いたいけな投手
「阿部君、オレは阿部君にきっ嫌われても仕方ないと思う……から、……あ、うぅぅ、でも、せめて見捨てないでほしいんだ」
赤ん坊みたいに泣きながら、三橋はオレにそう言った。
ドモリ、キョドリ、根暗、卑屈、泣き虫、ビビリ、他人と目を合わせられない、筋金入りの 負け犬根性、彼氏にしたくないタイプぶっちぎり堂々一位。
西浦高校野球部のエースの説明は、それで十分。三橋廉はそういう男だ。
彼の相棒である阿部隆也の個人的価値観で述べさせてもらえば、性格はともかくとして努力を怠らず、常に勤勉で頑張っている三橋は、嫌いではなかった。むしろ好きの部類に入る。
もっと言えば、阿部隆也は三橋廉が好きだった。
ノーマルの世界で言うならば、二人はお付き合いをしている間柄だった。
もっとも、他人は二人の関係をお付き合いとは決して呼ばないだろう。その関係は、端から見たら少し通常とはかけ離れていた。
「……あ、あのっ阿部君」
ふっと振り向くと、三橋が立っていた。三橋とはクラスが離れているので、昼休みはいつも三橋が1年7組までやって来る。そこで知らない生徒の視線を浴びて、警察の前に
突き出された変態のごとく挙動不審になって、高校生とは思えない半泣き顔で助けを求めてくる。
「ゴハン、持ってきたから」
「から?」
ここで三橋の口からはどうやっても『一緒に食べよう、一緒に食べたい』の類の言葉が 出てこない。いつも真っ赤になってドモり、いつまでたっても本題に入れない。それでも最近は30秒ぐらいで『食べよう』まで頑張れるようになっていたのに、今日は出会った頃に戻ったかのようにその場にしゃがみこんで俯くばかりだった。
花井の同情に似た視線が痛い。それに軽く肩を竦めて応じ、めそめそ泣いている三橋の頭を軽く撫で、屋上へ行こうと誘った。窓の外は雲一つない快晴で、空は作り物みたいに青色しかなかった。
屋上には、誰もいなかった。それもそのはず、屋上は常に風雨に晒されているため床がひどく汚れている。こういう晴れた日に外の空気を浴びながら食事をしたいときには、皆外に面した渡り廊下を使う。誰が一番最初にやりはじめたのかは知らないが、お昼時にはきちんとビニールシートが敷かれるからだ。
それでも阿部は屋上を選んだ。理由は単純で、人見知りをする三橋のためだ。野球部のチームメートには慣れてきたようだが、それでもまだまだ他人がいると鬱陶しいドモリが三割増しになるので、聞いていても少々つらい。それなら手っとり早く、二人きりの場に持ち込んだほうがずっといい。
三橋は肩から下げていたカバンを下ろし、幼稚園時代の思い出の品なのか、端っこに
大きく『みはしれん』と書いてある恒例のレジャーシートを広げた。阿部は上履きを脱ぎ、黙ってそこに腰を下ろした。……一度準備を手伝おうと申し出たらなぜか泣かれて、それ以来手伝いはしないことに決めている。
三橋も阿部の前に座り、ぱたぱたと手際悪く、弁当を広げた。弁当といっても、手作りなんて可愛いものじゃない。それでも、一生懸命に飽きさせないよう献立を考えて弁当を買ってくる、その配慮はやっぱり嬉しかった。
「お、お茶は手作りだから」
中身は麦茶だった。水筒と紙コップを二個用意する。
毎日毎日よくもまあ経済的に破綻しないものだなあと思うが、彼の祖父は学校を経営
する富豪で、そう考えると納得できた。
手際が悪いから、支度の完了も必然的に遅くなる。それでも満足そうに笑ってみせる、その笑顔は可愛かった。阿部はぱちんと手を合わせていただきますをした。三橋もそれに倣う。
「うん、やっぱりここの弁当は美味いな」
「そうっそうだね。オレも好き」
「この漬物も塩加減が絶妙だな。あ、悪い、お茶もらうぞ」
「あぅご、ごめ」
この場合の謝罪は多分『気がきかなくてごめんなさい』だろう。別に謝らなくてもいいのに、三橋はとりあえず謝罪を口にする。それは、中学三年間をチームメートに呪われてきた彼に染みついた負の反射だ。その三年間、約1000日ちょっとの間に三橋の自尊心や自信は完璧に打ち砕かれてしまい、それがこの結果というわけだ。
「……にしても、今日はひどいな。何かあったのか?」
三橋が下を向いてしまう。三橋が露骨に視線を逸らすときは大体なんらかの隠し事を
している証拠だ。
「なん、なんにもない……よ」
「じゃあこっち向け」
「ああぅえっ、えとそれは」
「三橋」
「………」
