みんな身勝手
もとよりその人物と僕は知り合いで、彼女を唆した動機は、僕への興味というそれだけだ。それだけで、一つの家庭を崩した。
そんな事を平然と簡単にやってのけ、本人に一切の反省もないような人物だ。それなのに僕は、彼を恨む事などなく、いまだに出会ったあの頃とさして変わらぬ関係を続けている。
「入学式はどうだった?帝人くん。」
ベンチに腰掛ける僕に後ろから語りかける、この人物と。
「わが子の晴れ舞台です、嬉しかったに決まっているでしょう?」
思っている事をそのまま口にのせ、振り向くと、彼にしては珍しい、整った無表情が見えた。行動はあくどいのに、本当に綺麗な顔だな、と会うたびに思う。
「掛けたらどうですか、臨也さん。」
出会った頃とあまり変わらぬ、むしろ磨きのかかった美丈夫は、年齢を感じさせない。この人に会うと、あの頃からあまり時が経過していないのではないかと勘違いしそうになる。
この人がしたことを僕は、忘れはしないのに、不思議とそう思ってしまう。
「最近は忙しいと、そう言っていませんでしたっけ?」
「君の人生の転機に、俺がどうしてじっとしていられると、そう思うの?」
「…確かに僕の転機でもありますが、今日の主役はあの子ですよ、」
顔を出した理由はそれかと、溜息を吐きそうになるのをこらえる。この人の根っこの部分は、本当にいつまで経っても変わらない。いや、こうしてあからさまな態度をとるようになっただけ、僕にとっての害は少なくなったのかもしれないけど。
あの時、当時はまだ僕の妻だった彼女を、どう誘導したのか、実のところ僕は知らないのだ。すべてが水面下でおき、気付いた頃にはもう手遅れだった。原因がこの人だと、臨也さんが種明かししなければ、僕はそれさえもきっと気付かなかったろう。
そして臨也さんは、その種明かしの際の人間の動向を観察すらも好むようで、だから僕が気付かない事はなかったのだろうとも思う。今となっては詮無い話だ。
「そう、そうかな?」
ふ、と臨也さんの空気が変わった。僕はただそれを感じとっただけ。何が、彼にふれたのか。
「あの子は君の子供だ、きちんと血のつながった、そう、遺伝子に問えばおよそ間違いなく君の子供だ。そして今日はその君の子供の入学式。でも、だからって単純に今日という日が、君の子供が主役とは限らない。君の主観で言ってしまえばそうかもしれないけど、少なくとも俺にとっては全く違う、」
この人が饒舌な時、大概の人間にとってこの人は害悪だ。
「だってそうだろう、君の子供、正確には、君があの女に孕ませた、あの生物は俺にとって大した意味をなさない。」
害悪だ。
「あの生物を、君のエゴでどう飼い慣らそうと自由だけどね、ただ君が、今日はあの生物の転機だと思い、今日を特別扱いするなら、俺にとってそこにこそ意味があるんだ。」
害悪。
「俺はねぇ帝人くん、」
「臨也さん。」
別段静止の意味で声をかけたつもりはない。だってどうせこの人は止まらない。
けど、つい口に出た。
「ねぇ。帝人くん。」
ほら、止まらない。
「君を人生の転機に立たせる事のできる、あの生物がおぞましい、」
「あの生物を孕んだあの女に反吐が出る。」
そういうのであれば、そうなる前に止めればよかったのに。この人は、僕の子供に関して言えば、僕の行動それ自体を責めることはないのだ。はらませたのは、僕なのに。
「なんで、」
そうしていつも、無茶なことを言う。
「なんで君は、子を孕めないのかなぁ。」
「……。」
「そうしたら、あのおぞましい生き物の価値がもしかしたらわかるかもしれないのにね。」
仮定の話に、さらなる仮定の感情。実現しないとわかっている、わかるわけがない。
臨也さんはすっと立ち上がると、お決まりの言葉を吐いて去る。
俺との子を孕めよ、竜ヶ峰帝人。と。
そうして大体、これもお決まりで、彼が去った後、僕の子は僕いるところへと駆け寄ってくるのだ。これは彼がタイミングを読んでいるからなのだろうけど。
「父さん、かえろ!」
「うん、」
ねぇ、臨也さん。
僕は、僕たちからあの人を去らせてしまった貴方を、恨んではいないんですよ。
この子を人間としてみてくれない、その事実は哀しいけれど恨んではいないんです。
ただ僕が恨んでいるのは、貴方がどんなに僕の愛するものを嫌悪しようと、貴方を嫌いになれない僕自身が恨めしい。
貴方が嫉妬するとわかって子を成した、自分が一番恨めしいんです。