初は此方を眺めていた元親だったが、ややして再び手元のレポートに視線を戻した。俺はさり気なくその様子を観察しながら食事を進める。紙を捲る手はごつごつとして男性的で、なのに人差し指に草臥れた絆創膏が巻き付けてあるのが子供っぽく見えて面白い。レポートの文字を追う瞳が、ページの下の方に移るに従って瞼が少し落ちる。そんな仕種も、何故だか絵になる。
「……そんな見られちゃあ集中できねぇんだがよぉ?」
く、と口の端だけ釣りあげて笑う元親に、俺は慌てて詫びを述べた。そんなじろじろ見ていたつもりはなかったんだが……。
「そんなに俺が気になるか?ん?」
「ち、違ぇよ……珍しく真面目な顔してるから…ちょっと見てただけだっ」
Damn it!苦しい言い訳だ。
元親はレポートを読み終えたらしく、肘の下にあったクリアファイルにそれを仕舞った。
「Ah…あの、よぉ?」
摘むでもなく、卵焼きを箸でつつきながら俺は元親から視線を逸らせたまま言った。
「もし……嫌なら、答えなくていいんだけど…さ」
「なんだ、珍しく殊勝じゃねぇか」
片肘をついてニッと笑いながら、もう片方の空いた手が俺の手元の弁当箱に伸びてくる。
「何時も殊勝だよっ」
ひょいと奪われた卵焼きを目で追うように元親を見遣った。
「自分で言ってちゃ…なぁ」
黄金色のそれを口に放り込み、指を舐めながら元親が笑って言う。
「…もぅいい」
何だか別にどうでもよくなって言い捨てると、
「拗ねンなって」
笑いを収める事なく、元親はゴシゴシとジーンズに手を擦りつけた。
それから、
「これ、だろ?」
彼の左目にかかる派手な眼帯の上でトントンと人差し指を軽く弾ませた。
「……ya」
ちょっとだけ視線を彷徨わせ、けれど己から切り出したのだと思い出して、俺は左目で真っすぐ元親の右目を見て答えた。その瞳は柔らかく笑みを浮かべていて、気を悪くした様子はなかった。知らず強張っていた身体から力が抜けた。
「見せてやってもいいんだけどよ…」
瞼のあたりを撫でながら、思わせぶりに言う。
「暗い所でねぇと見せらンねぇんだよな」
「なんだその如何わしい言い訳。Oh、そうやってナンパしてんのか」
「ちっげーよ」
俺の軽口に元親は子供のように口を尖らせて抗議してきた。くるくると表情がかわって見ていて厭きない。
「まぁ…アレだ、前世で疎かに扱った罰でも当たったんだろうな、生まれつき色素異常なんだよ」
あまりに明るく言うものだから、言葉の意味を理解するのにわずか時間が掛かった。
「I’m so sorry,」
興味本位…だけではなかったが、それでも無神経な聞き方だったかと反省して詫びると、
苦痛だと感じていた訳ではなかったが、俺も他の生徒同様に大きく吐息した。広げていたノートを閉じ、筆記具を仕舞う。机の横に掛けていたバッグを持ち上げたところで、同じコース(だと思う)の女子に近くのカフェに出ないかと誘われたが、生憎と今日は昼食を持参していたので次また誘ってくれ、と断った。
俺は荷物を持ち講義室を後にした。
この大学は幾つもの学部を併設していて、構内には学食の類が複数ある。その中でも、最近改装されたという教育学部のカフェテリアが俺の気に入りの場所だ。明るく、テーブルの間隔もゆったりとしていて居心地がいい。
法学部の棟を出て、隣にある教育学部の建物に入る。近いのも気に入っている理由のひとつだ。
カフェテリアの入り口でカラフルなトレーの山からひとつを取り、学生達の列に並ぶ。ショッピングモールやレジャー施設にあるようなものと同じシステムで、自分の欲しい物だけを取って最終的に合計を支払う形式だ。メインとなる皿は、簡単にではあるが温かいものを目の前でサーヴしてくれる。
今日は弁当を持参しているのでサラダだけ購入し、ウォーターサーバーで水を汲んでトレーに乗せる。
昼食時のカフェテリアは学生で賑わっていた。小十郎に聞いた話では、夏季休暇まではまだ真面目に講義に出る学生が多いので学食も混雑しがちだが、手を抜く事に慣れた頃には空いてくるものらしい。そういうものなのか、と思いながら今はまだ学生達が多く憩うカフェテリアを見渡した。
と、俺はひときわ目立つ頭を見付けた。此方に背を向けて座っているがあの白銀の逆立った髪は間違いない、元親だ。
他にも空いた席はあったが、なんとなく元親の向かいが空いているか確認しようと近寄ってみた。It’s parfect,四人掛けのテーブルには元親ひとりだ。
「Do you mind sharing a table?(相席いいですか)」
後ろから声を掛けると、
「ンだよ政宗か、驚かすなよ」
驚きにひとつ目を見開いた顔で元親が振り向いた。Great job!(やったね)
元親の意表を突く事に成功して気を良くした俺は、向き合う位置にトレーを置いた。椅子をひいて腰掛けて、隣の空いた椅子の背に鞄を掛ける。
「何読んでんだ?」