じっと真剣に見つめれば、視線が肌を焦がすのを、三橋は敏感に感じ取る。極度の人見知りのせいか、自分に集まる他人の視線を放っておけないのだろう。三橋は観念したのか顔を上げたが、やっぱり泣いていた。ぼろぼろ泣いていた。なんて弱い涙腺だ、これじゃまるでこっちが悪人みたいじゃないか! 不満を隠し、それでも努めて優しい表情を浮かべてやると、少しだけ緊張が緩むのがわかる。
「何かあったのか。説明してみろ」
「ぅ、あっと……えと、その、だから、ぁ、う……その、阿部君が、す、好きな、好きだっていう子にオレみたいな奴は相応しくないって、だから、そのっ……えっぐ、うぐ、う、うわぁぁぁぁぁ!」
大体において三橋の性格を気にしないつもりではあるが、これは本気でイラッときた。
ガッ、と、遠慮なく三橋の胸倉をつかみ、思い切り怒鳴りつけた。
「オレはお前に何回好きだって言った、答えろ! なんでオレの言葉を信じられないんだよ。言っただろ、オレは首を横に振る奴は大嫌いだって。お前は何回オレの気持ちとか信頼とかを否定すれば気がすむんだよ!」
「や、やぁ……ごめっ、ごめんなさ、ごめんなさい! ごめんなさい、やだ、阿部君、阿部君、オレ阿部君好き、す、すき……っ! うわあああああ、阿部君、阿部君んんん」
これまた大声でびえーんと泣き喚く三橋。鬱陶しい、なんでこんな奴を相手にしてるんだろうとちょっと疑問に思ってしまう。こんだけ愛してやってんのに、なんで愛されてる自覚が生まれないんだろうか。愛された記憶がないワケじゃないだろうに。
阿部はギャン泣きしている三橋のマメだらけの片手を無理やり引っ張ってきて、ぐいとつかんだ。痛みに意識が手のひらに向かうその瞬間、小指と小指を絡めて子供のように
ゆびきりをする。
「ウザいから泣くなよっ、怒ってないのわかってんだろっ」
「ひっく、ひっく、……でも、阿部君、やぁ、阿部君、オレを」
「見捨ててほしいんだったら、そうやっていつまでも泣いてろよ」
「!!」
その言葉に三橋は学ランの袖でぐいぐいと顔を拭いた。擦りすぎて顔が真っ赤になってしまっている。慌てすぎてお手拭き用に持ってきたウェットティッシュで鼻をかみ、そのせいで周囲にはアルコールの匂いがした。
まだまだちょっと突っ付いただけで泣きはじめそうだが、一応は泣き止んで、三橋は
阿部を見つめた。
「あべくん」
まだ微妙にしゃくりあげているが、表面上は落ち着いている。頃合いを見計らって、
阿部はつながったままの小指を振ってみせた。
「それじゃ、一個約束をしようか」
赤ん坊みたいに泣きながら、三橋はオレにそう言った。
ドモリ、キョドリ、根暗、卑屈、泣き虫、ビビリ、他人と目を合わせられない、筋金入りの 負け犬根性、彼氏にしたくないタイプぶっちぎり堂々一位。
西浦高校野球部のエースの説明は、それで十分。三橋廉はそういう男だ。
彼の相棒である阿部隆也の個人的価値観で述べさせてもらえば、性格はともかくとして努力を怠らず、常に勤勉で頑張っている三橋は、嫌いではなかった。むしろ好きの部類に入る。
もっと言えば、阿部隆也は三橋廉が好きだった。
ノーマルの世界で言うならば、二人はお付き合いをしている間柄だった。
もっとも、他人は二人の関係をお付き合いとは決して呼ばないだろう。その関係は、端から見たら少し通常とはかけ離れていた。
「……あ、あのっ阿部君」
ふっと振り向くと、三橋が立っていた。三橋とはクラスが離れているので、昼休みはいつも三橋が1年7組までやって来る。そこで知らない生徒の視線を浴びて、警察の前に
突き出された変態のごとく挙動不審になって、高校生とは思えない半泣き顔で助けを求めてくる。
「ゴハン、持ってきたから」
「から?」
ここで三橋の口からはどうやっても『一緒に食べよう、一緒に食べたい』の類の言葉が 出てこない。いつも真っ赤になってドモり、いつまでたっても本題に入れない。それでも最近は30秒ぐらいで『食べよう』まで頑張れるようになっていたのに、今日は出会った頃に戻ったかのようにその場にしゃがみこんで俯くばかりだった。
花井の同情に似た視線が痛い。それに軽く肩を竦めて応じ、めそめそ泣いている三橋の頭を軽く撫で、屋上へ行こうと誘った。窓の外は雲一つない快晴で、空は作り物みたいに青色しかなかった。
屋上には、誰もいなかった。それもそのはず、屋上は常に風雨に晒されているため床がひどく汚れている。こういう晴れた日に外の空気を浴びながら食事をしたいときには、皆外に面した渡り廊下を使う。誰が一番最初にやりはじめたのかは知らないが、お昼時にはきちんとビニールシートが敷かれるからだ。
