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心象風景

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               心象風景






早送りの映像で雲の動きを見ているように、暗雲たちこめていた天井がびゅうびゅうと渦を巻き、ぐるぐるとほぐれ、中心から青が広がって晴れわたる。
彼と俺を真ん中に、雨はざっと退いていき、光がそそぐ。
鐘の音すら、聞こえた気がした。

現実には、彼の肩は傘からはみ出して黒く濡れ、湿度に曇った眼鏡のレンズ越しにその瞳はうかがえず、俺の心臓はうるさく、抱きしめたい衝動はそのまま足を竦ませて凍り付いていた。
話したいこと聞きたいことがたくさんあったはずなのに、喉がひりついてろくに言葉にならない。
ただ突っ立っている俺を、彼が、下から覗き込む。
「忘れちゃった?」
忘れてない、忘れるはずもない、忘れられるわけがない。
毎日毎日毎日、あなたのことを。
「いえ」
雨は現実で。
冷たさも寒さも現実で、彼の声は10年ぶりなのに、すっと耳の奥、体の奥まで沁みていく。
このままではあふれてしまう。

「背ぇ伸びたなぁ、お前」

傘を持っていない方の手が伸びて、俺の傷んだ髪に触れる。
幻覚なら何度も見た。
記憶の反芻を何度もした。
でもこれは、この手は。
現実が追いつく、追い越す。
彼の顔がよく見えないのは逆光のせいだと思ったけれど、違った、晴れ渡っているのは空じゃなかった。
こんなに眩しくて、目をそらしたくなるのに、彼の声が名前を呼ぶ、雨音にかき消されずに届く、「静雄?」
ああ。
抱きしめるか、それとも跪いてしまいたい。
勝手に動こうとする手をぐっと握りしめて体の横にくっつける。

「先輩」
かろうじて絞り出した声が、我ながら小さく情けなくみっともなくて、俺は俯く。
「ん?」
「あの、俺」
「傘、持ってくれる?」
「へ」
「俺んち、近くだから」
「え」

傘をぐい、と押し付けられて、反射的に握る。
戸惑っているうちに、彼が歩き出す。その後を慌てて追いかける。

「濡れますって、先輩!」
「お前が隣を歩いてくれれば問題ないし」
「でもあの、俺」
「あー。用事あった?」
「いや、ないですけど」
「俺と歩くの嫌?」
「っんなことないですっ」
「そ、よかった」
「せ、先輩の方こそ、俺なんかと、歩いてて」
「なんかって言い方嫌い。つうか声かけたの俺だし」
ようやく隣に並ぶ。彼の歩調は少しだけ落ちた。
「ほれ、ちゃんと真上に差して、傘。お前殆ど入ってねぇじゃん」

傾けていた傘をぐい、と戻される。
ああ、彼が今、隣にいて、喋って、動いている。
それだけのことにすごく感動している。
感動している自分に驚いている。

「静雄、飯食った?」
「いえ」
「おとなしいなー。緊張してんの?」
「少し」
「ぷは。なんだそりゃ」

緊張なんて、するに決まってる。
こんな、一瞬で戻される、あの頃名付けられなかった気持ちが、今も色褪せることなくはっきりと、ごまかせない衝動で、目の前に突き付けられる。
知ってたのに、知らなかった。
彼を忘れることなく、ただ好きでいられたさっきまでの自分が、どれだけ安穏としていたことか。
逃げ出したい、ぶん殴りたい、抱きしめたい、怖い、好きだ、怖い、怖い、怖い。

どうしよう、このひとが、すきだ。




作品名:心象風景 作家名:かなや