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家庭教師情報屋折原臨也9-2

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夜。
 昼の温かさが嘘のように寒くなった。世の中はクリスマスイブということもあって多くの人が行き交い華やいでいた。雪こそ降ってきてはいないが、空は晴れず雲がかかった鈍色で、お世辞にも澄んだ夜空とは言えなかった。
その下、大通りから大分外れた暗い道を、臨也は壁に支えられながら歩いていた。その息は荒い。走ったものとは違う、酸素を求めたものではなく痛みの捌け口を求めている呼吸だった。
「ぐっ……」
痛みに耐えきれず、臨也は地面に膝をついた。口に手を当ててせり上がってきたものを無理に出そうと咳き込むと、べたついた赤黒い血が手に吐き出された。
 ――― 内臓、やられたか
妙に冷静な思考で、怪我の具合を確認した。新羅に連絡を入れておいて正解だったな。そして壁に手をついて何とか立ち上がると、再度ふらふらと歩き始めた。
 今回の仕事は、ある組織を再度潰すこと。誰かに頼まれたわけでもなく自分の私怨であった。全く復讐というのはよくないものだと思った。往々にして、それは失敗するのがセオリーである。
 もともと一人で向かったこと自体が間違っていたのかもしれない。相手は素人ではないのだ。しかもそこらの人とは違い様々な危ないものも熟知している者たちも多い。危ない道は臨也も幾度となく渡ったが、人数と装備において分が悪かった。しかし協力を仰ぐ理由がない。あえて関与していると言えば静雄だ。手伝うと言ったが、こちらに引き込むわけにはいかなかった。だから断った。危険にさらしたくなくて、パソコンを叩いて嘘を吐いた。そうすれば何とかしておくことが、情報屋の自分がまさか私怨で死を覚悟しての単騎で乗り込みとは思いもしないだろう。そう、結局は私怨なのだ。実際この組織が復活することは無い。情報はすでにその道にリークしてあるし、公開に逮捕されるのも時間の問題だった。
 最初は問題なかった。陽が落ちたのを見計らってブレーカーを落とし、暗闇の中を駆ける。視界の不利は承知の上。建物の構造も把握していたし、体力も十分にあった。しかしその建物は彼らの武器で溢れている。ピンからキリまでの効能を持つ薬品に人体を裂くためのメス、注射に電動カッター等々。臨也も人間である以上傷や薬に長く耐えれる体ではない。襲撃を予想していたのか内部の人間は様々な薬品やメスを白衣に忍ばせていた。それは臨也の予想の範疇であったが、自分の最悪の被害までの予想はつかなかった。何とか建物を脱出した時には腹部は血に染まり、あばらを数本持っていかれ、脚には一本注射が突き立てられた。すぐに抜いたが、液量が減っていたことから体内に入ったことが分かった。
「いたぞっ!こっちだ!」
 ――― まずい!
臨也はナイフを出して威嚇した。そのナイフも彼らの血や脂が付着しており、到底斬れるものではなかった。それでも衝く分に問題は無い。
だが急に動いたのがまずかったようで、息が詰まり下を向いて咳き込んだ。
「げほっ、…か、は」
視界が霞んだ。相手が相手なため、恐らく切りつけてきた刃物に毒関連の何かが塗ってあったのだろう。逃げることを想定しての遅行性のようで、今になってその効果を表してきた。そう臨也は仮定したが。
「……?!」
急に膝が折れた。ナイフも手から滑り落ち、からんと音を立てて地面に転がった。毒にも痛みや苦しみを感じないものはあるが、これは違うとすぐに直感した。
 ――― しまった…!
それは足につけられたごく小さな刺し傷が原因だった。あの液だ。あれはこれだったのか。幸いにも、呼吸器系や循環器系に影響はなかった。完全に捕獲用の薬のようだ。毒でじわじわと殺されないのは結構だが、かえって臨也は動かない体にいら立ちが募った。
 ――― っそ……
立ち上がろうにも脚に完全に回ったようで、意識しても最初から神経が通っていなかったかのように、両足を動かすことができなかった。腕で上半身を支えることはできても、逃げる足がなければ動けなかった。向こうも向こうで自分に対し恨みがあったのは事実だった。
 ――― まずいな……
足音が近づいてくるのが分かった。それは勝利を確信したかのように遅く、確実に地面を踏んでいた。
確実に、殺される。
 ――― どうせなら、静雄君に会ってからにすればよかったかな……?
まさかここで静雄のことを思い出すとは思わなかった。しかも今日は家庭教師として静雄の家に行く日でもあった。遅刻どころか全くたどり着けそうにない。予定ではもっと早く片付くはずだった。死に際に思い出すなんてなかなかドラマチックだな。思わず苦笑いをし、そして覚悟を決めたように、臨也は目を閉じた。
その寸前、路地の入口に人影がよぎった。あぁ、きっと消されるだろうな、可愛そうに。
 もう掴まれてもいいはずの時間が過ぎたが、一向にアクションがない。むしろこちらに向かっていた男たちの足音が変わった。突然騒がしくなり始めたのを聞いて、臨也はゆっくりと目を開けた。
―――何だ?
すると、視界から男が消えていた。しかし影はある。

いや、宙を舞っていた。そしてその下には見覚えのある人物が腕を突き上げるように挙げていた。

「臨也!」
「……何で?」
 ――― 何で、ここに…
まさに聖夜の奇跡というべきか。臨也は思わず脱力し、地面に座り込んだ。男たちは皆突然現れた静雄の方に向かっていった。
臨也に近づこうとしていた静雄は行く手を阻まれ、そしてぼろぼろの状態の彼を視認して怒鳴った。
「邪魔すんな!」
近くにあった標識を握力で引き抜き、居合抜きのように横に振った。予期せぬ武器の登場に足を止めて回避を図ったがその前に薙ぎ飛ばされた。所詮は頭脳勝負の衆なので力に長けなおかつ策のきかない静雄はまさに悪敵だった。
「ははっ……」
目の前の一方的な闘いを見て、臨也は思わず笑ってしまった。
一瞬だった。一人に一分も掛かっていない。ボールを投げるがごとく人が飛んだ。バッドを振るがごとく標識が振られた。自分の苦労などまったく比にならない。むしろ清々しいばかりの格差だった。
―――本当、規格外……
不意に視界が歪んだ。動きすぎたつけがついに訪れたようだった。そのままふらりと地面に転がった。
 やがて嵐が去った後のような静寂が訪れた。男たちは皆去って行き、静雄と臨也だけが残った。臨也に背を向けて肩で息をしていた静雄だったが、怒りが収まり臨也の存在を思い出して慌てて振り返った。
「臨也、大丈……」
臨也は地面に倒れていた。前に見た時とは違う、異常なまでに不安を煽る姿だった。出血は大分治まっているようだったが、掴んだ手は冷えていた。冬の寒さもあるが、服に隠れていたはずの腕まで冷えていた。
「おい、臨也?」
すぐそばに膝をついて臨也の上半身を起こし顔を覗き込んだ。一瞬瞳は彷徨ったが、静雄の方を見て止まった。
「なんで、ここに?」
辛うじて臨也の意識はつながっていたが完全に静雄に頼っていた。尋ねたが声が小さすぎて静雄は聞こえていないようだった。
「早く病院に……」
ゆるりと手をあげ、臨也は静雄の襟元を引き寄せた。注意も引き、この距離であれば聞こえないこともない。
「自業自得というか、因果応報っていうか、でもまさに九死に一生かも知れない」
「は?」