それでも阿部は屋上を選んだ。理由は単純で、人見知りをする三橋のためだ。野球部のチームメートには慣れてきたようだが、それでもまだまだ他人がいると鬱陶しいドモリが三割増しになるので、聞いていても少々つらい。それなら手っとり早く、二人きりの場に持ち込んだほうがずっといい。
三橋は肩から下げていたカバンを下ろし、幼稚園時代の思い出の品なのか、端っこに
大きく『みはしれん』と書いてある恒例のレジャーシートを広げた。阿部は上履きを脱ぎ、黙ってそこに腰を下ろした。……一度準備を手伝おうと申し出たらなぜか泣かれて、それ以来手伝いはしないことに決めている。
三橋も阿部の前に座り、ぱたぱたと手際悪く、弁当を広げた。弁当といっても、手作りなんて可愛いものじゃない。それでも、一生懸命に飽きさせないよう献立を考えて弁当を買ってくる、その配慮はやっぱり嬉しかった。
「お、お茶は手作りだから」
中身は麦茶だった。水筒と紙コップを二個用意する。
毎日毎日よくもまあ経済的に破綻しないものだなあと思うが、彼の祖父は学校を経営
する富豪で、そう考えると納得できた。
手際が悪いから、支度の完了も必然的に遅くなる。それでも満足そうに笑ってみせる、その笑顔は可愛かった。阿部はぱちんと手を合わせていただきますをした。三橋もそれに倣う。
「うん、やっぱりここの弁当は美味いな」
「そうっそうだね。オレも好き」
「この漬物も塩加減が絶妙だな。あ、悪い、お茶もらうぞ」
「あぅご、ごめ」
この場合の謝罪は多分『気がきかなくてごめんなさい』だろう。別に謝らなくてもいいのに、三橋はとりあえず謝罪を口にする。それは、中学三年間をチームメートに呪われてきた彼に染みついた負の反射だ。その三年間、約1000日ちょっとの間に三橋の自尊心や自信は完璧に打ち砕かれてしまい、それがこの結果というわけだ。
「……にしても、今日はひどいな。何かあったのか?」
三橋が下を向いてしまう。三橋が露骨に視線を逸らすときは大体なんらかの隠し事を
している証拠だ。
「なん、なんにもない……よ」
「じゃあこっち向け」
「ああぅえっ、えとそれは」
「三橋」
「………」
じっと真剣に見つめれば、視線が肌を焦がすのを、三橋は敏感に感じ取る。極度の人見知りのせいか、自分に集まる他人の視線を放っておけないのだろう。三橋は観念したのか顔を上げたが、やっぱり泣いていた。ぼろぼろ泣いていた。なんて弱い涙腺だ、これじゃまるでこっちが悪人みたいじゃないか! 不満を隠し、それでも努めて優しい表情を浮かべてやると、少しだけ緊張が緩むのがわかる。
「何かあったのか。説明してみろ」
「ぅ、あっと……えと、その、だから、ぁ、う……その、阿部君が、す、好きな、好きだっていう子にオレみたいな奴は相応しくないって、だから、そのっ……えっぐ、うぐ、う、うわぁぁぁぁぁ!」
大体において三橋の性格を気にしないつもりではあるが、これは本気でイラッときた。
ガッ、と、遠慮なく三橋の胸倉をつかみ、思い切り怒鳴りつけた。
「オレはお前に何回好きだって言った、答えろ! なんでオレの言葉を信じられないんだよ。言っただろ、オレは首を横に振る奴は大嫌いだって。お前は何回オレの気持ちとか信頼とかを否定すれば気がすむんだよ!」
「や、やぁ……ごめっ、ごめんなさ、ごめんなさい! ごめんなさい、やだ、阿部君、阿部君、オレ阿部君好き、す、すき……っ! うわあああああ、阿部君、阿部君んんん」
これまた大声でびえーんと泣き喚く三橋。鬱陶しい、なんでこんな奴を相手にしてるんだろうとちょっと疑問に思ってしまう。こんだけ愛してやってんのに、なんで愛されてる自覚が生まれないんだろうか。愛された記憶がないワケじゃないだろうに。
阿部はギャン泣きしている三橋のマメだらけの片手を無理やり引っ張ってきて、ぐいとつかんだ。痛みに意識が手のひらに向かうその瞬間、小指と小指を絡めて子供のように
ゆびきりをする。
「ウザいから泣くなよっ、怒ってないのわかってんだろっ」
「ひっく、ひっく、……でも、阿部君、やぁ、阿部君、オレを」
「見捨ててほしいんだったら、そうやっていつまでも泣いてろよ」
「!!」
その言葉に三橋は学ランの袖でぐいぐいと顔を拭いた。擦りすぎて顔が真っ赤になってしまっている。慌てすぎてお手拭き用に持ってきたウェットティッシュで鼻をかみ、そのせいで周囲にはアルコールの匂いがした。
まだまだちょっと突っ付いただけで泣きはじめそうだが、一応は泣き止んで、三橋は
阿部を見つめた。
「あべくん」
まだ微妙にしゃくりあげているが、表面上は落ち着いている。頃合いを見計らって、
阿部はつながったままの小指を振ってみせた。
「それじゃ、一個約束をしようか」