春の目覚め・3
五月七日。
総統に代わり、大統領の座に就いた幹部の者によってドイツの無条件降伏が宣言された。
直ちに戦闘を止め、近くの敵陣営に降伏を申し出よ、と。
ドイツの無条件降伏の前に上司が死亡し、国が崩壊した北イタリアはすでに降伏済みだった。
イタリアは国家の崩壊の影響からか長年の無理が祟ったか、一週間ほど意識不明の状態が続いていた。南イタリアから「弟を返せ、ちくしょう! 」と散々罵られた。
そのイタリアもつい先日、無事に目を覚ましてくれた。体力は衰え、起きあがるのも辛そうではあったが。消滅を免れたのは、確実に先に連合 側に鞍替えしていた南イタリアの存在のおかげなのだろうと、プロイセンはぼんやりと考える。
ドイツは、今尚、目を覚まさない。
現在、プロイセンはアメリカとイギリスの軍が占拠している土地に身を寄せている。これ以上の面倒事は抱えたくなかったことから、ロシア地域で の降伏は避けた。今回の戦いは、対ロシアが激しかったせいで、ロシアの恨みも凄まじいものがあるはずだ。ロシアに捕まったら確実に命はない と軍人のほとんどが考えていることだろう。
無事に生き残りたいなら、アメリカに降伏を申し出るのが一番無難だとほとんどのドイツ国民が思っているはずだった。
眠り続けるドイツの額にそっと手を触れる。体温は低いまま。本来、子供体温かというくらいに体温の高いはずのドイツの体は冷たいままだ。人 間であれば死んでいるのではと思わせる冷たさだった。
なぜ、目を覚まさないのか、なんとなく予測は付いている。連合の判断によっては、ドイツ帝国の解体すらもあり得る現在、ドイツは国としての機 能を完全に停止させてしまっているのだろう。それとも、単純に、ドイツ自身が目覚めたくないだけなのか。この現状を受け入れたくないだけなのか。
「くそったれ…」
頬を撫でてやりながら、呻くように澪れ落ちる言葉。
部屋の外が騒がしいな、とプロイセンは気付いた。誰かと言い争うアメリカの声が聞こえる。
「降伏するなら、もっと降伏らしくしてくれないか!」
そんなことを大声で言っているようだった。
誰だろうか?
そう思った次の瞬間には、プロイセンとドイツがいる部屋のドアが蹴破られた。文字通り、蹴破ったのである。普通に内側に向かって押せば開くだろうドアを、豪快に蹴破った男。その男を見て、プロイセンは思い切り顔を 顰めた。
こんな時まで見たくもない顔。同じドイツ国の者。何かと衝突の耐えない南部の国。バイエルンがそこにいた。
バイエルンは凄まじい怒りの形相で、だがしかし無言のまま部屋へと進入してくる。
「何をしてくれてんだ、てめぇ!」
騒ぎを聞きつけたイギリスが走り込んで来て怒鳴っているが、当然のように聞き入れる気は無さそうだった。
プロイセンの前まで来て立ち止まると、そのままバイエルンは足を振り上げ、力任せに叩き付けるように下ろした。続けざまに横薙に蹴り込んでくる。
もちろん、蹴りを受けてやるつもりもないプロイセンはさっさと身を躱す。
部屋に備え付けられていた椅子とテーブルが木っ端微塵に砕けていた。
「今すぐにでも、貴様を殺してやりたいところだ…!」
低い唸り声を上げて、バイエルンは言う。叫びたい衝動を押さえ込んでいるような声音だ。
「俺んとこの備品を壊してんじゃねぇよ!」
イギリスが見事なまでに破壊された椅子とテーブルを見て頭を抱えていた。
砕けた欠片を見遣れば繊細な模様が彫り込まれた高級そうなテーブルだと分かる。しかし、イギリスには悪いが、今はテーブルに構っている余裕はない。
「てめぇに殺されてやるほどお人好しじゃねぇな」
蹴りを躱したままの屈み込んだ体勢で、プロイセンは目の前に立つバイエルンを睨み上げる。
「貴様が…付いていながら、なんだ、この様は…!」
敗戦という状況を言っているのではないと、プロイセンにも分かっていた。意識を手放してしまったこのドイツの姿に対しての、怒りだろうことも。
ドイツ帝国の名の元に統一という形で纏まって七十四年余り。わずか、七十四年でこの有様か。ドイツ革命による帝国の分解からヴァイマル政 へと移行した時でさえ、何とか耐え抜き持ちこたえたドイツが、今回のことで完全に倒れてしまったのだ。
このドイツという地を治めてきた帝国。結果的に中心となって造り上げたのはプロイセンであった。戦いに明け暮れることなく生きていく為にドイツの地は統一されたはずだった。
どうして、いつもこのような荒廃の道を辿るのだろうか。なぜ、これほどの暴走が起きてしまうのか。初めから、進むべき道そのものを間違えていたのか。
