HERO
子供の頃、憧れていたのは小さいけれど大きな背中。常にぼくの前を行くその背中は、ぼくの憧れだった……。
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こんな旅を続けていると思うのは、つくづく町の中は平和だと言う事だ。町から一度出てしまえば、いつ魔物が襲ってきてもおかしくはない。
町から町へと移動する手段は船以外はほぼ徒歩で、そんな旅人や商人達を狙う魔物は多い。だからこそ周囲の警戒は怠らずに進む必要がある。
だが、ここは火昌霊がいるらしい砂漠の土地。水昌霊ウンディーネと契約したために普通の人間よりはマシなのかもしれないが、いかんせん暑い。暑すぎる。ギラギラと照りつける太陽がいっそ憎らしいくらいだ。
そんな気候の中、周囲への警戒などできるはずもない。朝からずっと歩き通しで、体力面には自信のないキールはもうへとへとだった。
視界の隅に映るこのインフェリアとは別の土地からやってきたらしいセレスティア人の少女も暑さには弱いのか、何時もの奇怪な言動もなりを潜めていた。少女の肩に乗る青毛のふさふさした生き物も同様だ。
前を行く幼馴染二人はといえば、それほど参っているわけでもないらしい。二人して暑い暑いとぶつぶつ言っているのが微かに聞こえるが、キールは喋る気力すらない。勉強のしすぎのためか元からよくない姿勢を更に悪くして太陽から逃げるように身を縮こまらせていた。
それでもなんとか足だけは動かしていると、何かにぼすんと頭がぶつかる。太陽にじりじりと焼かれて熱そうな砂をぼーっと見つめたまま歩いていたために、前方不注意で何に当たったのかすらわからなかった。
顔を上げていくとそれは誰かの背中らしく、更に頭を動かせば視線がその背中の主のじと目とかち合った。
「……なんだよ……」
喋るのすら億劫なのに、一体何の用だと苛々して無意識に喧嘩腰になってしまう。
「お前、そのひらっひらしたの脱いじまえよ」
そのキールの苛々が伝わったのか眉間に皺を寄せた幼馴染のリッドが口を開くと人を指差して忌々しそうに言い放った。
「はぁ?」
いきなり何を言い出すんだこいつとばかりに渋面を作って声を上げた。そのキールの態度にまたも苛立ったらしいリッドが更に声を荒げる。
「お前のその暑っ苦しい格好見てるとこっちまで暑くなるんだよ! さっさと脱げ! 脱いじまえ!」
「……断る!」
「お前だってそんなもんずっと着てたって暑いだけだろうが」
確かにリッドの言うことはもっともだ。脱げば少しはこの暑さもマシになるかもしれない。
だが、キールにも譲れないものはある。
「これは由緒正しいミンツ大の制服なんだぞ。そう簡単に脱げるわけがないだろう!」
キールにとってミンツ大の一員である事は誇りだった。唯一取り柄の勉強を認められ、今では大学を卒業し学士として光昌霊学を学んでいる。その証がこの制服なのだ。
それを脱ぐのは……しかも昔キールの事を愚図だのろまだ臆病者だと蔑んでいたリッドに言われ、しかもその本人の目の前で脱ぐだなんて行為は自らのプライドを傷つける行為に他ならない。
これは唯一リッドよりも秀でている事の証明なのだ。だから脱ぎたくない。脱ぐわけにはいかない。
ここは引かないとばかりに少し目線の高いリッドを睨み付けると、一瞬の間の後リッドは溜息を吐きガリガリと頭を掻いた。
「……変な所で強情な奴だな」
「何とでも言え。ぼくは脱ぐ気なんかこれっぽっちもないからな!!」
「わかったよ。ったく、ぶっ倒れてもしらねえからな」
呆れたように溜息を吐き出したリッドは、これ以上言っても無駄だと思ったのかあっさりと折れた。
キールもフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。だから気づかなかった。リッドの表情の変化に。
ふいに腕を捕まれたキールは反射的に顔をリッドへ向けるが、リッドはそんなキールより更に後ろを見ているらしく、けれど振り返る前に物凄い力で引っ張られ、キールの身体は傾ぐ。そのまま焼かれた砂の上に転がされて、地肌がその砂に触れ思わず小さく声をあげた。
「いきなり何するんだ!!」
振り返って抗議しようとするが、瞬間目に飛び込んできたのはリッドがその場に膝をつく光景。
「リッド!?」
もう一人の幼馴染のファラの叫びにも似た声にはっとして慌てて立ち上がると少し遅れてリッドの元へと駈け寄った。
「リッド、大丈夫!?」
「バイバ!? リッド、足から血がでてるよ〜!」
「……これくらい、なんでもないっての……」
女性陣の心配そうな声に笑ってみせるリッドは無理をしているようにも思えた。
ふと、視界の端に赤いものが見えた気がしてリッドの足元を見る。先ほど襲われた魔物なのかその死骸がころりと転がっていた。
それは二つの鋏があり、腹部から長い尾部が伸び、尻尾の先には針がついていた。
所謂蠍と呼ばれるこの形状の魔物はここに来るまでに何度か見たが、赤色の蠍の魔物を実際に目にするのは初めてだ。砂漠の土地でしか生息していないのかもしれない。
……確かレオノア百科全書で似た魔物が載っていたのを見た事がある気がする。
この蠍がその魔物だとすれば……大変危険だった。
「ファラ、今すぐリッドに解毒功をかけてくれ」
「え?」
記憶が正しければこの赤蠍の魔物は恐らくスカーレットニードルだろう。この辺一体の魔物と比べ攻撃力が高く、針にある毒性は他の蠍に比べとても強い。刺されれば死に至る可能性もある。
「この魔物に刺された可能性がある。はやく解毒しないと危険かもしれない」
「わ、わかった」
キールの神妙な顔にファラが小さく息を呑んだままこくりと頷く。ほどなくしてリッドの身体が淡い光に包まれた。
「リッド、だいじょぶか?」
薄い紫のふわふわした髪を揺らしながら心配そうにリッドの顔を覗き見るセレスティア人のメルディは、その瞬間はっとした。
「バイバ! リッドが気絶してるな!!」
「嘘!?」
「……解毒は済んだはずだが……」
まさか毒素が抜けきっていないのかと考えを巡らそうとすると、それを遮る様にけたたましい音が鳴り響いた。
「こらーっ!! リッド! 起きなさーいっ!!」
気絶したリッドの頬目掛けてファラの振り上げた右手が又も音をたてて振り下ろされる。しかしリッドはそんなファラの一撃にも目を覚ますことはなく、そうして次の一手が再び繰り出されようとしてキールはそれを慌てて止めにはいった。
「ちょ、ちょっとファラ! そんな事をしたら残っているかもしれない毒が更に回るぞ!!」
「え?」
キールのその言葉に目を丸くしてこちらを見るファラは自分のした事をやっと理解してさぁっと顔を青ざめた。
「と、とりあえず、一旦町に引き返そう。リッドがこの状態じゃどうすることもできない」
「う、うん……。そだね……」
気絶したリッドの腕を肩に回しながらキールはよろけつつ立ち上がる。反対側を支えるようにファラも同様に立ち上がると、元来た道を歩き出した。メルディは周囲の警戒をしながら二人の後ろをついて歩く。
陽射しはそんな状況でもお構いなく照りつけ、容赦なく皆の体力を奪ってくる。急いで戻らなければ、この暑さでリッドの体力は更に奪われてしまうだろう。無意識に小さく舌打ちをしながらキールは歩を進め続けた。