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難攻不落の男

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難攻不落の男




 マスタング大佐といえば。
 まあ一言で言うなら有名人、これに尽きるといえよう。それがどういう意味で、どの層に認識されているかに関してはあまりに多岐に渡るので、この際無視するとして。
とにかく、そんな有名な彼には当然のように本人の与り知らぬ俗称が幾つも存在していた。いわく、タラシだの、何だの。そして、その中には「難攻不落の男」というのも含まれていた。

「…難攻不落」
 固いと思って口に含んだらやわらかかった、みたいな不可解な、納得いかないような顔で子供は繰り返した。
 それは例えば砦とかそういった物にしばしば用いられる形容詞…熟語だ。確かに時として人物に対して用いられる場合もあるが、往々にしてそれは好敵手を讃えるなどといった例が多いのではないだろうか。
「そうなのよ!」
 たまたま隣り合わせた内勤の女性三人は、力いっぱい主張した。
「確かに女慣れしてるっていうか、あしらいは上手い人だと思うの」
「でもそれがクセモノなのよね!」
「そうそう、だって本当に手を出して貰った子いないもんね」
 そうそう、と頷き合う女性達に子供は大きな金色の目を瞬きさせた。
「…出して、貰う、ものなの?」
 恐る恐るといった反問に女性達は顔を見合わせた後女性特有の賑やかな笑い方をした。
「あの方なら、ね」
 食事中だというのに崩れたり薄まったりせずにしっかりと存在を主張する唇の紅から、子供はふいと目をそらした。
ねとりとした何かが纏わり付くようで気持ち悪いと胸をざわつかせながら。
「イイ男に手を出されて嬉しくない女がいるわけないでしょ?」
 エドワードは目の前の食事が全部牛乳に変わってしまったようにさえ感じた。つまりこれ以上聞きたくなかったのだ。

 滅多にないことではあった。エドワードが軍の食堂を使うことも、そしてあまり面識のない人物と食事をとることも。
 補足するなら、エドワードは別にその女性達と示し合わせていたわけではない。たまたま先に座って食事をしていたら、隣にそのグループがやってきて、有無を言わさぬ勢いで共に食事を始めたのである。遠慮なく、ねえ、あなたマスタング大佐の関係者なのよね、と迫って。
 食堂を利用するのに、もしもあの男の側近の誰かがいたなら、彼女らは近づいて来なかったのだろう。今までも話しかけたかったけど出来なかったの、という発言でそれは知れた。少尉や中尉といるんですもの、簡単に声なんてかけられないわ、と彼女らは言ったのだ。そういえば自分が少佐相当なので忘れがちだが、軍では普通尉官というのもそれなりに大した官なのである。とにかく、それで初めて、もしかして彼らか彼らの上司は、それとなく自分を守るために一人で食堂を使わせなかったのかと思い至った。何とも複雑な発見だった。まさかあの男がそんな密かな心配りを自分にしていようとは、と。
 彼女らはエドワードからマスタング大佐の情報を引き出したかったようで、その流れで、エドワードは大佐の人気が本物であることを知った。
 そのどれもが彼の本質ではなく表面的なものに対してだということも。
 もっとも、エドワードだって彼の何もかもを理解しているなんて思ってはいなかった。しかしそれでも、彼があの日自分を弾劾したような真似を不特定多数に見せていないことも確かなのだ。
「難攻不落…か」
 食堂からの帰り道、エドワードはぽつりと呟いた。
 男連中からやっかみもこめてだろうが女たらしと呼ばれているのは知っていた。だが、まさか女性陣から全く相反する評価をされていたとは。

『鋼の』

 自分のことを何だと思っているのかすぐにからかうあの男だけれど、顔を合わせて最初にエドワードを呼ぶ時の顔は嫌いになれないものだった。
 眩しそうに幾らか目を細めて、ほんの少し嬉しそうに早めた口調で、包みこむように。
きゅ、とエドワードは胸のあたりを掴んだ。
あんな話聞かなきゃよかった、そう思った。






「…」
 エドワードは重厚な執務室の扉の前で立ち止まった。普段なら何も気に病むことなく入室するのだが、いかんせんタイミングが悪かった。
ドアノブに触れるのさえ躊躇う程、先程の女性達の会話に影響を受けていた。
 だが、戻らないわけには行かないし、触れないわけにも行かないのだ。
 今エドワードは中央は総統府から直々に下されたレポートを抱えていて、その監査には後見たるあの男が任じられており、つまりこの部屋に入らないわけには行かないのである。マスタング大佐の執務室に。
 さっきまでひとりで食堂に行っていたのは、腹の虫を鳴かせたエドワードにロイが温情を与えたからでもあり、かつ、ロイがそれ以外にも通常の仕事を溜めていたからでもある。
「…ちっ」
小さく舌打ちをして、ままよ、と顔を上げノブに触れる…と、
「?!」
ノブはひとりでに回り、ドアは勝手に開く。驚愕の顔のまま、開いたドアに引かれるままに、エドワードは部屋に足を踏み入れることになった。
「…なに、してるんだね。君は」
呆れたような声が上からして、びくりと肩が震えてしまった。

『難攻不落』
『手を出して貰った子はいない』
『あの方なら、ね』
『イイ男に手を出されて嬉しくない女がいるわけないでしょ』

――手を出して、ほしい?

「…鋼の?」
 俯いて動かないエドワードに、さすがにロイの声も怪訝そうな、どうかすると心配しているような調子になる。
 余計に答えられなくなったエドワードの気も知らず、ロイはエドワードの顔を覗き込もうとする。
「鋼の」
 ロイの声に、わずかだが咎めるような響きがこもった。
 呆れられた、…嫌われた?
 咄嗟に上げた顔は自分でも歪んでいるのがわかった。だが…。
「…鋼の」
 一瞬軽く見開かれた黒い瞳がひやりと尖り、エドワードの両肩が強く固定されるに至っては悲鳴が上がりそうになった。
 ぎゅ、と掴まれた肩が痛い。
 けれどそれ以上に、瞬きもせず、強い目で見下ろしてくるロイが怖かった。喉がひりついたように声が出なくなって、足ががくがくと震えた。
「…言いなさい。何が、あった」
 そしてかけられた言葉。その低めた声は命令口調だったが、内容はエドワードには理解不能なものだった。
「…え…」
「ああ、…いや、無理に言わなくてもいい。…だが…誰かが、君に、何かしたのか…?」
 ロイの態度は相変らず硬い。だが、どうやらエドワードを責めているわけではないらしい、そう気付いてようやくエドワードは息を吐いた。しかし、そうだとしても意味がわからない。
「…鋼の」
 掠れたような声がそっと呼ぶので、なんだろう、とエドワードは顔を上げた。そして、息を飲む。
 ロイが、壊れ物に触れるようなぎこちない手つきで、ふわりと自分の体を抱きしめたからだ。
「……!」
 心臓が止まるかと思った。
「…泣くようなことは、なかったのか」
「……泣く…?」
 鼓動がうるさくて、耳が良く聞こえなかった。だがそれでも、ロイが安堵したように口にしたその言葉は聞き取れた。かろうじて。
 そして首を捻る。
 どうして自分が泣くのだろうかと。
「…ならいいんだ。…それならいい」
作品名:難攻不落の男 作家名:スサ