返す言葉すら浮かばず、プロイセンはただバイエルンを睨む。
バイエルンは、怒りが収まらないというように再度蹴り込んで来た。これも軽々と躱したが。
「何の為に、…ここまで戦ったと…! ドイツを守りきれずに、なのに、貴様はまだここに居座るのか!」
その言葉に、プロイセンは冷笑的な笑いを浮かべた。
「まったくだな。何で俺様はこうやって生きてんだか」
すでに、プロイセンという名の州すら無きに等しく、有名無実な状態だというのに。先の上司にその名前だけを利用され、国としての力そのものは削がれ続けてきたというのに。
なぜ、消えずにまだこうして動ける。
「……―――」
プロイセンの返答が予想外だったとでもいうのか、バイエルンは黙り込んでしまった。顰めっ面のまま顔をわずかに俯ける。
「なんでてめぇがそんな顔をしてんだ。バカじゃね?」
「やかましい!」
言ってやれば飽きずに蹴りが飛んで来た。もちろん躱す。
「いい加減にしやがれ、てめえら! なんでドイツの連中は揃いも揃って喧嘩っ早いんだよ! 拘束具でも付けられたいか!」
降伏した身にも関わらず、顔を合わせるなりいきなり破壊を伴う喧嘩を始めた二人に、イギリスが怒鳴り声を上げる。
「本当に、ドイツのとこは相変わらず粗野で無骨だね。そんなんだから、負けるんだよ。もっとスマートにやれないのかい?」
「黙れ、若造が」
アメリカが軽い口調で言ってやれば、バイエルンがドスを利かせて呟き返す。
「今のはこの俺もカチンと来たよ。彼を殴ってもいいかい、イギリス?」
「駄目に決まってんだろうが! 捕虜の扱いは国際法で定めたばっかだ。ちょっとは守れよ」
「そんな甘っちょろいことを言うのは君ぐらいだよ。誰がそんなことを守ってるって思うんだい」
「アメリカ、まともな判断が出来ねえなら、てめぇも向こうに行ってろ!」
「イギリスもすっかり及び腰になってしまったね。国の衰退ってそういうものかい? 残念だよ」
「アメリカ! 向こうへ行け!」
イギリスは怒鳴り、苛立ち任せに腕を振り下ろす。壁際に置かれたテーブルが砕かれる勢いで壊れていった。
嫌な空気と沈黙が落ちる。
「あー、悪かったよ。お前らまで喧嘩始めんな」
ガシガシと頭を掻きながらプロイセンが口を開く。決まり悪げな表情を浮かべていた。
「……」
「……」
イギリスは不愉快そうに押し黙り、アメリカはやれやれという調子で肩を竦めるジェスチャーをしてみせた。
「茶くらい淹れてやる…」
総統に代わり、大統領の座に就いた幹部の者によってドイツの無条件降伏が宣言された。
直ちに戦闘を止め、近くの敵陣営に降伏を申し出よ、と。
ドイツの無条件降伏の前に上司が死亡し、国が崩壊した北イタリアはすでに降伏済みだった。
イタリアは国家の崩壊の影響からか長年の無理が祟ったか、一週間ほど意識不明の状態が続いていた。南イタリアから「弟を返せ、ちくしょう! 」と散々罵られた。
そのイタリアもつい先日、無事に目を覚ましてくれた。体力は衰え、起きあがるのも辛そうではあったが。消滅を免れたのは、確実に先に連合 側に鞍替えしていた南イタリアの存在のおかげなのだろうと、プロイセンはぼんやりと考える。
ドイツは、今尚、目を覚まさない。
現在、プロイセンはアメリカとイギリスの軍が占拠している土地に身を寄せている。これ以上の面倒事は抱えたくなかったことから、ロシア地域で の降伏は避けた。今回の戦いは、対ロシアが激しかったせいで、ロシアの恨みも凄まじいものがあるはずだ。ロシアに捕まったら確実に命はない と軍人のほとんどが考えていることだろう。
無事に生き残りたいなら、アメリカに降伏を申し出るのが一番無難だとほとんどのドイツ国民が思っているはずだった。
眠り続けるドイツの額にそっと手を触れる。体温は低いまま。本来、子供体温かというくらいに体温の高いはずのドイツの体は冷たいままだ。人 間であれば死んでいるのではと思わせる冷たさだった。
なぜ、目を覚まさないのか、なんとなく予測は付いている。連合の判断によっては、ドイツ帝国の解体すらもあり得る現在、ドイツは国としての機 能を完全に停止させてしまっているのだろう。それとも、単純に、ドイツ自身が目覚めたくないだけなのか。この現状を受け入れたくないだけなのか。
「くそったれ…」
頬を撫でてやりながら、呻くように澪れ落ちる言葉。
部屋の外が騒がしいな、とプロイセンは気付いた。誰かと言い争うアメリカの声が聞こえる。
「降伏するなら、もっと降伏らしくしてくれないか!」
そんなことを大声で言っているようだった。
誰だろうか?