元親は既に食べ終えていたようで、トレーを横に押しやって何かレポートのような物を読んでいた。
「あぁ、心理学のシンポジウムのレジュメだ。児童心理学の講義で教授がコピーしてくれたヤツな」
「へぇ、ちゃんと教育学部生なんだな」
「ったりめぇだろ、俺をナンだと思ってやがんだ」
気負わない軽い会話が心地よくて、俺は綻んだ口元を隠すように水を含んだ。
「お?メシそんだけか?そんな細っこい体で、まだダイエットとか言うんじゃねーだろうな」
アンタもうちょっと食った方がいいぞ、と頬杖をついて元親が言って寄越す。
「それ、聞き様によっちゃセクハラだぞ」
「けどよぅ、俺としちゃぁもう少しふっくらしててもいいと思うんだがなぁ」
「誰もアンタの好みなんか聞いちゃいねぇよ。てか言ってる端からセクハラ発言だし」
コップをトレーに戻して、真面目な顔で阿呆な事をぬかす元親に言い返す。だが元親は全く気にした様子もなく、
「なんだったら奢ってやろうか?まぁ学食でアレだけどよ」
などと言ってジーンズのポケットに手を突っ込んだ。じゃら、と音がしたって事は、小銭をそのままポケットに入れてんのか。
「Thank you,気持ちだけ貰っとく。実は弁当持ってきてんだ」
今にも立ち上がりそうな元親を制して、俺は鞄から弁当の包みを出した。
「へぇー…て、弁当箱ちっちぇなぁ!足りんのか、それで」
「Stop nagging,どうやったって太らせてぇのかアンタは」
そんな特別小さな弁当箱じゃねぇよ。
「だから言ってんだろぉ?もうちょっと肉付けた方が好みだって。まぁ今のままでも十分ストライクゾーンだけどよ」
にんまり、てのがピッタリくるような笑みを浮かべる元親に、俺は呆れたような溜め息と共に胡乱気な一瞥をくれてやった。
「ンな事聞いてねぇし」
まるきり興味を示さず、手元の弁当箱の包みを解いて蓋をあける。そうだよ、興味なんかねぇよ。……粗野な笑い方なのに、なんだってコイツがやるとこんなに目を惹くんだ、とか、気にしちゃいねぇからな!
いただきます、と何時もの習慣で手を合わせると、向かいから「はい、おあがり」と返された。
俺が食事を始めると最初は此方を眺めていた元親だったが、ややして再び手元のレポートに視線を戻した。俺はさり気なくその様子を観察しながら食事を進める。紙を捲る手はごつごつとして男性的で、なのに人差し指に草臥れた絆創膏が巻き付けてあるのが子供っぽく見えて面白い。レポートの文字を追う瞳が、ページの下の方に移るに従って瞼が少し落ちる。そんな仕種も、何故だか絵になる。
「……そんな見られちゃあ集中できねぇんだがよぉ?」
く、と口の端だけ釣りあげて笑う元親に、俺は慌てて詫びを述べた。そんなじろじろ見ていたつもりはなかったんだが……。
「そんなに俺が気になるか?ん?」
「ち、違ぇよ……珍しく真面目な顔してるから…ちょっと見てただけだっ」
Damn it!苦しい言い訳だ。
元親はレポートを読み終えたらしく、肘の下にあったクリアファイルにそれを仕舞った。
「Ah…あの、よぉ?」
摘むでもなく、卵焼きを箸でつつきながら俺は元親から視線を逸らせたまま言った。
「もし……嫌なら、答えなくていいんだけど…さ」
「なんだ、珍しく殊勝じゃねぇか」
片肘をついてニッと笑いながら、もう片方の空いた手が俺の手元の弁当箱に伸びてくる。
「何時も殊勝だよっ」
ひょいと奪われた卵焼きを目で追うように元親を見遣った。
「自分で言ってちゃ…なぁ」
黄金色のそれを口に放り込み、指を舐めながら元親が笑って言う。
「…もぅいい」
何だか別にどうでもよくなって言い捨てると、
「拗ねンなって」
笑いを収める事なく、元親はゴシゴシとジーンズに手を擦りつけた。
それから、
「これ、だろ?」
彼の左目にかかる派手な眼帯の上でトントンと人差し指を軽く弾ませた。
「……ya」
ちょっとだけ視線を彷徨わせ、けれど己から切り出したのだと思い出して、俺は左目で真っすぐ元親の右目を見て答えた。その瞳は柔らかく笑みを浮かべていて、気を悪くした様子はなかった。知らず強張っていた身体から力が抜けた。
「見せてやってもいいんだけどよ…」
瞼のあたりを撫でながら、思わせぶりに言う。
「暗い所でねぇと見せらンねぇんだよな」
「なんだその如何わしい言い訳。Oh、そうやってナンパしてんのか」
「ちっげーよ」
俺の軽口に元親は子供のように口を尖らせて抗議してきた。くるくると表情がかわって見ていて厭きない。
「まぁ…アレだ、前世で疎かに扱った罰でも当たったんだろうな、生まれつき色素異常なんだよ」
あまりに明るく言うものだから、言葉の意味を理解するのにわずか時間が掛かった。
「I’m so sorry,」
興味本位…だけではなかったが、それでも無神経な聞き方だったかと反省して詫びると、
作品名:つわものどもが…■05 作家名:久我直樹