『交錯』
−…この髪と目と顔、肌の色。自分だけ異なる姿をどうしてか製造者はお与えになった。
それを彼はいとおしいと。この体を望んでくれるけれど。
役に立たぬ花など燃えてしまえば良い。真の役に立てないのなら髪も目も顔もズタズタになってしまえば良い。
(絶対にこの人は首を縦に振らないだろうが。)
万一彼が共にと手を差し出すのなら喜んで付いて行く。己の身が耐え切れず直ぐに駄目になろうとも。彼が自分をこの場などに閉まって置こうとするから、余計にその思いは募る。
(一番分かっているでしょうに、アナタが。アナタ達兄弟の中で僕が一番、タフな性格をしていることくらい。)なのに彼はここに留まれと言う。
役にも立たなかった。彼の足しにならないものなど自分にとっては全て下らない。緑と花。口惜しい、何故……この人のために何も出来ないのだろう。何故この人に近付けないのだろう。
「……分かっています。気休めだと。アナタにはその役にすらならなかったけど。でもここに連れて来た。」
アナタだから知って欲しい。
「心落ち着けることは悪いことではない、穏やかな場所に留まることを罪と思わないで欲しい。第一、いつもアナタだけ……」
「?」
「ねえ、兄さん」
「誰も言わないけれど。炎さんはいつもアナタを心配している。紅さんは充分立派な戦士じゃないですか。−…剛くんはしたたかで強い。」
「……」
「……少し僕達を頼って下さい。」
「何を言っている?」
安らぎの場へ心を預ける。身の危機を他の者達に担わせてしまうこと。それを避け続け、これからもそうしようとする己の内心を抉られる様に見透かされ、刃は戸惑い反射的に強く言い返した。
そんな刃の表情を見、雷は辛そうに息をつく。
「……アナタを見ると自分が嫌になる。」
心の強靭さ兄弟達への気遣い。同じ方から造られたのにアナタには何一つも敵わなくて。
追っても追ってもアナタは遠い。穏やかで優しいのだけれど。“大丈夫”の言葉で本心をいつもはぐらかされる。
己のこの姿だって、彼が気に入ってくれたから良かった。あの製造者のことだから何らかの御考えがあるのだろうし、他兄弟に自分の弱みを感付かせる気は毛頭無いが、窓ガラスや鏡を見たら嫌でも映るこの姿、黄褐色黒髪黒目の肌髪の彼ら四人と別物に造られたこの姿……疎外感。それでも彼の気に入りとなったのは嬉しいことだった。でも本当の役に立てないなら意味は無い。この身が彼の性的処理の手段になるならそれは良いが本当は−…
彼に惹かれ全て。この人以外のものは全てどうなってしまっても良いとすら思う様になってから。彼を知りたくて知ろうとして、知った彼の気質はほぼ悲しさや寂しさ、あるいは激しさをはらんだものだった。
彼を知るにつれ自分は笑わなくなった。元から投げ遣りな性格も更に冷めたものとなったのかもしれない。でもそれで良い。彼に関わることでそうなったのならむしろ、彼の負の面を知らぬままのうのうと生き続けていたかもしれない。それよりずっと本望だ。
彼の優しさは裏を返せば、彼が己に生きる道に何人も近付かせまいと本能的に兼ね備えていた回避手段にも見えた。彼の個人的嗜好を利用して関係を持っても、彼の絶望的な……こちらの身が凍り付きそうな寂寥感は全てはすくい取ることが出来なかった。
彼は近くにいる。でも手が届かない。
彼は愛してくれる。でも何人も彼の世界に立ち入らせようとしない。
「−…今だって僕は所詮こうして気を紛らわすことくらいしか出来なかった。−…あのね兄さん。」
「何だ。」
「アナタは嫌がるかもしれませんけど、僕はアナタ……アナタが自分を顧みるようにして欲しいと思ってます……思い続けてます。」
届かぬ手が口惜しい、ただ彼を思うだけしか出来ない己が不甲斐ない。
「アナタが後少しでも楽になれるなら−…僕は何でもしますよ。」
己の矢よ彼が倒すべき敵を一人残らず射殺せ、弓よ血色になれ。倒した者の念や恨みは己の身に積もり重なれば良い。
全てただこの身はこの人の代わりに。
「僕の……表面だけの髪も顔もどうでも良い。」
「何を言って……」
分かっている。アナタには何一つ敵っていない、追いついていないことを。
「今は全然駄目ですけど、いつか絶対……」
あの耐えられぬ程真直ぐな眼差しが刃を見据える。
「兄さん」
その視線に心射抜かれ、また奥底まで思惑を見透かされそうな思いに囚われ、刃はたじろいた。
「背後でなく傍らで戦いたい。」
風は吹く、命を先急ぐかの様に鮮やかな緑は枝より離れ落ち、薄色の花弁と共に雷の周りを舞った。 緑と花、その世界の主は刃が守らなければならないものだが、この光景に脆弱さはなかった。今刃を見る雷は変わらず美しいが、視線に強さがあった。
この弟はこんなだっただろうかと刃は思う。
ともすれば性的な意味で思い、また扱っているこの美貌の者を。
−…戦士としては正直、未熟な面もまだまだあると思っていた。非常に冷めシビアな一面を表面化し、無意識に弟らしさを覆い隠しているこの弟。だが己のことになると途端、隙だらけになる直情なこの者が。
ここまで言い切ったのは自惚れではなく−…自らの為だ。
そして刃は思った。
雷が俺の傍らで戦う……“共闘”、それは彼がいつも差し伸べてくれる手を握り、こうして掛けてくれる言葉、無償で向けてくれる思いに甘えること。
手放しで己に愛情を向けるこの者に縋ることが出来るなら、どれ程楽になれるだろうか。また、自らが差し出した手なら全てを捨て雷は付いて来るだろう。だが兄弟に同じ道を辿らせる訳にはいかない。この血の付いた己の手を取った瞬間、雷は自分と同じになってしまう。
“傍らで戦う”と言い切った彼。
俺など取るに足らない存在なのに。刃のことを知ろうと距離を縮めようとする雷の鋭さや思いに胸を衝かれながら、それでもこれ以上己に関わらせる訳にはいかないと思い……今まで。数え切れぬ程彼の言葉を躱し、はぐらかし、丸め込んで来た。
どの者よりも深く自分を思い続けている彼に。
どの者より深く関わりを持っている男に。
言葉を掛け愛したが、本心を告げこの内面をさらしたことはどれだけしかなかっただろうか。
自分の本心、奥底の内面を彼に見せるのが恐い思いもある。彼を愛しいと思い、近くに置いておきたいと思う時にその思いは大きくなっていった。
刃は思い出していた。
−…確かそれ程昔ではなかった。雷が僕の外貌に対してアナタは夢を見過ぎてますよと、おかしそうに、少し困った様に笑っていた。
−…その姿になら騙されたとしても一種の心地良さを抱くだろうし、せめて醜い世界に生きるのだからお前に夢を抱いても良いではないかと反駁したが。
−…お前も夢を見て……見過ぎているじゃないか。そう刃は思う。第一俺はお前が全てを捨て去り慕われる程憧れとなる対象でも、魅力のある素晴らしい兄ではない。
傍らにいると言ってくれた。だがその場所での俺は汚く姑息で冷酷だ。それが雷に筒抜けになってしまう。だから恐い、彼に内面をさらすことが。彼のただ真直ぐな思いを受け止めることが。
受け入れると慣れてしまう。慣れたら求め続けてしまう。ならば己は自らの生きる場所で兄弟を守り、彼を愛そうと思う。