ほーわいとでー
それは、見たものが一瞬己の視力を疑ってしまいかねない光景だった。
「ハンガリーさん、よろしければこの後お食事などご一緒にいかがですか」
普段何事においても受け身がちな日本から発せられた言葉に、その場にいた全員が聴力すらも疑った。
当のハンガリーも、まさか会議を終えた後にまっすぐやってくるのが日本とは思わなかったらしく、碧色の目をぱちくりしている。一瞬硬直した議場の空気を読んだのか、日本が周囲を見渡ししまったと顔を引きつらせるが、時は既に遅し。
「ヴぇー!! どうしたの日本ー! 日本がナンパしてるなんて初めて見たよー!」
案の定、イタリアが興味津々を隠さずに飛び込んできた。
「いや、あの、そうじゃなくてですね、イタリア君」
「違うんですか?」
空気とイタリアの対処に困った日本が発した言葉に、ハンガリーが苦笑する。
「ええと、いやその、ホワイトデーが近いのでお返しをですね」
「……ほわいとでー?」
今度はハンガリーとイタリアの二人がそろって首をかしげる。
「西洋では習慣がないんでしたね、失礼しました。先月のバレンタインに日本式とおっしゃってチョコレートをいただきましたので、日本式にお返しをしようと思いまして」
なあんだと会場の空気が緩み、銘々帰り支度を始め出した。
向けられていた視線が外れた事に、日本はほっと一息つく。注目されるのは、得意ではない。しかし今度はハンガリーの顔が青ざめていた。
「そんな習慣があったんですか……。バレンタインデーは、いつもお世話になっているお礼のつもりだったんですよ?」
だからいいですと断ろうとするハンガリーに、日本はいつものように控え目な笑みを浮かべた。
「お気になさらずに。習慣ですから。ついでと言ってはなんですが、夏の打ち合わせもできればと思いましたので」
「ああ、でしたら、ご一緒させていただきます」
ふんわりと微笑むハンガリーに、自然空気もほわほわとしたものに変わっていく。二人をにこにこと見守っていたイタリアが、突然気がついたように声をあげた。
「ねー、日本ー。俺も一緒に行っていい? 俺もハンガリーさんとご飯食べたいよー」
「いいですけど、イタリア君はおごりませんよ」
「ええええっっ!!」
「想定外みたいにショック受けないで下さい。ウチだって財政が厳しいんですから」
「えー、でも日本って前に『円が無いなら刷ればいいんです』って言ってたよねー? いいよねー、俺もユーロ刷りた……ヴェエエエエエ!! ドイツ、ドイツー裸締めはやめてええええ!!!」
「おや、ドイツさん」
「あら、ドイツ」
イタリアのボケには突っ込まなければならない使命感でもあるのか、いつの間にかドイツが現れて裸締めをキメていた。
「ごめんー、ごめんよ、ドイツードイツー」
イタリアが泣きわめくので「まったく」と言いながらとりあえず解放したドイツに、日本がにっこりと微笑む。
「よかったらドイツさんもご一緒にどうですか?」
「……こういう経緯で結局四人で食事をすることになったんだ」
「どーゆー経緯だよ」
――次の日。
午前のお茶の時間。ドイツが思いだしたように彼の兄に一連の出来事を語ると、向かいのソファから呆れたような声が返ってきた。
「結局俺とイタリアも日本に奢ってもらってしまった。年度末だから予算がどうのと言っていたが、悪いことをした」
まとめて払っちゃいますよという日本を止められなかった事に、なんとなくドイツは申し訳なく思う。
たまには爺に奢らせてくださいという日本を考えると年齢的にはいいのだろうかと思ってしまうのだが、彼の外見と身長のせいか小さな違和感と罪悪感が頭から離れない。
「日本がいいっつってんだから、いいんだろ」
日本との付き合いが長い兄が言うと、そうなのかと思わなくもないのだが。
「それよりも、だ」
きらりとプロイセンの紅い瞳が光る。兄の珍しく真面目な表情に元々伸びているドイツの背筋が更に伸びる。
「俺が誘っても断るくせに、なんで日本だったらいいんだよ!」
「何の話だ兄さん!」
「ハンガリーのヤツだよ!」
ぐおおおおと頭を抱える兄の姿に、ああ……と瞬時にドイツの視線が生温かくなる。
ハンガリーが食事に付き合ってくれないのは兄さんだからじゃないのかとツッコむべきか、やめておくべきか悩んでいると何かに気がついたようにピタリと兄の動き止まった。
「……ヴェスト、そのほわいとでーってヤツはバレンタインに何か貰ったら返すって事でいいのか」
「? ……ああ、そうらしい。日本が言うには、三倍で返すという習慣もあるらしいが、そこは臨機応変だということだ」
「さ、さんばい……」
1ユーロがどうのと呟き出したプロイセンを、ドイツがやはり生温かい目で見ていると突然背後に人の気配を感じた。はじかれたように振り向くと、その気配の主の方が驚いたらしく「ひゃっ」というかわいい声が漏れ出る。
「……ハンガリー?」
「突然振り返るんだもの、驚くじゃない」
ふわふわの髪をふよふよ揺らして胸を抑えるのは、紛う方無くハンガリーその人だった。