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帝国の薔薇

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終幕


「?帝国の薔薇?って、いただけますか?」


 からん、と鳴ったカウベルに顔を上げた主人に、柔和な顔立ちの青年が微笑んで声をかけた。はい、勿論、と答えながら、店主は、青年にかつてよくここを訪れてくれた少女の面影を見る。まさかな、と首を捻りながら、彼はカップを用意し始めた。

「…いいにおい」
 サーブすれば、彼は品のいい仕種でお茶を口に運んだ。いずれ良い育ちの青年なのだろう。見るともなく見ていたら、にこりと微笑み、彼は店主に「あの」と声をかけてきた。
「はい。なんでしょう」
「…これは、あの姫にちなんで?」
 あの姫、といえば、数年前に突然都からいなくなってしまった姫のことに違いない。薔薇の姫と親しまれた、やんちゃな…。
 今にして思えば、自分の店に寄ってこの茶に名を預けていった時、既に彼女は何かを決意していたのだろう。店主はそう思っている。誰にも話したことはなかったが。
 けれど今この青年を見ていたら、話す時が来たのかもしれない、そう思った。
「あれは何年前でしょう。ちょうど、あの騒ぎがあった年のことです。…姫が、ここにお立ち寄りくださって。作ったばかりだったこのお茶を、お出ししたのです。そうしたら、帝国の薔薇、という名前はどうかと」
「…ご本人が?」
「ええ。…あの時はいつものお忍びのような気楽な装いでいらっしゃいましたが、きっと、もう、ここを離れられる決意をなさっておいでだったのでしょうね」
 思い出すと今がその時であるかのように思えてしまう。店主は、本当にあの姫が好きだったのだ。元気で、明るくて。それはきっと、この街の誰もがそうだったことだろう。
「今頃どうされているのか…お健やかであれば、それだけでよいのですが」
 そこで、青年が小さく笑った。
「きっと、お元気でらっしゃると思いますよ」
「…そうでしょうか。…いえ、きっとそうですね。姫はいつでもお元気でいらしたから」
 二人は揃って空を見た。この空の下のどこかにいるはずの姫が、今も元気であることを祈って。

 喫茶店を辞して、青年は街の中をぶらぶらと歩いた。
「……」
 エドワードが突然宮城を出奔した当時は、さすがに大騒ぎになった。しかし、激怒するかと思われた女帝があっさりそれを許したので、誰もが拍子抜けしてしまった。
 彼女が言うには、何であれエドワードが自分で選んだことなら、それを尊重するそうだ。すごい話だ、と青年、アルフォンスは思ったものである。しかし後継者問題についてはまた振り出しに戻ったわけで、結局どうなったかというと、子どもたちに責務を押し付けるわけには行かない、と僧院からアレックスが戻り、その地位についている。ただこの感動屋の弟は勇猛の姉女帝とたまに折り合いが悪く(一方的に姉が怒っているだけともいえるが)…前途多難、といったところである。
 一応その後の情報としては、アルフォンスも、東方にロイ達が立ち寄ったあたりまでは把握している。一端祖父の許に戻っていたホークアイが知らせをよこしたからだ。
 だがその後についてはよくわかっていない。傭兵団を起こしたとも聞くが、最近のアメストリスはめっきり戦争と縁遠くなってしまっているので、傭兵の話もさほど入ってこないのだ。
 まあ、便りがないのは元気の証拠、と思い切るしかないのかもしれない。ようやく会えた姉が、すぐにまた会えなくなってしまったのは正直寂しいものがあるが、…生きていれば会える日もあるに違いない。
 最近のアルフォンスは、女帝の庇護の下教育を受けながら、ウロボロスが残したものと、父の研究の後を引き継いでいる。将来もずっと続けていくのかどうかはわからないが、多分、そういうことになるだろうと思っている。
「…ああ、そうか」
 しかし研究だけでは味気ないなあ、と思っていた胸に、不意に閃いたのは、姉の面影だった。先ほどの紅茶がインスピレーションを与えてくれたのかもしれない。
「うん、タイトルは、帝国の薔薇。決まりだよね」
 彼の中には既に、ひとつの物語が始まっていた。
 主人公は、ひとりの姫である。



                                       終幕

作品名:帝国の薔薇 作家名:スサ