『交錯』
本当は憧れの対象になどならぬ、ただ戦うばかりのどうし様もなく馬鹿な俺など追わず、兄弟達と共に安らかな場所に留まっていてくれ。俺の傍らなどでなくこの場所−…美しい世界にいて欲しい。俺は戦うことは出来る。だからその場を守る為なら俺は何にでもなれる、“大丈夫”だから。
兄弟達を少しでも安全な場所へ、お前を緑と花の中へ留め置くこと。それらと雷が言ってくれた言葉、彼のただ真直ぐな底無しの愛情。
片方は果てない闇。いずれ必ず辿り着く、目を逸らしても嫌がったとしても回避できない、間近に迫る場所……暗く深い洞。それが己の逃れられない宿命。
後者はただ眩しい見上げる遠い光。
こうして俺の思いと雷の言葉は交錯する。だが行き着く果ては真逆にあり決して相合うものでない。
−…相合わぬなら考えられる最善の道を選ぼうと思う。俺がせめて何にも代えられない兄弟達、彼に出来ること。これは何人がどれだけ言っても譲れない路だった。
雷が俺に向ける思いは下らないものでも不要な思いでもない。
望む、求める、欲しい。……欲しくて仕方ない。本当は心底飢えている。だが受け入れると慣れ、慣れると彼らを守る為の両刃を振るえなくなる。
雷が掛けてくれる言葉、俺への無償の思い。
切り捨てよう……そうしなければならない。
迷い……迷いを持ってはいけなかった。刃の中で形無きやわらかい何かが、また一つ音も立てず壊れる。漠然としたその感覚がひどく刃には辛かったが、その心すら彼は殺す。
「ありがとう……雷。」
そう言って立ち上がる。何故か無性に手を握りたくなり肌色の違う片手を捕まえた。
「……!」
一瞬で全ての意味を理解したのだろう。雷は目を見開いた。
「言ってくれてありがとう。だから……俺は」
この世界の主の手に唇を落とす。
「戦える」
ゆっくりと手を離し刃は呟いた。細糸の如く交錯しかけた思いは、再び絡まることなく元に戻る。
「違う……!待って下さい……!」
雷の側を抜け、振り返らず刃は緑の中を立ち去った。
追ったとしても刃の心に辿り着くのではない。
がくりと項垂れた雷は、地の草と花を掴んだ。
こんな物など……彼の本当の役に立てないのなら消えてしまえ。力になれない。せめてと思い続けていた本心ですらこうして躱され。
月並みな兄弟、性欲の解消道具……それしか出来ていない。彼の位置に並ぶことが出来ない。近いのに遠い。最も大切な人に必要な肝心なことすら出来ない。
いっそこの身−…
気分は……最悪だ。
部屋を抜け長い廊下を早足で歩く。すれ違った研究員達は皆、暗い刃の表情にぎょっとし道を開けた。
己の意思で振り切り、思いを断ち切りこうして部屋を出た筈なのに考えまいとしても心の中を鬱々とした思いが蛇の様に絡み付き、一時も離れることがない。未練たらしくいつまでも心に残すなと思いながらもまた一つ失った心中の暖かい場所から代わりに首をもたげ湧き出す黒い冷たい思い。
−…これで。何度目になるのだろう。
彼の思いを躱し与えられる愛情を受け止めず嘘をつき続け。
雷は。刃の抱える思いには厳しく激情だが、深くどこまでも……恐らくその身に害が降りかかったとしても構わずに向き合おうとしていた。だから言ったのだろう、一人の弟として、言えない深い関係を持った者として“共に戦う”と。刃の負を共に担い背負って行こうとしたのだろう。その真直ぐさがただ痛く、向けられた透明な思いが刃には辛かった。
ふと我に返ると真黒の服に何かが付いている。
「……」
薄色の花弁だった。青臭い香りは雷に促され緑の若芽の上に座った際服に染み付いたものだろう。
−…戻りたい。
心底思う。
心静まる緑の中へ甘い花の香の中へ。そしてその世界に留まる者の元へ。だが戻れない。戻る訳にはいかない。最も側にいる者。いつも刃が後回しにしている僅かに触れ合った互いの心の奥底。
刃がいずれ行き着く場所、彼の言葉と思い。
この身この心、この魂がどうなっても。
−…兄弟を安らかな場所へ、彼を彼の世界へ。己の身を戦いの世界へ。
今一度風がさっと吹き、そして止んだ。
鮮やかな緑花吹雪舞う中、顔を伏せたまま雷はただ思う。いつかきっと必ずと。あの人の為ならこの身この心魂ごとどうなろうと−…
作られた空間作られた緑の中作られた人造人間。
この身も造られた、この心も造られたものだとしてもアナタへの心は真。そう思いたい。
終