そう思った次の瞬間には、プロイセンとドイツがいる部屋のドアが蹴破られた。文字通り、蹴破ったのである。普通に内側に向かって押せば開くだろうドアを、豪快に蹴破った男。その男を見て、プロイセンは思い切り顔を 顰めた。
こんな時まで見たくもない顔。同じドイツ国の者。何かと衝突の耐えない南部の国。バイエルンがそこにいた。
バイエルンは凄まじい怒りの形相で、だがしかし無言のまま部屋へと進入してくる。
「何をしてくれてんだ、てめぇ!」
騒ぎを聞きつけたイギリスが走り込んで来て怒鳴っているが、当然のように聞き入れる気は無さそうだった。
プロイセンの前まで来て立ち止まると、そのままバイエルンは足を振り上げ、力任せに叩き付けるように下ろした。続けざまに横薙に蹴り込んでくる。
もちろん、蹴りを受けてやるつもりもないプロイセンはさっさと身を躱す。
部屋に備え付けられていた椅子とテーブルが木っ端微塵に砕けていた。
「今すぐにでも、貴様を殺してやりたいところだ…!」
低い唸り声を上げて、バイエルンは言う。叫びたい衝動を押さえ込んでいるような声音だ。
「俺んとこの備品を壊してんじゃねぇよ!」
イギリスが見事なまでに破壊された椅子とテーブルを見て頭を抱えていた。
砕けた欠片を見遣れば繊細な模様が彫り込まれた高級そうなテーブルだと分かる。しかし、イギリスには悪いが、今はテーブルに構っている余裕はない。
「てめぇに殺されてやるほどお人好しじゃねぇな」
蹴りを躱したままの屈み込んだ体勢で、プロイセンは目の前に立つバイエルンを睨み上げる。
「貴様が…付いていながら、なんだ、この様は…!」
敗戦という状況を言っているのではないと、プロイセンにも分かっていた。意識を手放してしまったこのドイツの姿に対しての、怒りだろうことも。
ドイツ帝国の名の元に統一という形で纏まって七十四年余り。わずか、七十四年でこの有様か。ドイツ革命による帝国の分解からヴァイマル政 へと移行した時でさえ、何とか耐え抜き持ちこたえたドイツが、今回のことで完全に倒れてしまったのだ。
このドイツという地を治めてきた帝国。結果的に中心となって造り上げたのはプロイセンであった。戦いに明け暮れることなく生きていく為にドイツの地は統一されたはずだった。
どうして、いつもこのような荒廃の道を辿るのだろうか。なぜ、これほどの暴走が起きてしまうのか。初めから、進むべき道そのものを間違えていたのか。
返す言葉すら浮かばず、プロイセンはただバイエルンを睨む。
バイエルンは、怒りが収まらないというように再度蹴り込んで来た。これも軽々と躱したが。
「何の為に、…ここまで戦ったと…! ドイツを守りきれずに、なのに、貴様はまだここに居座るのか!」
その言葉に、プロイセンは冷笑的な笑いを浮かべた。
「まったくだな。何で俺様はこうやって生きてんだか」
すでに、プロイセンという名の州すら無きに等しく、有名無実な状態だというのに。先の上司にその名前だけを利用され、国としての力そのものは削がれ続けてきたというのに。
なぜ、消えずにまだこうして動ける。
「……―――」
プロイセンの返答が予想外だったとでもいうのか、バイエルンは黙り込んでしまった。顰めっ面のまま顔をわずかに俯ける。
「なんでてめぇがそんな顔をしてんだ。バカじゃね?」
「やかましい!」
言ってやれば飽きずに蹴りが飛んで来た。もちろん躱す。
「いい加減にしやがれ、てめえら! なんでドイツの連中は揃いも揃って喧嘩っ早いんだよ! 拘束具でも付けられたいか!」
降伏した身にも関わらず、顔を合わせるなりいきなり破壊を伴う喧嘩を始めた二人に、イギリスが怒鳴り声を上げる。
「本当に、ドイツのとこは相変わらず粗野で無骨だね。そんなんだから、負けるんだよ。もっとスマートにやれないのかい?」
「黙れ、若造が」
アメリカが軽い口調で言ってやれば、バイエルンがドスを利かせて呟き返す。
「今のはこの俺もカチンと来たよ。彼を殴ってもいいかい、イギリス?」
「駄目に決まってんだろうが! 捕虜の扱いは国際法で定めたばっかだ。ちょっとは守れよ」
「そんな甘っちょろいことを言うのは君ぐらいだよ。誰がそんなことを守ってるって思うんだい」
「アメリカ、まともな判断が出来ねえなら、てめぇも向こうに行ってろ!」
「イギリスもすっかり及び腰になってしまったね。国の衰退ってそういうものかい? 残念だよ」
「アメリカ! 向こうへ行け!」
イギリスは怒鳴り、苛立ち任せに腕を振り下ろす。壁際に置かれたテーブルが砕かれる勢いで壊れていった。
嫌な空気と沈黙が落ちる。
「あー、悪かったよ。お前らまで喧嘩始めんな」
ガシガシと頭を掻きながらプロイセンが口を開く。決まり悪げな表情を浮かべていた。
「……」
「……」
イギリスは不愉快そうに押し黙り、アメリカはやれやれという調子で肩を竦めるジェスチャーをしてみせた。
「茶くらい淹れてやる…」