HERO
幸いあれきり魔物と遭遇する事もなく、リッドを担いで一番近い町のシャンバールへと戻ってこれた。
今は宿屋の一室を借りて寝かせ、町医者に診てもらった後だ。幸いな事に命に別状はないということで、皆胸を撫で下ろした。
けれどリッドの意識は依然として戻らないままで、暫くの間は休養が必要だろう。
リッドがいつ起きてもいいようにこの一晩は交代で看ていようというファラの提案に否を申して、キールは自らリッドの看病役をかってでた。
……本来なら、このベッドに横たわっていたのは自分であったはずだった。
経緯がどうであれ周囲の警戒を怠った。それは自分のミスだ。あの状況でリッドが負傷したのはどう考えてもキールを庇ったせいに他ならない。
誰に何を言われようとも、その事実は変わらない。ならば庇われた本人であるキール自信が看るべきだと判断した。
……と、言うより、庇われた仮を作ったままでは嫌だった。
思えば、昔も似たようなことがあった。ラシュアンの森で遊んでいると魔物が襲ってきて、その時もリッドに守られキールは無傷、リッドは腕にかすり傷を作っていた事を思い出す。
そして今は命に別状はないとはいえ重症だ。
これでは、昔とまるで変わらない。
リッドやファラの陰に隠れて守られていただけの弱虫な過去の自分と何も変わらない。
昔も今もこの男の背中に庇われ守られている、その事実がどうしようもなく悔しかった。
……結局自分は、この男と並び立てる存在にはなれないのかもしれない。そう思ったらふいに目頭に熱いものが滲んできた。
泣き虫など当の昔に卒業したと思っていたのに、それすら昔と変わらないのかと更に情けなくなって袖で無造作にそれを拭った。
そうして何もできぬまま、ただ時間だけが過ぎていく。真夜中をすぎてもリッドは目を覚まさない。それでもただその場に座って、眠るリッドの顔をじっと眺めているとふいに小さく呻く声がリッドから漏れ出た。
反射的に立ち上がると、その勢いで傾いた椅子が小さくカタンと音を鳴らす。
「リッド……?」
覗き込むようにリッドの顔を見つめると、その顔が一瞬歪んだ後に瞼がゆっくりと押し上がった。
そしてその視線はキールとかち合った後、ふらふらと右へ左へと彷徨わせ再びキールを見据えた。
「ここは……?」
口を開いたリッドは掠れた声で問いかける。キールは一度安堵した溜息を吐き出すと、椅子に座りなおした。それをリッドの視線が追いかける。
「ここはシャンバールの宿屋だ。引き返してきた」
「何で……」
「……お前、覚えていないのか?」
「……あー……いや、魔物をぶっ倒した所までは覚えてるけど途中からさっぱり記憶が……」
思い出そうとしているように眉間に皺を寄せながら宙を見上げるリッドだが、気絶していたのだからその間の抜け落ちた記憶は戻るはずがない。キールは再び溜息を吐くと口を開いた。
「お前はスカーレットニードルの毒にやられて、今の今まで意識を失ってたんだ」
「……なるほど……」
抜け落ちた記憶に合点がいったようで納得したように呟いたリッドはそれきり何も言わない。そんなリッドを見ていたら、何故か無性に苛々した。
「……何故、何も言わない?」
高まりそうな感情を必死で抑えるように拳を握り締め、奮える声でそう漏らす。リッドはそんなキールに疑問符を投げかけるが、それもまたキールを刺激した。
「お前が負傷したのはぼくのせいだろう。注意散漫だったと怒ればいいじゃないか」
自分のせいだと自覚しているのに、それについて誰も何も言わない。一番の被害を被った本人ですらキールを責めない。それがなんだか無性に腹立たしかった。
「……キール、お前怪我は?」
「……お蔭様で、この通り傷一つないさ」
「だったら、それでいいんだよ」
何がそれでいいのか少しもわからない。不満を隠しもせずにリッドをじと目で睨みつける。そのキールの表情にリッドは肩を竦めると、上半身を起き上がらせた。
「大体、あれはオレも悪いだろ。お前だけのせいじゃねえよ」
「しかし……」
「オレがいいって言ってんだからいいんだよ」
尚も言い募ろうとするキールの言葉を遮るように、この話は終わりだとばかりに言い放つリッド。それにキールは何か既視感のようなものを感じたが、それが何かはっきりとわかる前にリッドは一つ大欠伸をした後再びベッドへと身体を沈ませた。
そうして一言
「寝る」
とだけ短く言い、キールに背を向け手をひらひらふると、ほどなくしてリッドの鼾が聞こえてきた。
相変わらず寝つきのいいやつだと呆気にとられながらしばしリッドの背中を見つめていると、そういえば、と思い出す。
そう、それは先ほどの事とよく似ていた。
昔、キールを庇ってリッドがかすり傷を負った時の話しだ。
当時のぼくは泣きじゃくりながら
『ごめん、ごめんリッド……』
と、謝り続けていた。
そんなぼくに向かってリッドはさっきと同じように言い放ったのだ。
『オレが好きでそうしたんだ。だから、いいっていったらいいんだよ』
と。
泣くのをやめ、ごめんの代わりに『ありがとう』と一言告げると、そんなキールに照れくさそうにリッドは背を向けた。その背中は子供ながらにとても大きく見えたのを覚えている。
……その日から、キールにとってリッドは憧れの存在になった。
その後も相変わらずからかわれていたけれど、その思いは全く変わる事はなかった。
だけど。
「今は……」
どうなんだろう。よくわからない、複雑な気持ちだ。
リッドの事は苦手だ。けれど、もちろん嫌いなわけではない。
一緒にいると忘れていた自分自身のコンプレックスを刺激され、昔の苦い気持ちも一緒になって思い出されて、それがどうにもたまらなく惨めな気持ちにさせる。
……それでも。
やはり、憧れの気持ちは消えてはいないのかもしれない。
どうしたら、この背中に追いつけるのだろう。手を伸ばしてみても、届く気がしない。
触れられるほど近くにいるはずなのに、昔も今もとても遠い。
英雄に憧れる子供のように、陰に隠れる存在ではなく、背中を追う存在でもなく、横に並び立てる存在になりたかった。守られてばかりではなく、頼られる存在になりたかったのだ。
身体だけが大きくなり、昔よりも勉学はできるようになっても、結局差なんて縮まってはいない。
昔は気兼ねなく言えた『ありがとう』の一言さえ、今は素直に言えはしないのだ。
仕舞っていたクレーメルケイジを取り出して掌に転がしながらきゅっと握り締める。今の自分にできる事と言ったら昌霊術以外にない。
幸いにも、今の自分のクレーメルケイジにはウンディーネがいた。これで少しは体力の回復の助けとなる事ができるはずだ。
瞳を閉じ、精神を集中させて小さな声で詠唱すると、キールはリッドの背中に向けてヒールをかけた。