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愛してほしかった

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 湿った空気。それを震わせるのは厭らしい音。たまらないと漏れる声。この場を構成する全てが全て気持ち悪い。
 カッターシャツを着た男の下にいるのはかの有名な情報屋。折原臨也である。男同士の行為。初めて見た者は無理矢理されているのかと思うかもしればいが、まぎれもなくこの行為は臨也から唆し有した事態である。

 (人を呼んでおいてヤってるなんて最低だなこの人……)

 臨也の自室の扉を閉めようとした時、赤い両目と視線がカチあった。
 ああ、嫌になる。本当嫌になる。あの人は僕に向かって笑みを向けた。分かっていてやっているんだ。本当に性格が悪い人。そんな事はもうとっくに知っていたけど。それでも性格の悪い人。それなのにたくさんの人に好かれている。あの人は男なのに……あの人が股を開けば喜んで腰を振る男がいる。あの人は人に憎まれていると言われながらも、たくさんの人に愛されているのだ。たくさんの人間を無差別に愛して、たくさんの人間に愛される。僕は、そんな風にはなりたくない。
 階段を降りてソファーに座ってテレビをつける。対した番組はやっていないけど何も見ずに行為が終わるのを待つよりはマシだろう。チャンネルを無作為に変える。見たくもないバラエティーに変えてソファーに身体を沈めた。
 いつもこうなのだ。折原臨也が僕を呼ぶとき必ず行為を匂わせる。それでも、今まではシャワーから上がったあの人だとか、行為を終えて変える男とエレベーターですれ違ったりだとか、生臭い匂いを放つ白い液体を見せられたりだとか、その程度だった。こんな風に行為を見せ付けられたのは初めてだった。熱いと言わんばかりに跳ね除けられた白いシーツ。衣服を身に纏わない臨也さんの中に埋まる男のグロテスクな部分。聞いたことのない甘ったれた男の人にしては少し高い声を上げる。思い出せば視界がチカチカした。視界が滲む。

「あれ……」

 手の甲で拭えば涙だった。泣く時特有の嗚咽も上がってこなかった。泣きたいと特別望んだわけでもなかった。勝手に涙が溢れてくる。どれだけ拭っても止まらない。鞄に突っ込んだハンカチを取り出して目元に押し当てた。
 なんで泣いてるんだろう。なんのために泣いてるんだろう。泣くってなんなんだ! 泣いたところで、折原臨也の心が僕に向かないなんて分かっていたことじゃないか。自覚すると余計に悲しくなった。チャンネルを掴んで音量を上げる。何も聞こえないように。
 僕はあの人が好きだ。その他大勢と同じようにあの人が好きだった。もしあの人が僕を他の信者の子と同じように愛してくれていたのなら僕はあの人の信者となって駒として動いていたかもしれない。でも、それが僕に許されることはなかった。あの人は飴とムチで言えばいつもムチしか与えない。いつかなんでこんなと聞いたことがあった。

「君、メアドを交換した次の日に俺に好きだなんて送ってきただろう。だからだよ」

 言ってる意味がよく分からなかった。確かに僕はあの人に告白をしたけれど本当にそれが原因なんだろうか……そうやってもっと早く言ってくれれば良かったのに。一目ぼれだった僕の恋心は膨れあがってあんな言葉を貰ったくらいじゃ消せないものに変わっていた。だから僕はあの人から離れられない。馬鹿みたいだ。みたいだじゃない。馬鹿だ。ただの馬鹿だ。それでも愛してる。愛したって意味のない人を愛してる。そもそも人を愛するとはどういった事なんだろう。愛されるために誰かを愛しているのだろうか? それとも誰かを愛している自分に酔うために愛しているんだろうか。僕はどちらなんだろう。
 膝に頭を埋める。愛されてみたい……
 そう思った。でも、愛されたいと望んでみたところで他人の気持ちを変えることなんて不可能だ。自分以外に思い通りになる心なんてこの世には存在しない。だから、どれだけこんな風に僕が考えようとそんなのは全くもって無意味だ。
 歯を食いしばる。瞼をかたく瞑る。膝をかかえる腕に力を入れる。爪が食い込むほどに指先に力を入れる。自分を全身で許容する。そうじゃないと涙が止まりそうになかった。深呼吸する。たくさん息を吐いて、たくさん息を吸って、とめる。瞳を開けてみる。涙が止まった。
 ガタリと音がしてそちらを見るとズボンだけ履いた金髪の男の人が臨也の部屋から出てくるところだった。
 視線が固まる。身体も動かなくなる。動かすのを忘れる。
 なんであの人がこんな所に……こんな所にいるのはおかしくないのかもしれない。そうじゃない。なぜ、何も起こらない。いや、起こった、そうじゃない。貴方はあの人を憎んでいるんじゃなかったのか。
 思わず笑ってしまった。

「竜ヶ峰……」

 瞠目したあの人の声が聞こえた。動揺したその動作が白々しい。どうせなら、僕を指さして嘲笑でもすればいいのに。
 なんだか心という箱の中身をグチャグチャにかき混ぜられた気分だった。誰かの手によって自身の1番大切なところを乱される。そんな感覚。悔しいでも、悲しいでも、腹立たしいでもない。言葉で表せない。ただ、騙されたと思った。嘘をつかれたと思った。笑いだけがこみ上げてきた。大きな声を出して。ははは。と笑う。

「こんばんは、静雄さん」

 そう告げてまた笑う。腹を抱えて。いっそ狂ったように笑う。止まらない。静雄さんは僕を見て唖然としていた。大きな身体を持っているのに、まるで無力な小動物のようにソワソワとしている。僕を騙したという自覚があるのだろうか。僕を傷つけてしまったと思っているのだろうか。それとも自分のせいで僕が狂ってしまったとでも思っているのだろうか。そんなことを思うくらいなら臨也さんと関係を持たなければいいのに。でも、無理なんだ、そう思う。憎いのに愛してしまっているんだ。きっと。だからあんなに懸命に臨也さんを愛していた。静雄さんにとって僕は友人にもなれないただの知人にすぎない。
 たとえ、僕が、臨也さんを好きだと静雄さんに話したことがあったとしてもそんなことは全く関係ない。
 他人を信用しすぎた僕が負けなのだ。僕を慰めながらも臨也さんを手にしたあの人は正しい。愛に正しい。僕のように、絶対に愛されないと確定しているわけではないのだから。その行動は愛に忠実だ。

「竜ヶ峰……その……」

 階段の手すりを強く握った静雄さんがこちらまで降りてこようとゆっくりと足を踏み出した。笑うのをフッと止めた。笑いたい気分でもなくなった。腹の底が冷える感覚。こちらに来てほしくない。同情なんて真っ平ごめんだ。そう思えど僕はソファーから動くことができなかった。
 今日は俺の事務所にきてね。
 一方的にでも送られてきたメールの約束があるから。たかがそれだけのことが僕をここに縛りつける。

「はい、おーわり。静ちゃん部屋に戻って」

 突然真っ暗な部屋から服を一切見に纏っていない臨也さんが出てきて、静雄さんに抱きついた。

「臨也っ、お前なんで竜ヶ峰を呼んだんだ!」
「なんでだろうねー」

 声を荒げはするものの、手はあげない。そうか、人目で暴れるのはただの嫉妬の表れなのか。
 どんどん冷めていく。末端から徐々に体温が下がっていくようだった。なんとなく、自分の指先に触れてみた。冷たい。
作品名:愛してほしかった 作家名:mario